■真言宗豊山派 ■開基/弘法大師
■御本尊/三面千手観世音菩薩
金剛福寺は四国最南端の足摺岬にたつ。堂々たる大寺で、境内には本堂・大師堂・愛染堂・不動堂・弁天堂・多宝塔・宿坊などの伽藍が並ぶ。
     ■第37番札所 岩本寺から 87.0km
     ■高知県土佐清水市足摺岬214-1
     ■TEL 08808-8-0038


BACK 37番 岩本寺


41日(16日目)

6時半にテントを撤収した。
公園の駐車場には車の中で寝ている人もいた。トイレで水を補給して歩き始める。
私が目指す次の札所金剛福寺は足摺岬の先端にある。岩本寺からは87kmもあって、3日かかってしまうのだ。今日も途中のどこかで泊まるしかない。
土佐の国の札所は「修行の道場」というのだが、まさしくその通りで、歩き遍路には過酷な道である。
今日のコースには目玉がある。四万十川を渡るのだ。これを私はものすごく楽しみにしている。そして、この四万十川を渡るにあたっては一つのコダワリがある。渡し舟で四万十川を渡りたいのだ。
日本最後の清流といわれるこの川を渡し舟で渡る、ロマンではないか。
ともかく、今日はこのことだけを楽しみに長い国道歩きに耐えるつもりである。
公園から国道に上がって歩いて行くと、すぐに展望台がある。ここからは朝日がようやく昇り始めた黒潮の海を見ることができた。
1時間ほど歩いて井ノ崎手前の休憩所に着いた。ここで少し休憩して、トンネルを抜ける。
土佐上川口の手前を歩いて行くと、向こうからきた車の人に声をかけられた。この向こうにお接待所があるので、寄ってやってくださいというのだ。
上川口の集落を通りすぎてしまって、さっきの人が言っていた接待所は気づかずに過ぎてしまったのかと思っていたら、赤い旗が何本も立っているの見つけた。これが接待所であった。
この赤い旗というのは接待所の共通のものらしくて、旗には「南無大師遍照金剛」と書かれているのだ。
接待所に入ってみたが誰もいない。テーブルの上にはたくさんお菓子が盆に盛られている。コーヒーとかお茶も用意されていた。誰もいないし、無断でそれらを食べるわけにもいかないし…と座って休んでいたら、さっきの車の人が戻ってきた。ここの御主人なのだ。
御主人を含めて3人のひとが車からおりてきた。
御主人に「どうして遍路をしているのか」訊かれた。なんでも妻に逃げられたとか、人生をはかなんでやって来る人がけっこう多いらしいのだ。
残念ながら、私は旅と歩くことが好きで遍路をしてるとしか答えようがない。3人のうちの一人は韓国の人、もう一人は若者なのだが大峰山の修験者らしい。
ここに40ほどいて、御主人のいろんな話しを聞いていた。

