荒川を千住新橋で渡ったところで、国道4号線から別れて左の道にはいる。保木間の町を抜けてひたすら歩いてゆく。この頃から本当に疲れてきた。足も痛くなった。休憩するときは靴を脱がないと足が痛くてたまらない。まだ初日だというのに前途多難である。
荒川から2時間ほど歩いたところで再び4号線と交差する。そのからすぐの所に小さな神社があった。水神の祠である。このすぐ先で毛長川という小さな川を渡るのだが、この先が埼玉県であった。ようやく東京都から埼玉県に入ったのである。時間は2時になっていた。この調子ではとても芭蕉の一泊目の地、春日部までは行けそうもない。
浅間神社を右にあって、そこにたつ石柱を見たら村社とあった。今は草加市なのだが、昔は村だったということだ。
浅間神社から10分ほど行くと小さな広場があってベンチも置かれていた。ここで休憩することにした。街中を歩いていると休む場所がなくて本当に困るのだ。広場の隅に小さなお堂がたっていて、火あぶり地蔵尊という石柱があった。火にあぶられる目にあった地蔵尊なのだろう。
この先で目立つのは草加せんべいの看板で、草加市なんだという気がしてきた。古い家が残って、いかにも宿場町らしい雰囲気が残る中を歩いてゆく。
道が綾瀬川にぶつかるとそこに火の見櫓のような塔があって、きれいに整備された公園になっていた。石段を下ると芭蕉の像がある。後ろを振り返った像である。
奥の細道には「其日、漸 草加と云う宿にたどり着にけり」とあって、いかにも芭蕉は草加に泊まったようなのだが、随行した曾良の日記では粕壁(春日部)に泊まったとある。でも、ようやく草加に着いたという気持ちはよくわかってしまう。私も3時を過ぎたので心細くなってきているのだ。
ここからはよく整備された遊歩道が続いていて、少し行くと川もないのに石造りの太鼓橋があった。これには矢立橋とかかれていた。この橋を上っていって、頂点から行く手を眺めると松並木がずうっと続いているのだ見えた。これが草加の松原なのだ。
綾瀬川に沿って松並木は続いていて、これを歩いて行く。さっきの矢立橋と同じような太鼓橋が現れた。これは百代橋であった。これは奥の細道の冒頭にある「月日は百代の過客にして…」から名づけたものらしい。橋の下を川が流れてるわけではないのだが、せっかくなのでこの太鼓橋を渡った。そこには松尾芭蕉文学碑があってベンチも置かれていたので休憩することにした。途中のスーパーでラーメンを買ったので、ここでお湯を沸かしてラーメンを作った。うまかった。
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