JR岩村駅を左に見て、踏切を渡ると岩村の市街に入って行く。指導標に従って真っ直ぐに岩村の市街に入って行くと、すごく古い町並みが残っていた。これはすばらしい…と思ってどんどん歩いていった。古い標石がたっていたり、歴史を感じさせる商家があったりで、写真を撮るのに夢中になって、東海自然歩道からはずれてしまっているのを忘れてしまった。
まず、赤い幟がいっぱい立つ神社があった。木村家の当主が文政5年(1822)に九州太宰府から勧請したという「巌邑天満宮」である。
左から細い道が合流するY字路には古い道しるべ石がたっている。左なごやという大きな字が刻まれていた。この隣にたっている小さい石柱も標石で貞享4年(1687)の年号が刻まれているのだ。
少し行くと道が広くなっていて鍵型に曲がっている。城下町の名残を残す「枡形」なのだ。
この先は旧町人街で、店先にはきれいな人形が飾られていた。岩村では2月5日から4月3日まで「岩村城下ひなまつり」が開かれていて、歴史の町並みの70カ所ほどで古いひな人形が展示されるのだ。
この先に古い商家が並んでいる。まず、勝川家があった。江戸時代はじめ屋号は松やといって、材木や年貢米を扱う藩内でも有数の商家だったのだという。
次に現れる浅見家は幕末三代にわたって大庄屋をつとめ、岩村藩の政治・財政に尽力したという。
このすぐ先に郵便局があって、その前には黒いポストがたっていた。明治20年頃のものなのだそうだ。
木村邸の前に着く。木村家の先祖は三河国挙母(愛知県豊田市)の藩士で、岩村藩主に招聘されて岩村に移って問屋職になり、代々岩村藩の財政に貢献したのだという。
広い車道を信号で渡ったところには水野薬局があった。上に掲げられた薬の古い看板がすばらしかった。
城山の近くまで行ったが、さすがにこれ以上行ってもきりがないので引き返すことにした。
歩いて来た道を引き返してはつまらないので、裏通りを戻った。ついでなので、浄光寺に寄ったら、境内のしだれ桜が満開ですばらしくきれいあった。芭蕉の句碑もあった。
山路来て
なにやらゆかし すみれ草
東海自然歩道の分岐は、踏切を渡ったすぐのところにあった。普通に見かける自然歩道の指導標ではなくて、道路ミラーに東海自然歩道と書いた板がくくりつけられていたのである。これはちょっと気がつかない。
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