中山王子神社→榎木峠→万葉歌碑→岩代王子→JR岩代駅→千里浜→千里王子→千里観音の石仏群

テントを張った中山王子から榎木峠を越えて下って行くと岩代王子に着く。この先、熊野古道は二つに分かれるが、私はサブコースの千里浜の道を行くことにした、打ち寄せる波を眺めながら、どこまでも続く砂浜を歩いて行くのは本当にすばらしかった。千里浜の終点千里観音にある石仏群はすばらしくて、写真撮影に時間をすごくとってしまった。
千里浜を歩いた



長屋門の内にテントを張った


中山王子神社を後にする


ここが榎木峠?


ビニールハウスの間を行く


万葉歌碑


国道をトンネルで渡る


岩代王子
 66岩代王子へ

BACK 津井王子から中山王子へ

2010317

中山王子神社の門で寝たのだが快適だった。でも、外はかなり寒いのだ。
朝、5時半頃に目が覚めたがまた寝てしまったため、テントから這い出したは7時であった。まず歯磨き・洗顔をしていたら、下の眺めがすばらしいことに気がついた。昨日は逆光であまりきれいには見えなかったのだ。
泊めてもらったお礼に、もう一度参拝したら「足の宮」に気がついた。昨日、中山王子の指導標に並べて書いてあった名前である。熊野詣の山伏が、足の痛さで亡くなったのだが、村人が懇ろに弔ったところ、埋葬した頭の上に大きな石が出現したという。この石は足痛をなおしてくれると信じられれるようになったという。私も熊野古道歩き八日目で足が痛むので、熱心に祈ってしまった。

パッキングを終えて歩き始めたのは8時、ずいぶん遅くなってしまった。でも、今日は紀伊田辺のネットカフェに泊まるつもりで、歩行距離は25kmほど、時間には余裕がある。
中山王子の先には榎木峠がある。
歩き始めるとすぐに指導標があった。今日は指導標がちゃんとしているようだ。(期待はみごとに裏切られた)

果樹園の中を緩やかに上って行くと道が分岐するが、そこにはちゃんと指導標がたっていた。結局ここから下りになってしまったので、ここが峠だったのだろうか。樹林の中を下るとすぐに舗装された細い道に出て、そこには「NPO西国古道ウォーキングサポート」という標識があった。この先は指導標がきちんと整備されていると期待してしまったのだが、この標識はここだけだった。NPO、いったいどんな活動をしてるんだろう。
緩やかな下りが続く。突然、ビニールハウスが並ぶ道に出た。その向こうには真っ青な海が広がっている。今日は快晴である。
右に海を眺めながら、ビニールハウスの間を歩いて行くと、10分ほどで国道に合流してしまった。でも、ここに指導標はなくて、どう行っていいのかわからない。ともかく国道を歩くことにした。少し行くと、道ばたに「万葉歌碑は熊野古道に移設しました」という標識があった。熊野古道はこの国道ではないのだ。
このすぐ先に万葉歌碑の指導標があって、指導標に従って右に入るとすぐに熊野古道らしき道にぶつかった。いったいどこでこの道が分岐したのかわからない。指導標は絶対になかったと思う。
少し行くと万葉歌碑がたっていた。新しい歌碑もあって、二つあるのだった。
 岩代の 浜松が枝を 引き結び
 真幸くあらば また還り見む

これは斉明四年(658)に有馬皇子が謀反の疑いで捕らえられ、斉明天皇の旅先である白浜の湯に護送されたときに詠んだ歌である。
 君が代も わが代も知るや 岩代の
 岡の草根を いざ結びてな

これは斉明天皇に同行した中皇命の詠んだ歌である。それにしても、天皇一行が訪れるほど白浜の湯は有名だったのかと驚いてしまう。
この先がまたわからなかった。どんどん歩いて行ったが、道が東の方にそれて行く。これは違うと思って国道を行くことにした。国道に出るとすぐ先に民宿が
2軒並んでいた。これが私の地図にある民宿ということだろうか。そうすると有馬皇子結松記念碑は通り過ぎてしまったことになる。
岩代王子は近いはずだが…と歩いて行くと、左に下る道があって、その先に指導標がたっていた。いったいこの地域の指導標はどうなっているのかと思ってしまう。指導標に従って国道の下をトンネルでくぐり、そのすぐ先で右の細い道に入り踏切を渡る。

