東海自然歩道 三重の道


野営地→まがき橋→沓掛宿→坂下宿→片山神社→鈴鹿峠→かもしか高原→安楽越え→石水渓→矢原橋→坂本→峰ヶ城メモリアルパーク→野営

旧東海道の沓掛宿と坂下宿を通って、鈴鹿峠を越えた。古い宿場町は情緒があっていい。
石水渓に聳える鬼ヶ牙は圧巻の眺めだった。だが、この日も暗くなるまで歩くことになって、しかも夕食の買出しもできなかった。
鈴鹿峠の万人講常夜灯

 野営地から沓掛宿へ
霧がかかる中、下る


車道に下り着いた


国道1号線を歩道橋で渡る


沓掛宿の前に案内板があった

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2004年111

5時半頃にかすかに明るくなってくる。でも、朝を感じさせる明るさになるのは6時まで待たなければいけなかった。
テントをたたんでパッキングを終え、出発したのは7時少し前であった。
テントを張ったピークから階段の道を下って行く。
ガイドブックでは伊勢湾が見えるというのだが、まったくわからなかった。
林道に出て、これを歩いてゆくと左に神社があって、開けたところに出た。製材所のような建物がある。このあたりを「バンドウ」というらしい。
林道をひたすら歩いて行くが、アスファルトの道を歩くのはけっこう疲れる。
集落が見えてきて、大きな道路に出た。これは国道1号線なのだ。東海自然歩道はこれを陸橋で渡る。
この国道1号線の東側に集落を通る道があって、これが旧東海道である。
沓掛の集落に入って、これを北上してゆく。この道を逆に南下すると「関」に着くことができる。この関には古い宿場町の面影が残っているらしい。立ち寄ろうかとも思ったが先を急ぐことにした。
沓掛集落の建物もけっこう昔の街道筋の風情を残っていて、そうした昔の東海道の雰囲気に浸ることのできる道が続く。霧雨が降っていて、傘を差してこの古い宿場街を歩いて行った。
沓掛の北外れに「鈴鹿馬子唄会館」がある。その向かいには古い学校の校舎が残っていて、これは現在「坂下青少年研修センター」となっているのだ
この校庭の片隅に炊事施設があったので、ここで朝食を食べることにした。
お湯を沸かしてチキンラーメンを作って食べた。あじけない。



 鈴鹿峠常夜灯へ
坂下宿


片山神社から石畳道を行く


自然歩道の峠の登り口


万人講常夜燈


さらに歩いて行くと、本陣跡が残るという「坂下」の集落に入る。期待した本陣跡には指導標が立っているだけであった。少し行くと「法安寺」という立派なお寺があった。この山門は松屋本陣の門だったらしい。
道はいよいよ鈴鹿峠越えに入る。
舗装道路から右の道に入る。左は車がひっきりなしに通る国道1号線である。
山ひだにそって山道を行くと大きな鳥居の前に出た。ここが「片山神社」である。
その前には「鈴鹿流薙刀発祥の地」という石柱が立っていた。この神社を見ようと石段を登ってみたが、上には何もなかった。よくみると建物の土台があって、炭のようなものがいっぱい散らばっている。もしかしたら本殿は焼けてしまったのではないかと思う。残念。
神社の前を右に登って行く。急な石畳の道である。昔の東海道が残っているのだ…と感動していたら、行く手にはすさまじいコンクリートの構造物が立ちふさがる。国道1号線の高架で、これをくぐるとコンクリート壁に急な階段が続いている。こんなので鈴鹿越えをするのかとガッカリしてしまう。
コンクリートの階段を登ると広場があって、ここが東海自然歩道の峠の登り口なのだ。ここに松尾芭蕉の句碑があった。

 ほっしんの 初(はじめ)に越える 鈴鹿山

樹林の中の石畳道を登って行く。急な登りが終わって平坦になると指導標があって、左「鏡岩」と書かれていた。行きたかったが省略した。
真っ直ぐに峠に向かう。樹林を出たところに指導標があって、東海自然歩道はここで右に曲がるのだ。でも、真っ直ぐに行ったところに鈴鹿峠展望休憩所がある。そこまで行くことにした。
ここには「万人講常夜燈」が立っている。鈴鹿峠のシンボルである。これを写真に収めて分岐に戻った。



 石水渓へ
車道を下る


山女原集落に入る


かもしか高原


舗装道に下り着く


仙ヶ岳登山口バス停から緩やかに登って行く


坂本の集落、店がなかった


覚悟を決めてここにテントを張る


この頃になると空が晴れて青空が見えるようになっていた。
茶畑が広がっている。この間を通って山に入って行く。
山道を歩いてようやく山女原(あけびばら)の集落に着いた。
ここからは舗装道路をしばらく歩かなければいけない。この集落を抜けたところにY字路があって、ここに「安楽越え」の指導標が立っている。まっすぐに進むと近道で安楽越に着くことができるのだが、正規ルートは左の道で「かもしか高原」を越えていかなければいけないのだ。疲れていると、近い道を選びたくなってしまうのだが、正規ルートを外すことはできないのでかもしか高原をめざした。
舗装道路を登って行く。だんだん道が細くなって、アスファルトから土の道になる。この突き当たったところから山道になった。
急な道を登って、
登りきったところは草原になっていた。標識はないが、ここがかもしか高原のようである。ここからは伊勢湾が見えるというのだが、よくわからなかった。
尾根の道を下って、舗装道路に出る。これがさっきの分岐した道である。
舗装された道を下って行く。歩いて行くと、行く手にすさまじい険しさの岩山が聳えている。その岩の山肌には松の木が盆栽のように生えていて、すばらしい眺めである。これが「鬼ヶ牙」らしい。(本当は鬼ヶ牙というのは標高488mの山で、私がみているのはそこから派生する一岩峰にすぎないのだ)
少し行くとガイドに書かれたキャンプ場があった。でも、今はキャンプ場ではなくて、バンガロー村になってしまっていた。
さらに舗装道路を下る。この道の右はきれいな流れである。「石水渓」の流れなのだ。きれいである。
矢原橋の手前に仙ヶ岳登山口バス停があって、ここで左折して田んぼのなかを登って行く。それを下ったところが坂本の集落。
歩き始めて2日目、今、食糧がない。今夜のための買い出しをしなければいけないのだが、店が見当たらない。道路工事のおじさんに訊いたら、この坂本には店がないのだそうだ。困ってしまった。
林道を歩いて行く。杉林のなかの道を延々と歩いて行く。ザックの重さがこたえてきている。
こんな重荷でアスファルトの道を行くのは、すさまじくきつい。息が切れてくるし、足の底が痛くなってくる。
突然左に分かれる道があった。その道の入り口には門が立っていて、何かと思ったら「野登寺」の入り口であった。仙ヶ岳の登山口でもあるらしい。
林の中の林道をしばらく行くとようやく林から抜け出して、真新しい墓地に出た。これが「峰ヶ城マモリアルパーク」である。ガイドブックで何のことだ思っていたのだが、墓地だったとは。
ようやく平野部に下りてきた。茶畑が広がっている。
この中の舗装された道を歩いて行く。
日が傾いててきた。もう日が暮れそうである。今日はどこに泊まろうと悩みながら歩いている。
自然歩道の休憩所があればいいのだが、…ない。
ゴルフ場を過ぎる頃には薄暗くなってきた。
ちょうど、道の右に少しだけ入る道があって行き止まりになっている。その先には不法投棄のゴミが散らばっていた。
もう暗くなるので、ともかくテントを張った。
今日もテントを張り終えたら暗くなってしまった。


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