■真言宗智山派 ■開基/行基
■御本尊/不動明王・観世音菩薩・
阿弥陀如来・薬師如来・地蔵菩薩
弘法大師の七不思議が伝わり、天平年間に開創された古寺であるが、本堂は昭和53年に建立されたもの。本堂内陣の天井には洋画・日本画・ちぎり絵などの絵が飾られている。
     ■第36番札所 青龍寺から 65.5km
     ■高知県窪川町茂串町3-13
     ■TEL 0880-22-0376


BACK 36番 青龍寺


330日(14日目)

今日はひたすら歩かなければいけない。昨日、豪華なすごし方をしてしまったのだから、今日は頑張るのだ。
国民宿舎からの出発は620分。朝日を浴びて、横浪半島の縦走開始である。
道路は海からかなり高いところを通っていて、半島の海岸線の眺めがすばらしい。
くろしお展望公園に着いたのは8時少し前であった。ここには武市半平太の銅像が立っている。武市というのは坂本竜馬の同輩で、土佐勤王党の盟主である。竜馬は土佐藩を捨てたのだが、武市は藩に残って土佐を変えようとした。でも、藩主山内容堂の怒りをかって、切腹して果てるのだ。演劇の月形半平太のモデルである。
この公園を過ぎると道は下りになって、横浪運動公園の前を通ってさらに行くと、県道23号線に合流した。
この県道歩きは長く感じた。朝は元気だったのだが、だいぶ疲れが出てきている。
歩いて行くと道端にポストのようなものがあって、そこにこれから通過する須崎の市街地の近道の地図が入っていた。
コンビニでおにぎりを買って店の前で食べていたら、昨日国民宿舎で同部屋だった若者に会った。私を追い越して行ったのだが、異様に速いピッチで、なんか素人の歩き方である。大間の町の手前まで行ったところでこの若者に追いついた。心配した通り、道端でバテていた。
国道56号線に合流して須崎の町に入って行く。
「道の駅かわうその里すさき」に着いたのは1時少し前である。ここで土佐の名物「かつおたたき丼」を食べることにした。がむしゃらに歩くだけではつまらないではないか。
…でもあまり美味しくなかった。道の駅の中の店で食べたのは失敗だった。
いくつかのトンネルを抜けて県道を歩いて行く。左に無人の安和駅を見て、さらに行くと焼坂峠を越える遍路道の分岐がある。でも、私はこれを通らずにそのまま国道を行って、長い焼坂トンネルを抜けた。疲れている…。
途中のポストでもらった地図には、道の駅から七子峠までは10kmと書かれていたが、これは大間違いである。それを信じた私がバカだった。本当は17kmほどあるのだ。
焼坂休憩舎は私の今夜の野宿の候補だったが、県道沿いの駐車場にある東屋で、とてもテントを張ることはできない。
峠からは長いゆるやかな下りで、やがて土佐久礼の町に入る。昨日国民宿舎の支配人からは、この土佐久礼駅が野宿にいいと聞いたのだが、まだ4時である。
駅の手前にコンビニとスーパーがあったので、ここで今夜の食料の買い出しをした。
土佐久礼をすぎると野宿候補がないのだが、とりあえず七子峠を目指すことにした。食糧も準備できたし、峠だったらテントを張れるスペースくらいあるだろうと思って先を急ぐ。
歩いて行くと、峠まで6kmと書かれた指導標が立っていた。この指導標は1kmごとにたてられていて、クタクタになって歩いている私には、ずいぶんと励ましになった。
峠に着いたのは615分である。展望台があって、そこから遠くの町並みが展望できる。でも、風が強くて寒かった。
テントを張れそうなところを探したら小高い丘があって、そこにお堂の屋根が見えた。ここに登ってみたら、お堂の前にテントが張れそうである。
ここにテントをい張ることにした。


331日(15日目)