945分に出発。海沿いの国道をのんびり歩いてゆくと、大きな公園があった。これも昨日テントを張った公園と同じ「土佐西南大規模公園」で、ここは浮鞭地区なのだ。
ここで少し休みながら地図を見たら、ここが分岐であることがわかった。そのまま国道を行ってしまうところであった。
国道から左の公園の中に入って、その遊歩道のような道を行く。公園を過ぎ、立派な橋を渡ってから松林の中の道に入る。
松林を抜けて県道42号線に出た。今まで歩いていた国道は中村に向かって続いているので、国道とは別れることになる。国道に設置された1km毎の標識がなくなった…。
田野浦の集落に着いたのは1135分、渡し舟には1420分というのがある。なんとかこれに乗りたいと思っている。しかし、この田野浦の集落からはまだ10kmほど歩かなければいけないのだ。なんかギリギリになってきた。
さらに心配なことがある。渡し舟の定員は13人である。もし満員で乗れなかったらどうなるんだろう。11時35分の次の便は1650分なのだ。電話をかけて船長さんに訊いてみたら、乗るのはいつも2〜3人程度だか心配しなくてもいいということであった。
ともかく時間がなくなってきたので、走るようにして行く。
ここから2時間、アップダウンを繰り返す海沿いの道をひたすら急いだ。
このあたりの海ではサーフィンをしている人達を多く見た。入り江の砂浜には波が大きくうねりながら打ち寄せてくる。サーフィンには最適な波のようだ。まだ4月の初めだというのに四国は夏か…。
ようやく下田町が見えてきた。町の中を抜けて、船着き場に着いたのは1335分であった。急いで歩いてきたので、本当に疲れた。
待合の椅子に座って、足を揉んでいた。
1410分頃、船長さんがやってきた。まだ出航時間前だというのに、船に乗れといって、乗り込んだらさっと出航してしまった。まだ1415分で、5分早く出航してしまった。
結局、この時間に渡し舟に乗ったのは私一人であった。
船の甲板に長い角材が置かれていて、これに座る。
風を切って船は進む。川水が大きくうねる。四万十川の水はすばらしくきれいで、その波を切って船は進む。最高の気分である。上流を眺めると、はるか彼方に四万十大橋が小さく見えた。
対岸に着いたのは1425分、船はすぐに引き返していった。
ここからはのんびり歩いて行く。
川に沿って歩いて行き、橋を渡ったところで、左の四万十川支流の川岸の道を歩く。ところがこれは間違いであった。道が踏み跡のようで、最期に消えてしまった。
引き返して広い道を行くと指導標があった。
細い遍路道を10分ほど歩いて、国道321号線に出る。
ダラダラと登って行く道で、峠付近では2kmほどの長いトンネルを抜ける。このトンネルから出て少し行くと「ドライブイン水車小屋」である。4時半になっていた。
ここはガイドブックに野宿可能と書かれているところで、トイレの隣の休憩舎は野宿には快適な施設であった。比較的新しくて気持ちよく泊まれそうである。
でも、私はもう少し先まで行こうと思う。
下の加江までいって、ここにテントを張り、明日は空身で足摺岬を往復し、もう一度、この下の加江にテントを張りたいと思っている。
ドライブインから国道を下って行く。相当疲れてきていて、足が痛い。
下の加江の町には1720分ぐらいに入った。1745分郵便局の前で休憩。
どこにテントを張ろうかと迷いながら歩いて行く。下の加江川にかかる橋を渡って、その突き当たりに接待所があった。6時を過ぎていて、接待所の玄関は閉まっていた。頼んで開けてもらって、テントが張れるところを訊いた。ついでに明日、ザックを預かってもらえないかとお願いした。明日一日で足摺岬を往復するつもりだと言ったら、ここの奥さんに止められた。往復50kmもあるから、無理ではないかというのだ。
ともかくお願いしてザックを預かってもらうのを了解してもらった。
テントサイトはこの先の高校の後ろにそれらしき場所があるということであった。
行ってみたら、そこには新しいトイレがあって、中にはシャワールームまでついている。その隣には炊事場の施設もあるのだ。ここから海岸に出ることができて、この施設は海水浴客のためのものなのだろう。
ともかく立派なキャンプ施設ともいえるので、ここにテントを張った。


42日(17日目)

