大きな鉄の鳥居をくぐって、広い石段を登って行く。この参道にはたくさんの石灯籠が並んでいた。5分ほど上ったところに「秋葉杉」の説明板があった。文明年間(1469〜1487)から植林によって育てられたものだそうだ。…とすると500年以上の杉ということになる。
ここからさらに5分ほど石段を上ると、大きな門が見えてきた。平成17年にできた西の神門で、白木が新しい。門の四方には白虎・青龍・玄武・朱雀の彫刻が飾られていた。
これをくぐると、左に社務所があって、その先の石垣の上に金の鳥居が見えた。石段を上って金の鳥居をくぐると秋葉神社の本殿であった。秋葉神社は標高885mの秋葉山の山頂にあるので、三角点や山名の標識がある山頂はないのだろうかと探したが、山頂へ行く道はなかった。神社に手を併せて引き返した。
秋葉神社の建物はすごく新しいように感じるのだが、それもそのはずで、昭和18年(1943)の山火事で山頂の建物はすべて焼失したのだ。ようやく再建がなったのは昭和61年(1986)である。
社務所の前に自販機があったので、ここで買ったジュースを飲みながら休憩。休みながら地図と今いる場所を確認したのだが、東海自然歩道の下って行く道が見あたらない。そういえば、秋葉神社の参道に入ってから自然歩道の指導標を見ていない。仕方がないので、社務所に行って道を訊いた。本殿へは石段を上ったのだが、自然歩道は石段を上らずにまっすぐに行くのだった。それにしても、指導標がない。
重いザックを背負って歩き始めると、天狗の絵の看板があった。秋葉権現に仕える天狗が大宴会をしている絵である。下を見ると、丸い輪が見えた。ここからカワラケを放ってこの輪に入ったら祈願成就らしい。
さて、境内から広い坂道を下って行く。この道が秋葉神社の表参道なのだ。少し下ると大きな門が見えてきた。秋葉神社は昭和18年の大火ででほとんど焼失してしまったのだが、この神門は焼失を免れたのだ。天保2年(1831)のものである。
杉の巨木の間を下って行く。かなり急な坂で、角材を渡した階段がつづく。
神門から10分ほど下ったところには「五の鳥居跡」があった。さらに5分ほど下って傾斜が緩まったところに、自然歩道の案内板とベンチの置かれた休憩所があって、トイレもあった。
ここから右に入るとお寺の境内であった。ここが秋葉寺(三尺坊)である。
本堂に手を合わせた後、赤い寺門をくぐって自然歩道に合流する。この赤い門には大きな「秋葉大権現」の額がかかっていた。秋葉神社はもともとは「秋葉大権現」と称したのだが、明治の神仏分離令でお寺と神社が別れてしまったのだ。
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