昨夜のテントサイトはよかった。ゆっくり眠ることもできた。
テントを撤収してからお堂に手を合わせて、神様にお礼をいった。
さて、朝早い道を下って行く。峠には野良犬なのだろうか、犬が一匹いて、それが私の後をしばらくついてきたが、かまってやらないものだからあきらめて峠に引き返していった。
峠からは急な下りと思っていたのだが、ほとんど下って行かない。道は高いところを通っていくのだ。
峠から50分ほどで影野駅に着いた。ここで少し休憩する。この駅は無人で中は広い。野宿するにはぴったりの駅である。
県道歩きが続く。
1時間歩いて仁井田駅に着いた。この駅は野宿可能とガイドブックに書かれていたのだが、今は不可になっていた。切符売り場にはおばあさんが座っていて、売店もやってるみたいである。
駅から30分ほど行くと「道の駅あぐり」なのだが、ここには立ち寄らずに通過してしまった。37番札所の岩本寺まではもう2kmほどなのだ。
県道から分かれて窪川の町の中に入って行く。
まずトンネルを抜けて、それから左折して、JR線路に沿って歩いて行くと窪川駅がある。さらにまっすぐに行くと岩本寺のはずなのだが、なかなか着かない。
間違えたかと思って、通りがかりのおばあさんに道を訊いたら親切に教えてくれて、おまけにお賽銭をくれるという。200円もらったのだが、このお金はおばあさんに代わって岩本寺にあげてきたらいいのかと思ったら、私にジュースでも買って飲んでくれということなのだそうだ。恵んでもらってしまった。感謝。
民家の間の向こうに仁王門がたっている。仁王門をくぐると左には歓喜天の円形の御堂がたっていて、その横に大師堂がある。正面の本堂には鮮やかな赤の欄干がめぐらされていて、その赤さが古い本堂にすごく不釣合いな気がしてしまう。
本堂に入ると参拝するスペースが広くて、見上げると素人が書いた天井絵が一面に飾られている。
本堂の左横には仏足石があった。これも新しいもので、金色に彩色されている。でもこの文様は私がしっているものとはずいぶん違う。転宝輪印はいいとして魚の文様はいったいナンナノダと思ってしまう。
岩本寺で参拝していると、納経所の横に売店があると書かかれていた。
売店を覗いたら、そこには私が欲しかった「へんろみち保存協会」編の地図帳が売られていた。
何度もふれたが、私のもっているガイドブックの地図は縮尺が粗くて、コースの判断がむずかしいのだ。この地図を
2500円で買った。これからはもう道に迷うことはなくなるはずだ。ただ、この地図の欠点は大きくてかさばるということである。この地図を手に持って歩いている遍路は多い。手がふさがるのはいかにも嫌である。なんか工夫が必要だ。
ともかく、これを手にして岩本寺を10時半に出発した。

1時間半ほど歩くと「大観峰」と書かれた看板があった。そこが登山口らしい。五在所峰のことで、山と見るとつい登りたくなってしまう。しかし、長いアスファルトの道を歩いていると、そんな元気もまったく残っていない。
ここから車道を離れて遍路道に入る。すごい下りの山道である。七子峠から下りがないのを不思議に思っていたのだが、ずうと高原を歩いていて、今ようやく下りになったというわけである。
土の道を歩くのは久しぶりで、足底の感覚がまったく違う。うれしくなってくる。
遍路道は国道のトンネルの上を横切って、さらに急降下する。かなり下ってようやく国道に合流する。
国道を3kmほど歩くと、ニュー佐賀温泉という建物があった。足も痛いので、この温泉で休んで行くことにした。四国唯一の高濃度を誇る天然温泉なのだそうだ。
この温泉で1時間ほど足の底を揉み続けていた。
出発は3時過ぎになった。さて、今夜はどこに泊まろうかと考えながら歩いて行く。温泉から10kmほどのところに「土佐西南大規模公園佐賀地区」というすごい名前の公園がある。
今夜はこの公園でテントを張ることに決めて、国道をひたすら歩く。温泉で足をマッサージしたので調子はいい。
土佐佐賀の町に入って、スーパーを見つけ、ここで今夜の食糧を買出した。さらにウィスキーがなくなったので、酒屋さんを探して、ビールとウィスキーを買った。今夜の食糧は豊富である。
佐賀の町を抜けて、岬に向かって国道をゆるやかに登って行く。
日が暮れて、吹く風が冷たくなってきた。買い物袋を下げて歩いてゆくのだが、かなり疲れている。
国道から一段下に広い公園が見えてきた。これがあの長ったらしい名前の公園である。
この公園の広い芝生の広場に置かれたベンチの横にテントを張った。


NEXT 38番 金剛福寺



横浪半島のきれいな景色を見ながら行く


くろしお展望公園


すばらしい展望が続く


道の駅かわうその里すさき


焼坂休憩所


七子峠に登って行く


お堂の横にテントを張った


影野駅


仁井田駅


道の駅あぐり


ようやく岩本寺に着いた


久しぶりに土の道を歩く


ニュー佐賀温泉


土佐佐賀駅


長い名の公園にテントを張った


i岩本寺参拝




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