蜘蛛池→汐見峠→春日神社→松代王子→菩提房王子→祓戸王子→藤白王子→有馬皇子の墓→筆捨松跡→地蔵堂→藤白塔下王子→御所の芝

汐見峠を越えて海南市に入り、郊外の4つの王子跡をめぐった後は藤白峠に向かって急な山道を登る。峠の上には藤白塔下王子があるのだが、そのすぐそばに御所の芝がある。ここからの眺めはすばらしいのだ。
御所の芝からの眺め

 34松代王子
汐見峠へは車道を行く


汐見峠の地蔵堂


急な坂を登る


松代皇子社

BACK 吐前王子から松坂王子へ

2010年3月13日

松坂王子からは汐見峠へ登って行くのだが、車道を行くのだ。車道だからそんな急な登りではないのだが、疲れているためか、すごくきつく感じてしまう。

登りきったら左には大きな池が広がっていた。これが神武天皇が土蜘蛛を退治したという蜘蛛池らしい。この池に沿って道は続いていて、池畔には徳本上人の名号碑がたっていた。
池の畔を半周して下りになると、その途中にお堂がたっていた。大津波から人々を救ったという伝説の「呼び上げ地蔵」であった。このあたりが汐見峠で、熊野詣の都人は、ここで初めて海を見たことからこの名がつけられたのだ。坂を下って行くと少しだけ海が見えた。
県道から左の細い道に入って、車の煩わしさ無しにのんびり歩いて行くと春日神社の案内表示があった。これに従って左の路地に入る。
ようやく春日神社の駐車場に着いたが、そこが神社ではなかった。ここで右折してさらにしばらく歩かなければいけないのだ。道の左は林におおわれた丘で、この上が神社のようである。

ようやく参道の入り口に着くと、その先は急な坂であった。坂道が右にカーブしてようやく神社の境内に着く。
境内入り口の右に「大塔宮御逗留旧址」という石碑があった。大塔宮は後醍醐天皇の皇子、護良親王のことで、足利尊氏とともに鎌倉幕府を倒した建武新政の功労者である。倒幕に決起したが、楠木正成と籠もった赤坂城は落城、大塔宮は熊野に逃れたのだが、そのとき、ここ春日大社に逗留したのだそうだ。

境内に入ると、正面に拝殿がある。参拝してから松代王子跡を探したのだがどうしても見つからない。しかたがないので神社の人に訊くと、松代王子は登ってきた坂道の途中にあるのだそうだ。気がつかなかった。
境内から坂道を下ると、道が左にカーブする正面に王子跡があった。



 35菩提房王子
整備された遊歩道と東屋


蓮華寺の白壁


菩提房王子


春日神社に向かって登った坂道を引き返して、あとは平坦な道を南に歩いて行く。本当は最初の広い道に戻らなければいけないのだが、この道を行ってもなんとかなるだろうと思ったのだ。少し行くと春日神社の正面石段があった。

さらに路地を南に歩いて行くと、整備された遊歩道に出た。ここには東屋もあって、このすぐ南は国道であった。
ところが、ここから菩提房王子へ向かう道がわからない。やっぱり、ちゃんと古道まで引き返すべきであった。迷っていたらバイクのおまわりさんが通りかかったので道をきいたら親切に教えてくれた。お巡りさんのバイクにはちゃんと住宅地図が積んであるのだ。

国道を西に歩いて、教えられた交差点から左折すると、すぐに長く続く白壁の塀があった。これが目印にしていた蓮花寺であった。
この少し先の交差点に菩提房王子跡があった。建具店の前にひっそりとあって、ここにも青い説明板はなかった。
藤原定家の記した「熊野御幸記」にこの王子名が書かれているのだが、「紀伊続風土記」には「鳥居村界熊野古道に字ボダイといふあり、その廃跡ならむ」と記されていて、かなり早い時期にこの王子は失われたらしい。



