東海自然歩道 岐阜の道


神明社石仏群→希菴塚→希菴橋→経塚→岩村鉄道軌跡→岩村城下散策(巌邑天満宮→道標と四面塔→枡形→勝川家→浅見家→明治郵便ポスト→木村家→水野薬局看板→浄光寺)→飯高観音→三十三カ所供養塔→役行者石像→安住寺(遠山家墓所)→八王子神社

このコースの目玉は岩村城下の古い家並みの散策と日本三大観音の一つという飯高観音の参拝である。岩村には古い商家が多く残っていて、ちょうど雛祭だったので店先には古いひな人形が飾ってあった。飯高観音の本堂は真新しくてあまり歴史を感じない。比叡山二代目貫首慈覚大師という千手観音は秘仏になっていて拝することはできなかった。


 神明社・希庵塚
神明社


田んぼを見ながら行く


希庵塚


小さな峠を越える

BACK 三城峠から神明社へ

2009330

テントの中でガイドブックを読んでいたら、神明社には石仏群があるということがわかったので、朝一番で見に行くことにした。小さな岡になっているのだが、石仏を探しなが一周してしまった。たくさんの石仏があって、その稚拙な表情がすごくよかった。中には役行者もあった。
テントをたたんで、出発したのは7時少し前であった。
田んぼの中の道を歩いて行き、岡の麓に来ると、そこに登って行く石段がある。この上が希菴塚であった。希菴というのは戦国時代の有名な禅僧なのだが、武田信玄の招きに応じなかったため、暗殺されてしまったのだ。
希菴塚には小さな御堂があって、そのなかには古い五輪塔が収まっていた。
希菴塚から下って、橋のたもとに着く。この橋が希菴橋で、ここで希菴は武田信玄の刺客に暗殺されたのである。小さな石仏がいくつも浮き彫りされた石碑がたっていた。

希菴橋を渡って真っ直ぐに歩いて行くと、行く手には低い山があって、自然歩道はこれを越えるのだ。農家の軒先をかすめて山の中に入って行く。すぐに小さな墓地があった。ここに立つ石仏の稚拙な表情がすごくがよかった。
峠を越えるところには経塚の説明板があったが、どれが経塚なのかよくわからなかった。
山道を下ると岩村である。国道に沿った村道を行くが、やがて地下道で国道を渡る。でも、めんどうだったので車がいないのを見て走って横断してしまった。

国道を横切った所には岩村城の説明板があった。正面の樹林の山が岩村城跡だというのだが、ただの林の丘にしかみえなかった。
右に小川を見ながら歩いて行くと旧電車道の説明板があった。恵那市大井町と岩村の間には明治39年に岩村電鉄が開通したのだという。でも、その後JRに取って代わられて廃線となり、今はその軌道跡が道路になったのである。私は、それを歩いている。



 岩村散策
踏切を渡って岩村の市街へ入って行く


古い町並みを行く


郵便局付近


ナマコ塀の間を行く


見逃した東海自然歩道の指導標


JR岩村駅を左に見て、踏切を渡ると岩村の市街に入って行く。指導標に従って真っ直ぐに岩村の市街に入って行くと、すごく古い町並みが残っていた。これはすばらしい…と思ってどんどん歩いていった。古い標石がたっていたり、歴史を感じさせる商家があったりで、写真を撮るのに夢中になって、東海自然歩道からはずれてしまっているのを忘れてしまった。
まず、赤い幟がいっぱい立つ神社があった。木村家の当主が文政5年(1822)に九州太宰府から勧請したという「巌邑天満宮」である。
左から細い道が合流するY字路には古い道しるべ石がたっている。左なごやという大きな字が刻まれていた。この隣にたっている小さい石柱も標石で貞享4年(1687)の年号が刻まれているのだ。
少し行くと道が広くなっていて鍵型に曲がっている。城下町の名残を残す「枡形」なのだ。
この先は旧町人街で、店先にはきれいな人形が飾られていた。岩村では2月5日から4月3日まで「岩村城下ひなまつり」が開かれていて、歴史の町並みの70カ所ほどで古いひな人形が展示されるのだ。
この先に古い商家が並んでいる。まず、勝川家があった。江戸時代はじめ屋号は松やといって、材木や年貢米を扱う藩内でも有数の商家だったのだという。
次に現れる浅見家は幕末三代にわたって大庄屋をつとめ、岩村藩の政治・財政に尽力したという。
このすぐ先に郵便局があって、その前には黒いポストがたっていた。明治20年頃のものなのだそうだ。
木村邸の前に着く。木村家の先祖は三河国挙母(愛知県豊田市)の藩士で、岩村藩主に招聘されて岩村に移って問屋職になり、代々岩村藩の財政に貢献したのだという。
広い車道を信号で渡ったところには水野薬局があった。上に掲げられた薬の古い看板がすばらしかった。
城山の近くまで行ったが、さすがにこれ以上行ってもきりがないので引き返すことにした。
歩いて来た道を引き返してはつまらないので、裏通りを戻った。ついでなので、浄光寺に寄ったら、境内のしだれ桜が満開ですばらしくきれいあった。芭蕉の句碑もあった。
山路来て
なにやらゆかし すみれ草


