秩父巡礼の旅 



 三峰口駅から常明寺へ
三峰口駅行きのバス


三峰口駅


白川橋


橋を渡ると国道にぶつかる


左が贄川宿

BACK 30番札所 法雲寺

2009年315

秩父の道の駅に泊まったのだが、夜中はけっこう寒かった。目が覚めたのは5時半頃である。この時間になると空が明るくなってくるのだ。驚いたことに窓ガラスは凍り付いていた。寒いはずである。秩父ってこんなに寒いのかと驚いてしまう。
7時半に車をスタートさせて小鹿野役場に向かう。今日は三峰口駅から歩き始めてこの小鹿野にゴールするのだ。車をゴール地点に置くことで、歩いている間、バスの時間を気にする必要がなくなるからだ。
役場の前は閑散としていて、安心して車を停めることができた。
三峰口行きのバスは825分なのに時間になってもバスがやってこない。イライラしていたら、830分になってやってきた。乗客は私一人で、途中ではゲートボールの道具をもった婆さんが3人乗っただけである。これだったら赤字だろうなと思ってしまう。
三峰口駅に着くと、バス停にはたくさんの登山者が並んでいた。私と同じように巡礼道を歩く人かと思ったら、これは日本百名山の両神山に登る人たちなのだ。今日は土曜日で、しかも快晴、絶好の登山日和りである。三峰口駅の古い駅舎をゆっくり見たかったが、人がいっぱいなのですぐに歩き始めた。
駅から少し行くと、巡礼道の指導標がたっていた。31番札所まで指導標が完備されていたらいいのだが。

まず荒川を渡る。橋の名前は白川橋で、橋の中程から渓谷を見下ろすと、すごく深い谷になっていた。渡り終えるとと字路でここで右折する。
すぐに歩道橋が見えてきた。ここで道は
字路になっていて、巡礼道は左である。道の入口には贄川宿という大きな標識がたっていた。贄川宿って木曽路にあったと思うが…。
すぐ左に贄川宿観光トイレがある。そして、そこから左に入る細い道がある。「荒川自然遊歩道」の指導標がたっていて、常明寺と書いてあった。私のガイドブックにも、巡礼道は常明寺を通ると書いてあるので、この自然歩道を行くことにした。おかげで贄川宿を通ることはできなくなった。
緩やかに上って行くとすぐに分岐があって、31番へはここで右折するのだが、直進すると常明寺である。寄って行くことにした。そこには御堂が二つ並んでいて、その前には「即道終焉の地」という説明板がたっている。即道というのは、
29番と30番の途中にあった薬師堂の仏像を彫った人だ。
宝筺印塔がたっていた。




 常明寺から道の駅薬師の湯へ
神社があった


県道を横切ると草茫々の道


お堂があるピーク


大指バス停


諏訪神社


あずま山ハイキング道を行く


道の駅薬師の湯


分岐に引き返すと秩父御嵩山の登山口となっている。この道を行ったら、登山することになってしまうのではないかと、少し引き返して車で集配をしているおじさんに道のことを訊いてみた。山に沿った細い道が続いているが、それが巡礼道かどうかはわからないという。ともかく行ってみることにした。

本当にこの道でいいのか心配しながら歩いて行ったが、小さな赤い鳥居のあるところに巡礼道の指導標があった。この道でよかったのだ。そこからは本当に山道で、小さな沢を渡って小学校の横に出る。ここで車道に出たが、緩やかに上って小さな峠を越える。峠には標石があった。
下って行くと県道に出てしまって、あとは車道歩きかと思ったら、思わぬところに巡礼道の指導標がたっていた。県道を右に横切るようにと書いてある。金網の柵があるのだが、よく見たら通れる隙間がある。踏み跡がしっかりしない草茫々の道で、本当にこれでいいのかと疑ってしまう。
枯れ草が覆い被さる荒れた道だが、ちゃんと巡礼道の札が下がっていた。
檜の植林の中を行き、これを抜けると冬枯れの雑木林になった。道はジグザグに沢に向かって下って行く。そういえばこの道の入口に「増水時は迂回すること」と書いてあったので沢を徒渉するのかもしれない。予想通りであった。沢が合流するところで徒渉する。幸い小さな流れだったので、簡単に渡ることができた。でも、そこから指導標がなくなってしまった。踏み跡は続いているので、これをたどって再び徒渉した。
益々心配になった頃、行く手に観音菩薩と書かれた赤い幟が見えた。これは札所によく見る幟なので、道は間違ってないようである。沢に沿って踏み跡を行くと、巡礼道の札が下がっていた。よかった、道は間違っていなかった。

