秩父巡礼の旅 




 小鹿野バス停から大日峠へ
小鹿野バス停にあった宮沢賢治歌碑


目印の小鹿野郵便局


ここで車道を離れて山道に入る


沢を渡ったりする


大日峠

BACK 31番札所 観音院

2009316

昨日の続きを歩く。車は道の駅に置いて、秩父駅から小鹿野行きのバスに乗ることにした。時間は確認してあるので、それにあわせて道の駅から歩いていったのだが、早く着いてしまって15分も待つことになった。
小鹿野のバス停に着いたのは741分。かなり早い。今日の予定は奈良川橋までのつもりだが、状況によっては最終札所まで行ってしまおうと思っている。
バス停から小鹿野のメインストーリーを歩いて行く。ガイドブックの小さな地図には、郵便局のあたりから大日峠への道が分岐すると書いてある。札所でもらったイラストマップは、車でまわる人のためにつくっているようで、歩くための巡礼道は書いていないのだ。
町の中を歩いて行くと、道端には古い石仏や碑がたっていた。
郵便局が見えてきて、ここで注意して巡礼道の札を探したらちゃんとあった。右折して細い道に入る。すぐに庚申塚と刻まれた墓石のような碑があって、ここで左折する。(自信がなかったので、直進したら行き止まりであった。)
行く手には大きな木が聳えている。枝は切り払われてしまって、丸坊主なのだが幹がすごく太くて、古木という感じである。これは欅の木なのだ。
ここから道は緩やかに右にカーブして下って行く。橋がかかっていて、荒川を渡るのだ。
橋からは鬱蒼とした樹林の間を上って行く。平坦な道になると集落の中に入った。車道を歩いているときは巡礼道の札はほとんどないので心配になる。
集落を抜けたところに小さな児童公園があって、そこから左に下る山道がある。これが巡礼道であった。りっぱな指導標がたっていて、大日峠を経て32番へ2.4kmとかいてある。私は集落のなかに入ったとき緩やかな下りになったので、峠を越えたのかと思っていた。本当に大変な峠越えはこれから始まるのだ。
細い山道を下って行くと、沢の流れに降り着いた。ここからは沢の流れを遡って行くのだ。すぐに墓地があって、石仏と、弁財天と刻まれた碑がたっていた。これはさっきの集落の墓地のようである。
流れを遡って行くので、峠に向かって登っているのだということがわかるのだが、ほとんど平坦で、沢の流れを何度も徒渉して行く。丸木を並べた小さな橋がかかっていたり、沢の石を踏んで渡ったりする。
鬱蒼とした杉林の中に入ると、暗くて薄気味悪い。道は細い山道なのだが、石畳のようになってるところもある。遍路道の札が頻繁に下がっているので、道は間違っていないのだが…。

ようやく行く手の杉林が明るくなると赤い幟が見えてきて、大日峠に着いた。山道に入って30分たっていた。峠には名前の通り大日如来の石仏があって、指導標もたっていた。




 大日峠から法性寺へ
峠から山道を下る


車道に出る、ここが柿の久保分岐


集落の中をゆく


仁王門の前に着いた


峠からは下りなので気は楽である。どんどん下って行く。
700mほど下ると、道の左に苔むした墓石が並んでいた。
…と思ったら、すぐに樹林から抜け出して民家が見えてきて、民家の横を過ぎると車道に出た。その角にはお地蔵様と指導標がたっていて、32番まで0.5kmと書いてある。私は車道に出たらすぐ札所だと思っていたので、まだ500mも歩くのかとがっかりしてしまった。
舗装道を下って行く。右手に諏訪神社の鳥居があって、そこから100mほど行くと札所の前であった。ここにはバス停やトイレがあって、ハイキングコースのイラストマップもたっていた。その地図を確認していたら、近所のあばさんが通りかかって、札所は留守だから納経はできないという。札所のお寺が留守にしてしまうことなんかあるのかとびっくりしてしまう。巡礼が途絶えることはない思うのに、そんなことが許されるのかと思ってしまう。ともかくお参りだけはすることにした。
それにしても、りっぱな楼門である。門の両脇には赤い仁王様がたっているので、これは仁王門である。中の仁王様はりっぱな造りであった。
急な石段を上ると納経所がある。本当に留守なのかと思ったら、受付にはたくさん物が並べられている。
そこには朱印を押した納経帳のこの寺のページが何部かおいてあって、「しばらく留守にするので、これをもっていって欲しい」と書き置きがあった。よかった。檀家の誰かが、毎日これを出してくれているようである。
これで納経もできたので、安心してお参りをする。納経所の隣に本堂があるのだが、納札や読経するのは観音堂である。境内を奥に進むと、急な石段の上にりっぱな御堂が見えた。これが観音堂である。
石段の途中には毘沙門堂があった。さらに急な石段を上ると、すごい巨岩が二つ重なってその間にトンネルがある。ここが奥の院の入口らしい。
この前を右に石段を上って観音堂に着く。観音堂には靴を脱いで上がって、正面に立って読経した。観音堂の後ろは岩窟で、たくさんの石仏が置かれていた。
観音堂から石段を下って本堂の前に戻った。ザックと金剛杖はここに置いて登ったのだ。



