東海自然歩道 岐阜の道


八王子神社→大正村(大正村役場→絵画館→大正浪漫館→大正村資料館→逓信資料館→遠山氏屋敷跡→おもちゃ館)→明智回想法センター→千畳敷公園→柏尾→颪→黄梅院→串原村石仏群→三本松休憩所

このコースの一番の見所は大正村である。本当は明智町なのだが、街中には大正時代の古い建物が散在していて、これを巡る散策コースはすごく楽しい。この日の泊まりは三本松休憩所だたが、途中には黄梅院や串原村の石仏群などにも立ち寄った。


 大正村散策
神社の長い石段を下って市街へ


大正村役場(旧明智町役場)


街角の赤煉瓦の建物、実は十六銀行(営業してます)


遠山氏屋敷跡


千畳敷公園に上って行く

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2009年3月30日

八王子神社で少し休憩。八王子という名は天照大神の八人の王子を祀っていることに由来するもので、領主遠山氏の氏神だったのだ。神社の歴史は古くて天暦3年(949)というのだが、遠山氏12代の景行のときに武田信玄の軍によって焼失、今の社殿は延宝4年(1676)再建されたものである。
境内を散策したら「柿本人麻呂社」があった。小さな社なのだが、明智光秀が建立したのだそうだ。
長い石段を下って、明智の町の中に入って行く。私はここの大正村を観光したいと思っているのだ。まだ
12時なので、時間の余裕は十分だ。
犬山市にある明治村はテーマパークのようなものだが、ここの大正村は、町のあちこちに残る古い建物を紹介しているだけなのだ。だから無料である。
まず大正村役場に行った。明治39年に建てられた明智町役場庁舎で、中では古いひな人形の展示があった。岩村でも古い雛人形の展示を見たが。今の時期はこの周辺は雛祭なのだろうか。
ここで大正村のイラストマップをもらった。重いザックはここに置いて、近くの建物を見に行くことにする。

大正村役場から坂を登ると正面に絵画館がある。元小学校跡である。
この前を右折して坂道を登ると大正ロマン館である。これは新しく建てられた記念館で、入口横には高峰三枝子の銅像がたっている。高峰三枝子は大正村の初代村長だったのだ。
帰りに小川記念館というしゃれた洋館を見て、大正村役場に戻った。気がついたのだが、大正村役場の向かいの建物は大正展示館なのだった。
ザックを背負って街の中を歩いて行く。大正時代の歯科医院を見て、少し行くと赤煉瓦の建物があった。これは十六銀行でちゃんと営業しているのだ。
白壁の大きな蔵は大正資料館、この向かいには元郵便局の逓信資料館がある。これは明治
8年開局の歴史を持つ建物で、中には古い電話機や、郵便ポストの変遷などが展示されていた。
ここから少し裏道に入ると、遠山家屋敷跡があって、庭園が残っていた。

渡り廊下のある家や元カフェという建物を過ぎ、宿場のような家並みを歩いて最後におもちゃ館という古い洋館を見た。
これで大正村の散策はおしまいと思ったら、昔の小学校の校舎のような建物があった。入口には鎖がしてあったが、中に入って写真だけ撮らせてもらった。これは明智回想法センターといって、なんかわけのわからないものなのだ。
明智の町を通過して山に向かって登って行くと千畳敷公園に着く。




