上野王子→清姫の腰掛石→印南町→津井王子→斑鳩王子→切目王子→若宮社遺蹟→中山王子

基本的には国道42号線に沿って行く。右手には南紀の青い海が広がっていて、国道はいかにも南国らしいシュロ並木が続く。そして、五躰王子の一つ、切目王子社にお参りする。さすがに立派な社殿であった。
中山王子神社



清姫の腰掛石


道路が三つに分岐


印南町に入った


南国らしい道


津井(叶)王子跡
 62津井王子

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2010年3月16日

ここから少し行って、右に小さな広場があるな…と思ったら、ここが清姫腰掛石であった。紫の花に埋まった塚を大きな石で囲っているのだが、正面におかれた岩は真ん中に窪みがあって、水がたまっている。これなのだろうか。この塚には梅の木が植えられていて、ちょうど咲き始めたところであった。

清姫腰掛石から10分ほど行くと国道に出るが、すぐ先で再び国道から離れることができる。その入り口は複雑で、道が三つに分岐していた。指導標に従って真ん中の道を行く。
落ち着いた感じの町並みを行く。集落から右に外れると海が見えた。私は南紀の海に沿って歩いているのである。
少し行くと再び国道に出てしまうのだが、そこには「宮子姫生誕乃地」という大きな柱が3本立っていた。宮子姫っていたい誰なんだと調べたら、彼女はこの地の海女の子として生まれたが髪の毛がなかったのだ。母はある日海底に沈む観音像を見つけ、これに一生懸命祈ると宮子の髪がスルスルと伸びて、人もうらやむ立派な長い髪になったのだ。その髪のおかげで宮子は文武天皇の妃になり、聖武天皇の生母となるのである。
国道42号線歩いて行くと印南町に入ったのだが、そのとたん困ったことになった。今まで細かに設置されていた指導標がなくなってしまったのだ。指導標は各町村が設置しているようで、その管轄によって指導標の置き方が変わってしまうのだ。私の持っているのはガイドブックに登載された大まかな地図なので、本当に道に迷ってしまいそうだ。ともかく、地図と磁石で確認しながら歩いて行く。
国道は海沿いを走っていて、岩礁に波が打ち付ける景色がすごくきれいである。そして国道には南国らしいシュロの木の並木があった。
緩やかな上りになって峠が近づくと、この先の各王子までの距離の黄色い看板があった。印南町熊野王子案内と記されている。
峠を越えると下には印南港の景色が広がる。
下り坂の途中に、左、津井王子の標識があった。国道から左に入って山道を登ると、古い苔むした石段がある。その上が境内で、そこにはあの青い説明板があった。私が上った石段のほかにも参道があって、そこには石の鳥居がたっている。ここからは印南港を一望することができた。この津井王子は叶王子ともいわれ、願いが叶うということで、叶う絵馬が下がっていた。



 63斑鳩王子

かつお節発祥の地だったんだ


斑鳩王子跡


国道に戻って、これを歩いて行くと印南港の町に入った。かつお節発祥の地という大きな広告塔がたっていた。かつお節ってここで生まれたのかと感心してしまった。熊野古道は港に沿ってカーブして行くのだが、その途中に斑鳩王子への指導標があった。指導標には地図が表示されていた。印南町の指導標はわかりやすい。

国道から左の道に入って、印南橋を渡ったところで右折し、古い町並みを歩いて行くと急な上りになった。この坂の途中には石仏を祀った三つのお堂が並んでいた。これも昔の街道の面影を残すものである。
峠から坂を下ると国道に合流してしまった。これなら平坦な国道を歩いてきたほうがはるかにラクだった…。

国道が緩やかな上りになると、左に斑鳩王子の標識があった。国道から急な石段を上って境内に着くと、社が二つ並んでいて、その横にいつもの青い説明板がたっていた。
この神社にも参道がもう一つあって、こちらから外に出ると海のパノラマが広がっていた。すごくきれいである。



 64切目王子(五躰王子の一つ)

切目王子ではなかった


切目王子の説明板

国道に戻って、これを歩いて行くと小栗判官の説明板があった。ただ、私が勉強した小栗判官の話とは少し違っていた。そして、ここに登載された絵の小栗判官は、まるで四谷怪談のお岩さんのようであった。
この少し先で、王子跡にある青い説明板が見えた。ここが切目王子かと思ったら、それは「熊野古道案内」であった。ここから国道を離れて左の細い道を行くと小さな広場があって、広場の右の細い道を下ると新しい万葉歌碑があった
 殺目山(きりめやま) 行きかふ道の 朝霞
 ほのかにだにや 妹に逢はざらむ

このすぐ先、左に切目王子社があった。切目王子は、熊野九十九王子の中でも、藤白王子・稲葉根王子・滝尻王子・発心門王子とともに最も格式が高いという「五躰王子」なのだ。
長屋門のような門をくぐって境内に入ると、りっぱな社殿がたっていて、さすがに五躰王子である。いつもの青い説明板もあった。
ここで少し休んで、さらに先に進むことにした。本当はここの長屋門の内側はテントを張るにはぴったりなのだが。



 65中山王子

切目橋


中山王子 足の宮さんの指導標


中山王子への最後の登り


中山王子の説明板


切目王子社の前の細い道を下って行く。指導標などはないのだが、たぶんこの道だろうと思う。どんどん下って、集落の中に入ると橋に出た。橋の名前は切目橋なので地図で自分の位置が確認できた。道は間違っていない。

橋から少し行くと字路があって、ここを右に行くとすぐ切目駅なのだが、直進して線路をトンネルでくぐる。トンネルの先には「右光明寺、左中山王子」の指導標があった。左の道を行くと、再び中山王子の案内があって、右の細い道に入れと言う。この道が急な坂道で、歩いて行くとどんどんきつい登りになってゆく。
道には山桜がきれいに咲いていて、そのすぐ先に若宮社遺蹟という石碑があった。でも、これは私が目指している中山王子ではないようだ。

民家の間の細い道を登って行くと、広い車道に飛び出した。このすぐ先に再び「中山王子 足の宮さん」という指導標があって、これに従って急な坂道を上る。振り返ると海の眺めがすごくきれいだった。
傾斜が緩まると神社の杜(もり)があった。中山王子神社である。神社の鳥居の前に宝筺印塔が二基あって、室町時代のものだという。
鳥居のすぐ先に長屋門があって、これをくぐって境内に入る。ちゃんと神社の社殿があって、青い説明板もたっていた。この神社は足の宮とも呼ばれるようでその由来がかいてあった。さて、この神社には水もあってトイレもある。新しい長屋門には広いベンチが設けてあって、テントを張るにはぴったりのところである。
時間は
15時半になったところなので、ここに泊まることにした。暗くなるまでベンチにかけてパソコン入力をした。
18
時ころになると、風が強くなってすごく寒くなった。テントを張って中に入ったら暖かかった。今日はぐっすりと眠れそうだ。


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