奥の細道をゆく   
【元禄2年3月27日】(太陽暦5月10日)

清洲橋→万年橋→芭蕉稲荷神社(旧芭蕉庵)→芭蕉庵史跡展望公園→芭蕉記念館→芭蕉の俳句散歩道→採茶庵→新大橋→吾妻橋→蔵前橋→浅草→小塚原→回向院→素戔嗚神社→千住大橋

芭蕉は深川の芭蕉庵に住んでいたのだが、奥の細道に旅立つに当たってこれを売り払ってしまい、実際には仮に身を寄せた採茶庵から旅立ったのだ。芭蕉は深川から舟で千住まで行ったのだが、私は隅田川の河畔をひたすら歩いた。


 深川
清洲橋


万年橋


芭蕉庵史跡展望公園の入口、閉まっていた



BACK 日本橋界隈


2008318日(火)

水天宮から500mほど行ったところで右折し、さらに500mほど行くと清洲橋である。紺に塗られた鉄骨のがっしりした橋である。この橋は関東大震災後の復興計画のなかで造られた橋で、ドイツのケルン市にあった大吊橋をモデルにしたという。清洲橋の清洲の名前は織田信長の居城清洲に縁があるのかと思ったら、橋の両岸の深川区清住町と日本橋区中洲町の名前からとったものなのだそうだ。時間は720分になっていて車の往来も多くなってきた。
橋を渡って東詰から北に向かい、もう一度橋を渡った。これが小名木川にかかる万年橋である。橋を渡ったところで左折すると赤い幟がいっぱい立つ小さな稲荷神社がある。これが芭蕉稲荷神社で、芭蕉庵があったところとされる。ここで名句「古池や 蛙飛びこむ 水の音」が生まれたとされる。本当に狭い境内の祠の横に大きな芭蕉庵跡の石碑がたっていた。
ここの少し先には「芭蕉庵史跡展望公園」の入り口があるのだが、その門は閉まっていた。9時半に開くのだが、まだ7時半である。待っているわけにはいかないのであきらめた。






 芭蕉の庵
史跡展望公園の芭蕉像


芭蕉記念館


芭蕉の俳句散歩道


ここから階段で隅田川の堤防を乗り越える。目の前には隅田川が悠々と流れ、さっき渡った清洲橋が見える。いい眺めである。史跡展望公園には芭蕉の銅像があるのだが、その前から隅田川を眺めたかったのに残念である。でも、河畔から見上げたら芭蕉像が見えた。
隅田川に沿って歩いてゆくと右に芭蕉記念館がある。でも、これも会館は9時半なので入ることはできない。あとは隅田川に沿って千住に向かうだけと思ってガイドブックをもう一度確認したら、採茶庵を見逃していることに気がついた。
奥の細道には

  住める方は人に譲り、杉風が別墅に移るに…

とあって、芭蕉はまず芭蕉庵を売り払い、出発前には門下の杉風の別荘に身を寄せていたのだ。奥の細道はこの「杉風が別墅」から出発したのだが、それが採茶庵である。
やっぱり、私も採茶庵から歩き始めなければいけないではないか。
いったん引き返すことになる。万年橋を渡って清澄公園の中を横切り、仙台堀川を渡る。渡ったところで左折して堀川に沿った道を行く。この細い道には芭蕉の句が立ち並んでいた。「芭蕉の俳句散歩道」というのだ。
大きな通りにでたその交差点に採茶庵があった。庵はプレハブのようなものなのだが、その縁側からヨイショと立ち上がって旅立とうとする芭蕉像が置かれている。芭蕉はここから奥の細道出発したのである。私も、この芭蕉の像の杖に手を当てて、それから歩き始めた。






 隅田川
隅田川の遊歩道を行く


蔵前橋



隅田川の河畔に戻る。芭蕉はこの深川から千住までは船で行ったのだが、私は隅田川に沿って歩くつもりだ。隅田川の水上バスに乗るという方法もあるのだが、時間はまだ815分である。歩くしかない。
隅田川河畔は遊歩道としてきれいに整備されていて散歩を楽しんでいる人が多い。きれいな隅田川の流れと、これにかかる橋を眺めながら歩いてゆく。
最初に新大橋をみて、それから首都高速の前でいったん河畔から離れて街の中を通ってもう一度河畔に戻る。両国橋、JR総武線の鉄橋、蔵前橋と過ぎて行く。橋のそれぞれは独特の形をしていてけっこう楽しいのだ。
隅田川に沿ってこのまま千住まで行ってもいいのだが、途中に浅草があるので、浅草寺によって行くことにした。


→関東の旅 浅草



 隅田川を千住へ
小塚原の首切り地蔵


回向院


芭蕉句碑


広い道に出て、北に向かって歩いてゆく。35分ほど歩くと常磐線と都営地下鉄日比谷線を陸橋で越える。陸橋から降りたところから左に入ると、大きな石の地蔵様がある。これが小塚原刑場跡である。大きな地蔵様は「小塚原の首切り地蔵」と呼ばれ、このまわりにはいくつもの石仏が並んでいる。地蔵さまの台座まで登って眺めると、すぐしたには墓地があって、無数の卒塔婆が立ち並んでいた。
この少し先には回向院があった。鉄筋コンクリートの近代的なお寺なのだが、この寺は小塚原の刑死者供養のためにたてられたもので、幕末の志士、橋本佐内・吉田松陰・頼三樹三郎が葬られているのだ。
ここから500mほど行くと国道4号線に突き当たる。国道4号線は日本橋から続く旧日光街道なのだ。
この国道を渡ったところに素盞雄(すさのお)神社がある。この神社から300mほど行くと千住大橋を渡ることになるのだが、ここには芭蕉の句碑があるので立ち寄ることにした。
参道を進むと本殿の右に突き当たるのだが、そこに芭蕉の句碑はたっていた。石碑の下には芭蕉の像も線描されていた。刻まれているのはずいぶん崩した文字で、とても判読ができないのだが、私が持ってきた岩波文庫の「芭蕉おくのほそ道」と照らしあわせると

千じゆと云う所にて船をあがれば
前途三千里のおもひ胸にふさがりて、
幻のちまたに別離の泪をそゝぐ。

行春や鳥啼 魚の目は泪

是を矢立の初めとして、行道なをすゝまず。


と書かれているらしい。神社正面に回りこむと社殿はずいぶん立派なもので、参道両脇みは大きな自然石の上に狛犬が置かれていた。
素戔嗚神社から出ると、すぐ先が千住大橋である。


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