 36祓戸王子

如来寺前に指導標


石段の登り口に説明板があった


祓戸王子の石碑


この先で道は右にカーブしていって、住宅地の細い道を行く。

左に高い石垣が築かれていると思ったら、これが如来寺であった。すごく大きなお寺である。この如来寺の入り口に熊野古道の指導標があって、「ここから祓戸王子へは70m先左折」と書いてあった。道がはっきりすると安心する。
このあたり、熊野古道に沿った民家の軒には「熊野古道」と書かれた提灯が下げられていた。町をあげて熊野古道を応援しているようだ。これが道の目印になる。

曲がり角に一之鳥居址という石柱がたっていた。今はなくなってしまったが、この鳥居が熊野神域の入り口とされたらしい。
指導標に従って、左の細い道を行くと、道は行き止まりになって、その先には石段が続いている。
石段の登り口には祓戸王子跡の説明板がたっているので、ここがそうかと思ったら違っていた。説明には、ここから北
110m先に王子跡があると書かれていた。
石段を登って行く。樹林の中の急な坂が続き、石仏たちが迎えてくれた。これは八十八カ所巡りの石仏群なのだ。
石仏の道をどんどん行くと、その突き当たりが祓戸王子跡で、大きな石碑がたっていた。
祓戸(はらえど)王子は名前の通り、ここ熊野の入口で垢離をとって、心と体を清める場所だったのだ。
登って来た道を引き返す。石仏を眺めながらのんびり下った。



 37藤白王子(五躰王子の一つ)

熊野三山の入口を示す石碑


藤白神社旧社務所・茶屋跡


藤白神社境内


熊野古道に戻って、細い道を行くと、行く手に大きな杜が見えてきた。これが藤白神社であった。
境内に入ると巨木がたくさんそびえ立っている。この巨木は楠で、海南市の天然記念物に指定されているのだ。私は巨木が大好きなのでうれしくなってしまう。
この神社の藤白王子(藤代王子ともかく)は五体王子の一つである。九十九もある王子社の中でも五体王子は特に高い格式をもっていて、熊野三山から勧進した若一王子・禅師宮・聖宮・児宮・子守宮を祀る神社なのだ。
ちなみに五体王子とは藤代王子、切目王子、稲葉王子、滝尻王子、発心王子の五社である。
藤白神社本殿の右に有馬皇子神社がああった。孝徳天皇の皇子であった有馬皇子は中大兄皇子(後の天智天皇)の陰謀で謀反の疑いかけられ、この地で処刑されたのだ。神社には有馬皇子を偲んで詠まれた万葉歌碑もある
 藤白の み坂を越ゆと 白たへの
 わが衣手は ぬれたけるかも

有馬皇子神社の奥に藤白王子権現があった。藤白神社とは別のもので、権現なのだからお寺なのだ。藤白神社の神宮寺にあった阿弥陀・薬師・千手観音の三尊が祀られている。
境内には28回も熊野詣をした後鳥羽院の歌碑があった。この歌碑は後鳥羽院宸筆を写したものであった。
 うはたまの よるのにしきを たつたひめ
 たれみやま木と 一人そめけむ

境内には苔むした古い石塔があった。これは「聖皇三代重石」といって、宇多・花山・白河三上皇の熊野御幸を記念して建てられたものなのだ。




 38藤白塔下王子

紫川


有馬皇子の墓


いよいよ山道になる


岩がゴロゴロする丸太の道


硯石


藤白塔下王子跡


時間は
15時半を過ぎたので、あまりのんびりはしておれない。
藤白神社から右に境内を出ると、そこから続く坂道が熊野古道である。すぐに小さな流れを渡ったが、これは紫川といって万葉の歌に詠まれた川なのだ。今は見る影もないのだが…。
高速の高架をくぐって少し行くと、有馬皇子の墓があった。大きな石碑(歌碑だった)だけが広場の真ん中に居座っているのだが、その後ろに小さな古い石仏石塔がある。これだろうかと思ったのは間違いで、歌碑の横にある石柱が墓なのだ。。
歌碑に刻まれているのは
 家にあれば 笴に盛る飯を
 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る