今日は足摺岬までを往復するのだ。45kmを踏破しなければいけない。
空身で歩くのだが、12時間はかかる覚悟が必要だ。
4時半に起きてパッキングをして、キャンプ地を出たのは615分。携帯で調べた今日の天気は雨である。ザックは置いて行くので、最初から雨具のズボンを履いた。そして最低限の荷物をシュラフ袋に入れる。持ったのはヘッドライト(帰りは暗くなるはずだ)・ビニールポンチョ・地図・水・パンで、これを肩にかける。菅笠を被り、白衣を着て金剛杖を持つ。本当にお遍路のかっこうになった。(今まではザックを背負っているので、白衣は着ていなかったし、菅笠はザックにつかえるので被っていなかったのだ)
昨日の接待所「一心庵」に行ったら、奥さんがキッチンにいた。
挨拶をして、ザックを預かってもらった。そうしたらキャンディを一掴みくれて、食べながら行きなさいと言ってくれた。
接待所を出たのは6時半、足摺に続く国道321号線を歩いて行く。
岬の峠を越えると大きく入り込んだ湾があって、この湾に流れ込む川を渡る。ここが久百々の集落であった。ここには遍路道の指導標がたっていて、国道から離れる道を案内している。この指導標の親切なのは、国道を通って場合と遍路道を通った場合のそれぞれの時間が書いてあるのだ。どっちが近いかということがわかって、ものすごく便利である。私はそのまま国道を行く。
大岐海岸に着いたのは735分、ここまでの5.8kmの道を1時間で歩いてきたことになる。空身は違う。
国道からは長く真っ直ぐに続く砂浜を見ることができる。国道から砂浜に降りて、この海岸を歩く。この海岸線は2km弱の長さがあるのだ。わざと波打ち際を歩いた。打ち寄せる波を見ながら、砂を踏んで歩いて行く。
振り返ると、砂浜に私の足跡だけが続いている。四国を歩いているという実感がする。なにかしら心が洗われるようである。
砂浜の尽きたところで、小さな流れを渡って、岩場を登る。もう一度この海岸を振り返った。この海辺の遍路道はすばらしい。
岩場を登ると車道に出て、再び国道に合流する。10分ほど行くと幡陽小学校があって、そのそばにバス停がある。野宿できそうな立派なバス停で、ここで少し休憩した。
少し行くと大きな石柱が立っていて、遍路道の指導標であった。この道に入り、細い道を行くと、以布利の港に着く。神社の左をさらに海に沿って歩いて行くと、砂浜に出てしまう。行く手には大きな岩の洞窟が見えてきて、本当にこんな道でいいのかと思ったら、洞窟の前で右に曲がって今度は樹林の中を登る。
ようやく車道に出たが、すぐにまた山道のような遍路道に入る。急な山道を下って、谷底に着くとそこには小さな橋がかかっていた。ガイドブックには「以布利遍路橋」と仰々しく書いてあったのだが、かわいらしい橋である。二度車道を横切って行くが、途中の樹林の道には椿が多かった。道の上には椿の花がたくさん散っている。こんな雰囲気も好きだ。
お墓の横を通って再び車道に出る。この道は今朝から歩いてきた国道ではなく、県道27号線である。あとはひたすらこの県道を歩いて行く。
9時半、窪津の港に着いた。橋を渡ってから、正面に立ち塞がる壁のような斜面につけられた階段をジグザグに登る。振り返ると港の景色が一望できた。
登り切って平坦な道になると、田んぼの中を少し歩いて再び県道に合流。
雨具のズボンをはいて歩いているのだが、ちっとも雨は降りそうもない。
津呂の集落には1015分に着いた。ここには「津呂おへんろ宿泊所」があったが、先を急ぐので立ち寄らなかった。
ひたすら車道を歩いて行く。単調な道であきてくるし、疲れても来る。
自分がどのあたりを歩いているのかもわからなくなってくる。ちょうど「ペンションサンライズ」の看板を見つけて、自分が足摺岬の2kmまでのところにいるのがわかった。11時少し前になっていた。
もう少しである、頑張らなくては…。
遍路道に入って急な道を下る。再び車道を歩いて行くと大きな駐車場があった。そこはもう足摺岬であった。1140分であった。
ここにはジョン万次郎の銅像が立っている。
札所に参拝するまえに足摺岬の展望台に行ってみた。断崖絶壁の上に立つ灯台を眺めることができて、その絶壁の下には太平洋の荒波が激しく打ち寄せていた。地の果てに来たという感じである。
さて、3日がかりでやってきた足摺岬の札所、金剛福寺にお参りをする。
納経所に行って朱印をもらったら、そこのおばさんに「歩きですか」と訊かれた。そうですといったら、使ってくださいと手ぬぐいをくれた。感謝。
境内から出て、お土産屋さんで絵葉書を買って手紙を書いていたら、雨がポツポツと降り出した。天気予報は当たった。雨はどんどん激しくなって、どしゃ降りになった。
駐車場のトイレに逃げ込んで様子を見る。小雨になるのを待って、ポンチョを被って出発した。出発は12時半。
来た道を単純に引き返すだけである。
雨は小ぶりになったが、降ったり止んだりの天気であった。
一度通って来た道はつまらない。以布利港は1530分に通過、帰りも大岐の海岸を歩いた。そうすると、向こうから色とりどりの服の団体が歩いてきた。
これはお遍路の団体で、色とりどりなのは雨具を着ていたからなのだ。
最期の区間は本当に疲れ果ててしまった。雨の中、道端に座り込んで休憩したりして、下ノ加江に着いたのは545分であった。
接待所でザックを受け取る前に買い出しに行った。今日のがんばりにビールで乾杯したかったが、酒屋がわからなくて、酒は準備できなかった。
接待所でザックを受け取ったら、奥さんが2本の巻き寿司を作ってくれていて、それをもらった。ありがとうございます。
昨日の場所に戻って、今日は炊事場の屋根の下にテントを張った。
今日は本当に頑張った。このおかげで、予定をかなり前倒しで消化することができて、8日宇和島を目指していたが、大洲まで行けることになった。
これからは、かなり余裕のある歩き方ができそうである。


NEXT 39番 観自在寺



公園の展望台から


浪が打ち寄せる


海岸に沿って歩いて行く


ここで1時間ほど話していた


土佐西南大規模公園の中の橋を渡る


公園から松林に入る


四万十川の渡し場


四万十川の渡し場


渡し舟に乗った(私のザック)


ドライブイン水車


お世話になった一心庵さん


テントを張った公園


海を見ながら足摺岬をめざす


大岐浜に下る


大岐海岸、砂浜が5.8km続く


以布利の砂浜から樹林の中へ


以布利遍路道



窪津の港


津呂お遍路宿泊所


こんな道標が立っている。便利


中浜万次郎像


金剛福寺に着いた


境内に多宝塔がある





四国遍路の旅TOP My日本の山  My日本の道  日本の旅  私の写真館









inserted by FC2 system