沢を右に徒渉して、それから急な坂を登る。登り切ったところには小さな御堂があった。でも、名前は書いていない。この御堂の前には31番・大指と書いた黄色いプラスチックのパネルがあった。この矢印に従って歩いて行く。民家の庭先ではないかというような所を通って、集落の中の細い道を行く。時々巡礼道の指導標もたっている。暗い檜林を抜けて、緩やかに上ると県道に出た。そこには大指のバス停があった。県道との合流点に巡礼道の指導標はなかった。もしかしたら分岐を見逃したのかもしれない。こうなったら県道を行くしかない。
県道を
10分ほど歩くと、道の駅まで2.5kmの道路標識があった。さらに15分ほど行くと自然遊歩道のイラストマップが立っていて、それによると自然歩道の「小森コース」を行くと、県道を歩かなくてもいいようである。県道を歩くのはいやなのでこのコースを行くことにした。
小森橋を渡ると自然湯歩道の指導標がたっていて、これに従って左の急な道を登って行く。平坦になって集落に入ると、石の鳥居が見えてきた。指導標に書かれていた諏訪神社である。ごく普通の神社に見えるのだがこの神社の歴史は古くて、寛平5年(893)に信州の下諏訪より遷宮したものなのだ。
神社の前を右折して田んぼの中をのんびり歩いて行く。お寺の門のような観光園の入口を左に見て少し行くと「あずま山ハイキング道桜本コース」という標識があった。
このすぐ先には新しい御堂がたっていて、その前には「秩父多葉粉(たばこ)生産の地」という説明板がああった。この宝泉寺付近で採れるタバコは良質で、当時、薩摩の国府・相模の秦野と並び称される名産品だったらしい。でも、御堂の説明はなかった。

ここから少し歩いたら、もう「道の駅薬師の湯」であった。118分になっていた。
少し休憩した。



 道の駅から権五郎峠へ
りっぱな仁王門がある


両神神社


坂戸のバス停


権五郎峠


道の駅からは県道を行くのだが、道の駅のすぐ先にりっぱな山門がある。その門は仁王門で、中には彩色の仁王像がたっていた。門をくぐった中に建っているのは薬師堂であった。石柱には日本三体薬師尊と刻まれている。すごく由緒のある薬師様らしい。
この薬師堂に並んで両神神社があった。日本百名山の両神山の山頂に祠があったが、この神社のものなのだろうか。

このすぐに左に巡礼道があるはずだが…と注意しながら歩いていたったら、役場の手前の交差点に「徒歩コース31番観音院」という標識があった。
両神村役場を過ぎると学校があって、テニスコートの間に指導標を見つけた。本当にこんな道を行くのかヨと思ってしまう。指導標に従って雑木林の中に入ると急な下りになって、ますます心配になった。。
下には薄川が流れていて、下りきったところで板橋を渡る。欄干がなくて、四国でみた潜水橋みたいである。
そこからは雑木林の中の山道を登って行くのだ。途中には自然遊歩道の指導標がたっていて、巡礼道の札も下がっていた。この道は間違っていない。