●宗派

●本尊

●住所



●行程
曹洞宗

聖観音菩薩

秩父郡小鹿野町般若2661
0494(75)3200

31番へ10.3km 33番へ7.5km
●縁起
行基が岩窟の中に自作の観音像を安置したと縁起では伝えていて、さらに弘法大師が巡錫し、大般若経600巻を書写して奉納したともいう。

●堂塔

観音堂から奥の院への岩場づたいの難所と岩窟に並ぶ石仏群、そして登り詰めたところにある「石船や」という名の巨岩がすごい。最大の見所は奥の院である頂上の巨岩に立つ青銅の観音像(岩船観音)。さらにこの巨岩の左端を鎖で這い上がると、岩窟の中に大日如来が祀られている。

 奥の院周遊
奥の院へはまず岩の隙間を抜ける


龍虎岩の岩壁


岩に刻んだ石段を上ってお堂に着いた


大日如来への登り


巨大なスラブをゆく


岩舟観音


岩に刻まれた石段を下った


読経もすんだので、本堂前のベンチに座ってこのお寺の説明を読んだら、この札所の一番のポイントは奥の院だということがわかった。見逃すところであった。ザックを背負って金剛杖を手に奥の院に向かった。さっき見た奥の院の分岐から巨岩をくぐって、山に向かって登って行く。

行く手に断崖が見えてきた。その下に着くと、そこには「竜虎岩 胎内観音」という標識が置かれていた。見上げると岩窟が見えて、そこから鎖が下がっている。一枚岩には足がかりが階段のように刻まれていた。登るしかない。
鎖にすがって登り、その先では簡単な鉄の手すりが続いている。慎重に登って岩窟の前に着いた。そこには小さな壊れかけた御堂がおいてあるのだが、観音像はなかった。怖い思いをして登ってきたのにこれだけか…と思ってしまう。
下りは本当に怖かった。恐る恐る鎖にすがって下って、山道に無事降り立ったときはほっとした。
ここから少しだけ下って、さらに進むと大きな鯨のような岩があって、この横を通りすぎる。そこからはすさまじく急な登りになった。足下は岩盤で、そこに階段が刻まれている。鎖の手すりが設けられているので、これにすがって急登する。
行く手に稜線が見えてきてほっとしたが、そこまではさらに急な登りが待っていた。ようやく登り終えるとそこには岩窟があって、中に石仏が並んでいた。すごくいいお顔の石仏であった。
この岩窟に沿って右に行くと指導標がたっていて、左が岩舟観音、右が大日如来と書いてある。まず大日如来に行くことにした。すさまじい岩尾根で、この痩せた尾根を登って行くと行く手には岩峰がそそり立っている。まさかこれに登るのでは…と思ったら、悪い予感の通りで、この岩峰のうえに大日如来は安置されているのだ。

垂直のような岩壁に鎖が下がっていて、そこには足場が点々とえぐられていた。ともかくこれを登るしかない。鎖にすがって登ると上では鉄の手すりになって、ようやく岩峰の上に立つ。岩屋に大日如来が置かれていた。私のガイドブックには金銅の仏像とあるのだが、金ははげてしまったようで、青銅の仏像であった。ここからの眺めはすごい。でも、足が震えてしまう。市街が少しだけ見るのだが、怖いのですぐに下ることにした。
鎖にすがって恐る恐る下って、ようやく山道に降り立つ。ほっとした。
ここから分岐に引き返して岩舟観音に向かう。
この先には巨大なスラブが横たわっていた。これが岩舟ということらしい。でも私には巨大な鯨の背に思えた。このスラブに沿って緩やかに下って行くと、この先端に観音像がたっていた。巨大な岩の上にたっているので、岩舟観音というのだ。足下までいって見上げると、真っ青な空に向かってたつ観音様はすごくきれいであった。
ここからは遠くに武甲山を見ることができた。
巨岩に沿って引き返す。鞍部に着くと、登ってきた道とは別に、まっすぐに水平に行く踏み跡があったので、この道をすすんだ。そうしたら、うまいことに稜線の岩屋の石仏群の少し下の出た。あとは登ってきた道を引き返すだけである。
本堂の前に戻ったのは10時であった。ここの山門に着いたのは845分だったので、1時間15分もいたことになる。それだけの時間を費やする価値のあるお寺であった。
本堂から石段を下ろうとして、奥の院遙拝場所というのがあった。そこにたって振り返ったら、稜線の樹間に岩舟観音がたっているのが見えた。感動してしまった。


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