東海自然歩道の分岐は、踏切を渡ったすぐのところにあった。普通に見かける自然歩道の指導標ではなくて、道路ミラーに東海自然歩道と書いた板がくくりつけられていたのである。これはちょっと気がつかない。



 飯高観音
飯高観音への分岐


飯高観音入口の幟


兼平のバス停


田沢ダムへの道を行く


JR線路に沿って田んぼの中の道を行くと、ちょうど電車がやってきた。きれいにCMがペイントされている。よくみたらこれは電車ではなくてジーゼルカーであった。
静かな田んぼの道であったが、舗装の広い車道に出てしまった。ここから飯高観音までは車道歩きかと思ったら、平行する細い道があったので、これをしばらく行く。結局車道に合流してしまったが、その角には石仏がひっそりと立っていた。

広い車道を300mほど行くと、飯高観音への道が右に分かれる。飯高観音と書かれた大きな看板がたっていた。客を呼び込むための情緒もなにもない看板だが、その下には標石と石仏がたたずんでいた。
車道は緩やかな登りになっていて、これを歩いて行くとすごく広い駐車場があった。飯高観音の駐車場で、どんなに参拝者があるんだと思ってしまう。
飯高観音の境内へは裏側から入って行くことになった。境内はすごく広くて、大きな本堂がたっている。でも、最近建てたばかりのようで白木がすごく目立つ。
この飯高観音は日本三大観音の一つで、本尊の千手観音は比叡山二代目貫首の慈覚大師作だという。でも、これは秘仏となっていて観ることはできなかった。
本堂正面から参道を下って行くと苔の庭があったり、茶室があったりで見るべき物は多い。
山門から外に出てからは右に下って車道に出る。あとはこの車道を行くのだが、カーブの続く下り道で、兼平というバス停で広い車道に出た。道ばたには常夜灯と古い石仏がたっていた。
あとはずうっと車道歩きである。
車道歩きになると、指導標がめっきり少なくなって、歩いていて心配になってしまう。途中、左に裏道があったのでこの道を行った。やがて広い車道に戻ってどんどん歩いて行ったが、まったく指導標が現れない。二万五千分の一の地図では、車道から左折して田沢ダムのほうへ行くことになっている。ところがその分岐がわからないのだ。村の集会所のたつ交差点に着いたが、地図と道の状況が違う。悩んだが、交差点に田沢ダムの看板があったので、これを信じて田舎道歩いて行った。そうしたら、左から自然歩道が合流してきた。よかった。少し行くと、指導標にあった石仏群があった。とはいえ石仏は一体だけで大きな石標と石灯籠があるだけなのだが。



 安住寺から明智へ
役行者の石仏があった


赤松の林を行く


安住寺本堂


八王子神社に着いた


田沢ダムに向かう車道から山に向かう道に入る。その入口には役行者の石仏があった。このあたりも山岳仏教が盛んだったらしい。

道は山道になった。尾根を歩いて行くのだが赤松の林を過ぎ、さらに鬱蒼とした杉林の中を歩いて小さな峠を越える。峠から下って行くと林から抜け出して田んぼの道になる。行く手に大きなお寺の屋根が見えてきた。これが安住寺であった。
ここには遠山家の墓があるというので、見に行った。遠山といったら遠山の金さんしか思い浮かばないのだが、これは戦国時代の武将遠山景行のことなのだ。元亀3年(1572)に景行は上村の合戦で武田信玄と戦ったのだが、武運つたなく敗れ自害したあと、遺体はこの寺の裏山に埋葬されたのだ。お寺の裏から山に向かって少し上ると墓所があった。私以外に人はいなくて、しんと静かな中で手を合わせた。
安住寺からは田んぼのあぜ道を歩いて行く。少し行くと名も知らぬ御堂があって、その前には供養碑や石仏がたっていた。このあたりはいたるところに歴史を感じさせるものが散らばっているのだ。

杉原というところで広い車道を横切ると、そこにも石仏がたたずんでいた。南に向かってどんどん歩いて行くと、丘の上には大きな工場がたっている。明智の町は近い。
大きな学校が二つ並んでいるところまで来て、道を間違えていることがわかった。自然歩道は小さな川に沿って行くのだが、そこに至る道がみつからなくてウロウロしてしまった。引き返して小川を渡ると指導標があった。
小川に沿った細い道を行くと、さっき見た学校の校庭のすぐ横を通るのだった。指導標は八王子神社をさしている。
小川を渡って、車道を横切ると神社の境内に着いた。ここが指導標にずうっと書かれていた八王子神社である。この神社は領主遠山氏の氏神でこのあたりの神社の中心的存在だったらしい。


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