山道を登り切ると民家の庭先に出た。狭い道を行くとすぐに広い車道に出て、そこには「坂戸」というバス停があった。そのすぐ先に分岐があって、31番札所の案内板がたっていた。
これに従って左の道を行くと、すぐに「竹内いしの墓」という説明板があった。この人は明治の七大孝子に選ばれ緑綬褒章を授かった人なのだ。昔は親孝行というだけでも勲章がもらえたのだ。
車道を緩やかに上って峠を越える。そこには権五郎峠という標識があったが、アスファルトの道の峠で昔の面影はまったくない。




 権五郎峠から31番札所へ
31番道とかかれた石柱


赤い橋を渡ると「たらちね観音」


水子地蔵寺


札所のプレートが並ぶ


31番札所にやっと着いた


峠から車道を下り、橋を渡って右に行く。
500mほど行くと31番道という石柱がたっていて、ここで左の道に入る。車も通れますと書いてあった。
里の中の静かな道を緩やかに上り、それから緩やかに下って橋を渡ると広い車道に出た。左に行ったら
31番と思うのだが自信がない。カンを信じて歩いて行くと、200mほどのところに三十一番入口と刻まれた古い石柱がたっていた。安永(1772〜1780)という年号も刻まれていた。ともかくこの道で間違いないことがわかったので安心した。
5分ほどで行く手に赤い橋が見えてきて、赤い幟も見える。もう札所に着いたのかと喜んだが間違いであった。「たらちね観音」というコンクリート造りの御堂があって、赤い幟には「南無金剛遍上」と書いてあった。秩父札所の幟は「南無観音世菩薩」である。ここには大日堂もあった。中を覗いたら、鎮座する大日様はけっこうすばらしい仏像であった。
沢の流れに沿って車道が続いている。緩やかだが登りが続き、ちょっと疲れてきた。
行く手に異様な風景が広がった。斜面いっぱいに小さなお地蔵様が並んでいて、そのひとつひとつに風車がつけられている。風が吹くと風車がいっせいに回る。不気味としかいいようがない。
ここが水子地蔵寺であった。
地蔵寺のすぐ先はトンネルである。トンネルを抜けて林の中の車道を行くと、道端にはお寺の名前を書いたパネルが並ぶようになった。西国三十三ヶ寺、板東三十三ヶ寺、そして秩父三十四ヶ寺と続き、このパネルが終わった処が31番観音院の入口であった。
入口には仁王門があるのだが、すごい安普請である。屋根の下左右に石造りの大きな仁王様がたっていた。

やっと着いたと喜んだのもつかの間、ここからはすさまじく急な階段が続きいている。260段ほどあるらしい。手すりと金剛杖にすがって、息をきらせて登って行く。
階段にそって、巡礼者が詠んだらしい句碑がならんでいる。急な階段の右はすさまじく急峻な谷になっていて、そこには巨岩がいくつもひっかかっている。いまにも崩れ落ちそうで怖い。

ようやく階段終わると、右に観音堂がたっていた。コンクリート造りである。苦労して長い距離を歩いて来たのに、ありがたみがない…。でも、後ろにはすさまじい断崖が聳えていた。その左の岩は黒く濡れている。これが聖浄の滝であった。豪快に流れ落ちる滝ではないのだ。滝壺らしきところに雨のように降り落ちてそれが小さな虹をつくっていた。これを滝といっていいのだろうか。もしかして、雨が降った後なんかだったら普通の滝になるのかもしれない。その時にみたいものである。




●宗派

●本尊

●住所



●行程
曹洞宗

聖観音菩薩

秩父郡小鹿野町飯田観音2211
0494(75)3300


30番へ18.1km 32番へ10.3km
●縁起
行基作とされる本尊の聖観音は平将門の乱の際、行方知れずになったが、その後、畠山重忠が霊夢のお告げでこの地に狩りにに来て、鷲の巣の中から聖観音を見つけ出した。奇縁を感じて堂宇を建立して、一門残らず帰依したという。
●堂塔
秩父34霊場の中で最も険しい難所に建つ寺で、観音堂は標高698mの観音山の中腹にあって、296段の長い石段を登らなければいけない。観音堂の左後ろの崖から高さ60mの「聖浄の滝」滝が落ちていて、滝壺には不動明王が祀られている。



