東海自然歩道 岐阜の道


三城峠→深萱立場→藤村高札場→深萱神明社古歌碑群→馬茶屋跡→牡丹石→紅坂一里塚→ぴやいと茶屋跡→乱れ橋→首なし地蔵→姫御殿→猿ヶ根立場→宮の前休憩所→威代寺→殿様街道の馬頭観音→お茶屋場跡→夕立山休憩所→神明社休憩所

さらに引き続き中山道を行く。皇女和宮の跡や一里塚、石仏を見ながら辿る道である。宮ノ前から岩村までのコースは「牧場とアルプスをのぞむ道」というだけあって、南アルプスや恵那山のすばらしい展望が待っていた。



 乱れ橋へ
深萱立場に着いた


藤村の高札場


二十二夜塔がたつ鳥居群


送電線を目印に歩いて行く


乱れ橋の入口

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2009年3月29日

林の中の石畳道をどんどん下って、林から抜け出すと集落が広がっている。地図では田尻の集落らしい。田んぼの中の道を行くと中山道の案内板がたっていて、ここは深萱立場というのだ。山形屋という標石のすぐ先で広い車道にでる。少しだけ車道を歩くのだが、そこに高札場があった。藤村の高札場という説明板がたっていて、その横には庚申碑がたっていた。

この高札場の前で車道を横切って小川を渡る。細い田舎道を歩いて行くと、稲荷神社のような赤い鳥居が並んでいて、赤い小さな祠の両脇には石灯籠や二十二夜の碑がたっていた。なにを祀っているのかよくわからない。
ここから左に
200mほど行くと深萱神明神社で、境内には古い句歌碑が集められているというので見に行くことにした。
石碑が14基も並んでいるのだが、親切な説明板があって、どんな歌が刻まれているのか解説してあった。
中山道に戻って、少し行くと民家の前に馬茶屋跡の標柱がたっていた。このコースは歴史の道としてよく整備されているので、こんな標柱がいっぱいたっているのだ。
小川を渡ると山道になる。冬枯れの林に続く道を緩やかに登って行くと、牡丹石の標柱があった。大きな岩があるのかと思ったらそうではなくて、それは地面にあった。足下が岩盤になっていて、そこに牡丹の花のような文様を見ることができるのだ。
さらに緩やかに登って行って、傾斜が緩まったところには紅坂一里塚があった。
この先は畑が広がる明るい道を行くのだが、自分の位置を確認する目印になるものがなくて困った。でも、頭上に送電線が通るので、二万五千分の一の地図で今の位置が確認できた。
夫婦岩跡という標柱があったが、岩はなくなっていた。そして「ぴやいと茶屋跡」は一面畑であった。
四谷の集落に入ったところに「大名街道」の標識があった。この道は岩村藩主が参勤交代のときに自分の領地を行くために開かれたのだ。
集落の中を緩やかに下って行くと、行く手に恵那山を見ることができた。集落を通り抜けて道が左にカーブするところで、自然歩道は車道を離れて直進する。そこに石造りのベンチがあったので休憩することにした。時間はまだ
1140分である。いい天気で、暖かい日差しに中でのんびりしてしまった。
この休憩所には乱れ坂と乱れ橋の説明板があった。
このすぐ先にかかる橋が乱れ橋で、橋がかかっている川は昔は石も押し流すほどの急流であったようで、飛脚たちが出資して橋を架けたのだそうだ。でも、今の小川は本当に小さな川でそんな荒々しい川には見えない。この橋を渡った先の急坂が乱れ坂で、あまりの急坂に大名行列が乱れ、旅人の息が乱れ、女人の裾も乱れるほどであったから乱れ坂の名がついたのだそうだ。