 千畳敷公園から颪へ
千畳敷公園


グランドの向こうに自然歩道入口がある


静かな杉木立の道


山道を下って颪に着く


明智の町を通過して山に向かって登って行くと千畳敷公園がある。
13時になろうとしていた。大正村ではずいぶん時間をかけて観光したつもりでいたが、かかったのは1時間だけだったのだ。
ここで少し休憩。新しいトイレがあって、水を補給した。落ち着いてから公園の中を散策した。まず、明智光秀が産湯をつかったという井戸がああった。さすがに明智町である。この上にパノラマ台という広場があるので登ったら、なぜか弘法大師の銅像がたっていて、タイムカプセルもあった。ここから望む明智の町の眺めはすばらしかった。
満足して自然歩道を先に進むことにする。自然歩道はなぜか野球場のグランドを横切って行くのだ、その奥に指導標が立っていて、山の中に入って行く。
杉林の中に階段道が続いている。尾根道を行くと、ときどきクロスカントリーコースが交差する。クロスカントリーってスキーのクロスカントリーなのか?このあたりはあまり積雪はないと思うのだが…。20分ほど樹林の道を歩いて下ると車道に出て、これを左に行く。
アスファルトの道を歩いて行く。車道歩きになると指導標が見あたらなくなった。上柏尾に向かっているのだが、新しい道が交差して地図とは違う道を歩いているような気がしてならない。
車道歩き25分ほどで集落に入った。ここが上柏尾で指導標があった。道を間違えていないことがわかってほっとした。道端に三面六臂の観音像があった。りっぱな造りである。私はこうした野の仏も大好きなのだ。
舗装道を歩いて行くと左に神社があって、行く手に送電線が見えてきた。これで、下柏尾の集落に入ったことがわかった。さらに歩いて行くと、颪(おろし)を指す自然歩道の指導標があって、そこには車は通行できませんとわざわざ書いてあった。これで舗装道をお別れできそうである。
次第に道は細くなって、土の道になった。鬱蒼とした樹林の中に入って、やがて尾根をたどるようになる。杉の植林の中を下って行くと車道に出た。ここが颪である。車道を左に歩いて行く。川床を岩盤が覆う明智川を右に見ながら車道歩きが続く。このあたりも指導標がなくて心配になった。



 黄梅院
右折、橋を渡って黄梅院を目指す


ショートカット道と間違えた


黄梅院の入口


車道を
1kmほど行くと橋の袂に指導標があって、ここで右折して川を渡り、黄梅院を目指すのだ。でも、地図を見ると、この200mほど先で右の山道に入ると近道できそうな気がする。でも、忠実に自然歩道をたどることにした。とはいえ、車道歩きが延々と続く。
途中すごいヘアピンのカーブがあったので、ショートカットできるのではないかと、ヘアピンのところから階段の道を登ってみた。鉄の手すりもついたしっかりした道なので、安心して登って行った。沢が滝をつくっていて、すごくきれいである。ところが行き止まりであった。引き返すしかなかった。余分な時間をとってしまった。
大平の集落が近づくと、指導標に従って右折する。ここから黄梅院までは600m10分と書いてあった。もうすぐである。
人家のない舗装道を歩いて行く。こんな調子で本当にお寺があるのか心配になってしまう。
緩やかに下って集落が見えて来ると、右に黄梅院への参道があった。時間はもう16時を過ぎている。黄梅院は串原村唯一のお寺なのだそうだ。坂道を登るとりっぱな鐘楼門がある。本堂で手を合わせてすぐに引き返した。
ここから今日泊まる予定の三本松休憩所まで2.6kmもあって、さらに峠越えになるので時間がかかりそうだ。急がないといけない。



 黄梅院から三本松休憩所へ
山に向かって歩いて行く


お堂があった


ここから山道に入る


三本松休憩所


山に向かっての登りになる。道の右下には段々畑が広がっている。指導標がなくて心配だったが、柿沼集落の入口に指導標があってほっとした。急な道を登って行くと、丘の上に御堂がある。石段を上って見ると、たくさんの石仏があった。串原村指定文化財の三十三体の石仏で西国三十三カ所の観音像なのである。御堂の中には明治の廃仏毀釈で中山神社から移されたという木彫十一面観音像が祀られているというのだが、中は見えなかった。
道を上って行くと火の見櫓があって、そこで右折する。ここに立つ指導標には三本松休憩所まで1km30分と書いてあった。もう1645分である。日が暮れる前にテントを張るためには急がなければいけない。
集落の中を歩いて行くと子供と母親が遊んでいて、私が大きなザックを背負って歩いて行くのを怪訝そうに見ていた。こんな日が沈もうという時間に、山に向かって登って行くのだから怪しんであたりまえである。
集落を抜けると、左に峠への上り口があった。山道は階段が組まれていて、これを登って行く。道にそって針金の柵がめぐらしてあった。これは獣除けの高圧電流の流れる柵なのだ。感電しそうなので近寄らないことにしたが、説明板があって、通電するのは夜間だけなのだそうだ。
だいぶ日が傾いてきていて、樹林に入ると薄暗く感じるようになった。
ようやく峠に着いたが、休憩施設が見あたらない。焦ったが、三本松休憩所は自然歩道から少し外れたところにあるのだった。階段を上ると松林の中にベンチが散らばっていた。平らなところがほとんどなくて、テントを張るのに困ってしまった。
狭いのだがなんとか平坦地を探してテントを張ることができた。テントの中に落ち着いたのは1715分であった。


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