この小広場の入り口には一丁という標石と古い石仏があった。これは峠の山頂まで続いていて、全部で17体あるという。これは上って行く目安になりそうである。
行く手の丘陵を目指して上って行く。これは「藤白坂」と呼ばれる峠道で、昔は篭屋がいたらしい。
舗装された細い道を歩いていたのだが、三丁を過ぎて少し行くと、左に丸太の階段道が分岐する。ここから本格的な山道になった。

五丁を過ぎて樹林から抜け出すと、海と港のすばらしい景色が広がった。海南市の眺めである。
露岩の険しい登りが現れた。こんなところを本当に平安貴族は登ったのかよ…と思ってしまう。

丁毎におかれた地蔵さまは比較的新しいもので、昔ながらのものは七丁のお堂に、まとめて祀ってあった。
山の急な山腹をトラバースするように熊野古道は続いている。登るにつれて海南市の展望は広がって、展望案内図まであった。
突然鹿よけの扉があった。新しくつくられたものである。この先は岩がゴロゴロする荒れた丸太の階段道になった。これを登って十丁を過ぎると、鬱蒼とした樹林の中に入る。でも、傾斜は緩まった。
竹林を抜け出すと筆捨松跡に着いた。道の横には柵に囲われた大きな岩があって、岩の上面が四角く削られて硯のようになっていた。硯石というのだ。硯岩は「筆捨松」にちなんで紀州徳川初代藩主の頼宣公が彫らせたものだという。
硯石の一段上には最近植えたと思う松が生えている。これが筆捨松らしい。筆捨松の由来は、平安前期の画家、巨勢金岡(こせのかなおか)がこの地で、童子と絵を競ったのだが負けてしまい、筆を投げ捨てたというのだ。この童子は熊野権現の化身だったのだ。

苔むした露岩を階段状に削削った道を上る。この途中に三体の石仏が並んでいた。私はこうした野の仏も大好きなのだ。
このすぐ先で登りは終わって、大きな宝筺印塔がたっていた。ここはもう、峠にある地蔵峰寺の一郭なのだ。すぐ先は集落になっていた。峠に人は住んでいないと思っていたのだが、間違いであった。
地蔵堂はすばらしく立派なもので、国の重要文化財、中に収まっているのは岩に線描された地蔵尊だそうだ。
この境内の片隅に藤白塔下皇子跡がある。祠の中に石仏がおかれていた。仏像ではなくて両手を胸にあてている像であった。この横にはいつもの青い王子説明板がたっている。久しぶりに見た。
時間は16時半になっている。さて、どこにテントを張ろう。



 御所の芝でテント泊

藤白塔下王子跡休憩所


休憩所の中


御所の芝の展望所


地蔵峰寺から少し登ると御所の芝という展望所があるので行ってみた。少し登ると、坂の途中に和歌山県朝日夕陽百選のオブジェがたっていた。これは以前護摩壇山で見たものと同じで、少しうれしくなった。
この少し先が御所の芝展望所であった。眼下に海南市の港が広がっている。すばらしい眺めだ。

一旦、お寺に引き返した。この境内には熊野古道参詣者の休憩所があるのだ。この中は畳敷きで、けっこうくつろげる。暗くなるまでパソコン入力をすることにした。コンセントも使えるのだ。18時になったら、管理人が閉めにきた。やはり、ここで泊まることはできないようで、あわてて外に出る。
今日は御所の芝にテントを張ることにした。
テントを張り終えたら真っ暗になった。テントの中でラーメンをつくって食べた。今回はダイエットをかねて歩いているので、日中はほとんど食べないのだ。やっとありついたラーメンは本当にうまかった。
ウトウトして目を覚ましたら、外が明るい。外に出てみたら、眼下にはすばらしく美しい夜景が広がっていた。
ここにテントを張ってよかったと思った。




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