 宮の前へ
猿ヶ根立場


中山道から自然歩道は右に分かれる


中央高速にぶつかる


ゴルフ場から南アルプスがきれいだった


ゴルフ場のネットに沿って行く


やっと休憩所に着いた


休憩したので元気になって出発。乱れ坂というのはどんな険しい坂なのかと心配したのだが、たいしたことはなかった。
500mほど登ったところには屋根だけがかかる御堂があって、そこに「首なし地蔵」がたっている。名前の通り首がなかった。
このすぐ先が祝峠で、そこから左に少し階段を登ると「姫御殿」である。皇女和宮がここで休憩したのである。和宮の前にも、12代将軍徳川家慶に降嫁した「さざの宮」がここで休憩しているのだ。
ここからは樹林の中の静かな道を行く。道端には石仏がたっていたりして、いかにも中山道といった風情の道である。
林に囲まれた広場に着くと、ここが猿ヶ根立場であった。江戸末期までは、ここに9軒もの茶屋が並んでいたそうで、今は古井戸や墓地が残っているだけである。この広場には「伊勢神宮遙拝所」もあった。伊勢神宮にお参りする人はここで中山道と分かれて下街道を西に向かったのだが、伊勢神宮にお参りできない人はここで手を合わせて遙拝したのだという。
ここから300mほど樹林の中を行くと車道に合流して、この車道を150mほど行くと自然歩道は車道から離れて右折する。中山道はまっすぐに車道を行くのだが、東海自然歩道はここで中山道から分かれるのだ。
右に観音堂を見てから南に下って行くと、行く手には恵那山がきれいに見える。
自然歩道は緩やかに下って行き、中央高速道の下をくぐって国道に出る。車がさかんに行き交うのだが、自然歩道のために陸橋が架けられていて、これで国道を渡る。国道を渡るとまた静かな道になった。ため池の湖畔を歩いて、それから山に向かって上って行く。この登りで振り返ると残雪の白い山並みを望むことができた。これは南アルプスなのだ。すばらしくきれいである。
山道を上りきって、平坦になると大きな工場があった。しばらく車道を歩いて行くと、左にゴルフ場がある。ゴルフ場なら開けているので、南アルプスや恵那山がきれいに見えそうである。自然歩道のコースを離れてゴルフ場まで行ってみた。芝生の広がるゴルフ場を望むところに出ると、すばらしい展望が広がっていた。予想通り、南アルプスの眺めがすばらしい。白い山並みを眺めながら、光岳や大河内岳はどれだろうと考えながらしばらく眺めていた。南アルプスの右には恵那山が大きく聳えている。そのすばらしい山容はさすがに日本百名山である。
すっかり楽しくなって、るんるんで自然歩道を歩いて行く。ゴルフ場を隔てる金網に沿って歩いて行ったが、途中で道を間違えてしまった。
分岐には指導標があったのだが、指す方向がすごく曖昧でまっすぐ進むのか、左折するのか判断に迷う立て方だったのだ。左折の道は地図と比較すると違うように思えて、車道を直進してしまったのだ。どんどん下って川を渡ることになって初めて間違いに気がついた。地図で自分の位置を確認するには送電線が役にたった。迷ったときに二万5千分の一の地図はすごく役立つのだ。地図で自然歩道に戻る最短の道を探して、これを歩いて行く。
ようやく自然歩道の指導標に出会ったときはほっとした。
宮ノ前の集落で県道を横断する。渡ったところに新しい東屋とトイレがたっていたので、ここで休憩することにした。道に迷うと、つい焦ってペースを乱してしまって疲れてしまうのだ。時間は1415分になっていた。



 宮の前から神明社休憩所へ
威代寺からの道


東濃牧場入口


石畳が残っていた


牧草地が広がった


夕立山休憩所


神明社の杜


テントを張った


この休憩所のすぐそばに威代寺があるので見に行った。このお寺は観音像が有名らしいが見ることはできなかった。

田んぼに沿って歩いて行くと、すぐに車道に合流する。ここで振り返ると白い南アルプスの山並みを見ることができた。
車道を歩いて行き、小川を渡ってから緩やかに登って行くと左に指導標があった。東濃牧場6kmと書かれていて、ここから細い林道に入るのだ。東海自然歩道のこのコースは「牧場とアルプスのぞむ道」となっているので、名前の通りこれから牧場に向かうのだ。
すぐに右折して檜林の中の道になる。道端に大名街道の説明板があった。岩村藩主が江戸への参勤交代のときに利用した道で、殿様街道とも呼ばれるのだという。
道端には三面の馬頭観音の石仏があった。
鬱蒼とした杉林の中を歩いて行く。道は小さな沢に沿って続いていて、林から抜け出したと思ったら高い土手が壁のように立ちふさがっていた。この土手を二度ターンして登るとため池があった。小ヶ沢池でさっきの土手は小さなダムのようなものである。

ため池は金網が張られていて入れないようになっているのだが、人造湖とは思えないほどひっそりとした山の中の沼という感じであった。金網に沿って歩いて行く。
鬱蒼とした杉林の中の登りが続く。道には石畳が残っていて、殿様街道の面影が残っている。小さな峠に着くと、そこは自然歩道の休憩場所になっていて、ベンチが置かれていた。歴史の道の標柱もたっていて、「お茶屋場跡と松並木跡」と書かれていた。「跡」となっている通り松並木は跡形もなくて、植林の杉林があるだけである。ここから夕立山までは2km35分という指導標がたっていた。もう1540分になっている。
ここで左折して少し行くと林から抜け出して、牧草地が広がった。東濃牧場らしい。
牧草地を右に見ながら歩いて行く。もう16時を過ぎていて、日が傾いてきている。そろそろ泊まる場所を考えなければいけない。
ようやく夕立山休憩所に着いたのは
1615分、自然歩道から少し左に入ったところに新しい東屋がたっていた。夕立山は標高727mの三角点のあるピークなのだが、この休憩所とは違うのだ。でも、休憩所からは南アルプスが展望できるというのでうんと期待していたのだ。
東屋の奥に送電線の鉄塔がたっていて、そこまで行って見ると、遠くに白い雪の山並みが見えた。これが南アルプスである。そして恵那山も大きく見える。期待通りすばらしい眺めであった。
東屋で少し休憩した。休憩しながら夕立山ってどれだろうとあたりを見回したがよくわからなかった。
休憩所からは牧草地が広がる高原のハイキングコースといった感じなのだが、やはりれっきとした殿様街道で、道端には古い道しるべ石や観音像仏、地蔵尊が立っていたりする。
緩やかに下って行くと別荘地が広がった。そのすぐ先で車道に出たが、すぐに左の細い道に入る。再び林の中の山道になった。もう17時を過ぎているのに、薄暗い山道を行くのは心細くなってしまう。
山道を10分ほど歩いたら、ようやく集落が見えてきた。田んぼが広がる中を緩やかに下って行くと、その中に杉木立の小さな丘が見える。これが今夜泊まろうと思っている休憩舎のある神明社であった。
でも、着いてみると東屋はなくてトイレがるだけであった。ここは少し高くなっているので、テントを張ると田んぼの中に点在する民家からよく見えるんだろうと思う。ここにテントを張るのは憚れたので、石段を上って神社の境内まで行ってみた。境内にもテントが張れそうなところはなくて、結局引き返してトイレの前にテントを張った。テントの中に落ち着いたのは17時半である。


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