 奥の院
矢抜け穴


芭蕉句碑がたつ展望台


石段を登ってゆく


岩窟の中には石仏群


このお寺には「西奥の院」と「東奥の院」があるのだ。参道の左に絶壁が聳えていて、その岩に刻まれた階段と鎖が下がっている。これが西奥の院への道なのだが、崩落が激しくて通行止めになっていた。読経を終えて納経所にいって訊いたら、東奥の院は大丈夫らしい。

さっそく行ってみた。
納経所の横の道を行くと、新生代第3紀の地層があった。新生代第3紀というのは人類が発生した時である。
ここから急な階段を上るとお地蔵様が並んでいた。ここで道は二つに分かれている。どっちへ行っても一周してここに戻ってくるのだ。
私は見晴台が見える右の道を行くことにした。すぐに宝筺印塔のたつ御堂の前に着く。ここは展望台になっていて、「矢抜け穴」をみることができるのだ。最初気がつかなかったのだが、目を凝らすと1kmほど先の山の上に小さく穴が空いているのが見えた。
この広場には香塚という芭蕉の句碑がある。

清く聞かん 耳に香たいて 子規(ほととぎす

この秩父ではいろんなところで芭蕉の句碑をみるのだが、実際ここで芭蕉が句を詠んだのではないのだ。

ここからは西奥の院の断崖の眺めがすごい。
鉄のテスリに沿って急な岩道を下って行くと、ところどころに石仏が置かれている。観音像、不動明王像、そしてそれらと一緒に必ず弘法大師像が置かれていた。
下って行くと大きな岩窟があって、その中にたくさんの仏像が置かれていた。この岩窟の前には「畠山重忠駒繋ぎ場」という標識がたっていた。こんな断崖のとちゅうに馬を繋ぐことができるのかと思ってしまう。
ここからは登りになって、すぐに分岐に戻った。

もう一度観音堂の前に戻って、左にある磨崖仏を見に行った。さざれた岩肌で仏像なんて見えない。摩耗して消えてしまったのかとあきらめかけたのだが、岩肌をよく見たら、本当に小さな仏がいくつも並んでいた。私は大きな仏像の浮き彫りを期待していたのだ。



 観音院から小鹿野町へ
急な石段を下って引き返す


国道299号線に出た


埼玉の砂防発祥地碑


県道37号線との交差点


31
番を後にしたのは1330分を過ぎていた。次の札所までは10km以上あるので、3時間半ほどかかる。今日は車を置いてある小鹿野役場で巡礼を終わることにした。
急な階段を下って仁王門の前に戻った。あとは車道を引き返すだけである。
国道299号線に出たのは1414分、ここから31番までは2.7kmと書いてあった。
この交差点には御堂があって、なかに薬師さまが置かれていた。
国道をのんびり歩いて行くと、ときどき石仏が並んでいる。
大きな橋を渡ったら、そこには「埼玉砂防発祥の地」という石碑があった。埼玉県の最初の砂防ダムが造られたところなのだろうか。
県道37号線との十字路に着いたのは1432分、この十字路を渡るとすぐに右に入る細い道があって、そこには石仏がならんでいて巡礼道の札も下がっていた。
この細い道を歩いて行くと、やがて小鹿野のメインストリートに出た。ところが、人がほとんど通っていない。お店のほとんどのシャッターが閉まっている。なんか寂しい町である。町を歩いて行くと、宿場町のような古い民家があったりする。この写真を撮りながら歩いて行って、役場の前に戻ったのは155分であった。駐車場は私の他に1台停まっているだけであった。あまり迷惑をかけずにすんだようだ。
あとは車を走らせて「道の駅ちちぶ」に向かったが、途中マクドに寄って、記録をパソコン入力した。今、1840分になったところである。


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