踏切を渡ったその右に岩代王子はあった。石の鳥居をくぐると、斜面に小さな社が二つ並んでいた。その横にはいつもの青い説明板もたっている。ここで少し休憩した。境内からは真っ青な海を眺めることができるのだ。



 千里浜を歩いて67千里王子へ

ちょうど電車がやって来た


千里が丘球場


ここで線路を渡る


浜に出ることができた


千里浜を歩いて行く


紀勢線の特急


千里王子の説明板


引き返して踏切を渡ろうとしたらちょうど電車がやってきた。この踏切のすぐ右には岩代駅があるのだ。

熊野古道に戻って歩いてゆくと、岩代駅の前に着いた。駅前には熊野古道の地図がたっていて、これで確認したら、万葉歌碑からはすぐに国道に出てしまって、国道に沿って歩くのだ。有馬皇子の碑は国道沿いにあったのである。指導標をちゃんと置いてほしいものだ。
岩代駅から坂道を上って行く。本当は坂の途中で右するのだが、私は気がつかずに直進してしまった。果樹園の中を上って行って、下りになったら行く止まりであった。しかたがないので引き返して、途中で横切った広い道からあたりを見回すと左に球場が見えた。私の地図にある千里ヶ丘球場である。
球場に向かって下って行くと、途中に指導標があった。これで迷わなくてすむ。私が歩いて来た方向が千里王子となっているのだが、この道は熊野古道ハイキングコースで、千里王子へはすごい迂回するのだ。私は万葉にも詠われた千里ヶ浜を歩きたいと思っている。このほうが直線コースで距離は短い。
球場前に着いたがその先は行き止まりであった。地図をどう眺めても、この球場から線路を渡って浜に出るようになっている。近くの道路を捜しまわったが、すべて行き止まりであった。最後には、果樹園の中の道も行ってみたのだが、これも結局行き止まり。困ってしまった。結局、ハイキングコースを行くしかないのだろうかと思ったが、念のため、なくしたガイドブックの本文を読んで確認することにした。私のパソコンには、すべての山の本と観光ガイドブックが入っているのだ。もちろん、なくした熊野古道の全ページも入っている。道ばたにしゃがみこんで、パソコンを広げた。

球場の下で線路を渡って、千里浜に降り立つと書いてある。じゃあやっぱり球場のどこかに線路を横断する道があるのだ。さっきも相当注意して確認したのだが…と思いながらも、線路を渡れそうなところを重点的に確認したら、あった。球場のすぐ下に小さな金網に囲まれたグランドがあって、その右に入ると、やはり金網に囲まれた通路で突き当たりは行き止まり。私はさっきここも確認したのだ。ここが一番線路に近いからこの金網を強引に越えようかと思ったら、その金網の間が細く開いていて、線路の出れるのだった。気がつかなかった。
やった…と喜んで線路に出たが、踏切もなにもない。でも、渡った向こうには反射鏡がたっている。渡って、左の細い道を下ると千里浜であった。ここまで
1時間ほども余分に時間を使ってしまった。
波が打ち寄せる浜をのんびり歩いて行く。海辺を行く熊野古道なんて、すごく絵になるではないか。振り返ると、砂浜に私の足跡が続いている。なんかうれしくなってしまった。
気持ちよく波打ち際を歩いて行くと、向こうにお寺の門が見えてきた。これが千里観音であった。そのお寺に向かって上る石段だあるのだが、この左に神社が見える。これが千里王子神社である。
岩代王子からは3kmほどなのにすごく時間がかかってしまった。でもそのぶん、着いてすごくうれしい。
ここで大休止することにした。靴も脱いで足を投げ出し、浜辺に打ち寄せる波をぼんやり眺めていた。こんなときが「至福のひととき」なのだ。
休んでいたら、砂浜から熊野古道を歩いているらしいおじさんがやってきた。道がわかりにくかったでしょうと聞いたら、ハイキングコースをやってきたということであった。この人はすぐに出発して行った。いつまでものんびりしておれないので、私も出発することにする。1118分になっていた。



 千里観音の石仏群

千里観音本堂


まず千里観音に行く。
小栗判官が海で暴風雨にあったとき、如意輪観音に救われ、お礼に自ら馬頭観音を彫って奉納したという伝説がある。
門に向かう参道に石仏が並んでいて、この石仏たちの表情がすごくいい。つい、写真撮影に熱中してしまった。

境内には熊野古道の地図もあって、水洗のトイレもあった。


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