■真言宗豊山派 ■開基弘法大師
■御本尊/薬師如来

東寺と呼ばれる最御崎寺に対して、この寺は「西寺」と呼ばれ、大同2年(807)に嵯峨天皇の勅願によって弘法大師が開基した。
     ■第25番札所 津照寺から 4.0km
     ■高知県室戸市元乙523
     ■TEL 0887-23-0026


BACK 25番 津照寺


3月25日(九日目)

さて、次の
26番札所金剛頂寺は津照寺から4kmほどである。国道に向かって引き返そうと思って歩き始めたら、F君に道が違うといわれた。引き返さずに、このまま市街地を抜けてゆくのが遍路道なのだ。
室戸の市街地を抜けて行くのだが、その途中の港には紀貫之の碑がある。紀貫之はもちろん土佐日記の作者で、彼が都に上るときにこのあたりで長い間停泊したりしているのだ。津照寺の手前にも泊舟地の碑があった。
海沿いの国道を行く。
右手には山がすぐそばまで迫っているのだが、その視界が開けると、川の流れの向こうに小高い山が見えて、その頂上付近にお堂のようなものが見える。まさかあんな山の上にあるんじゃないだろうな、と思っていたら、まさしくこれが
26番札所であった。
車道を登って行くとT字路があって、よくみるとT字路の突き当たりに細い道があって十字路になったいる。これが遍路道で、途中から山道になった。
きつい登りで、路傍にはあと
300m200mと指導標が立っている。本当に登山道と同じである。
長い石段を登ってたどり着いた境内は、広々としていて、本堂も大きく立派なものであった。

金剛頂寺で参拝をすまして、次に向かう。来た道は引き返さず、西に向かって下って行く。集落の中や畑の中、果樹園の中を通って行く道で、細かに曲がって行かなければいけない。でも、こういう細かな道順のときは、本当に親切に遍路道の指導標が置かれていて迷うことがないのだ。
下ってきて国道55号線に着くと、その向こうに道の駅があった。
「道の駅キメラッセ室戸」で、ここには「クジラ館」もあるのだ。ただしクジラ館は休館中だった。
ここからはひたすら海岸沿いに歩くだけである。次の札所までは30kmもあるのだ。
国道を1時間ほど歩いたら、突然、吉良川の観光駐車場があった。

ここには「旧街並み保存区域」があって、土佐独特の蔵造りの建物を見ることができるのだ。もちろん立ち寄ることにした。国道から右折して市街地の中の道に入る。
本当に昔ながらの家並みがあって、写真をたくさん撮ってしまった。
この吉良川の町を抜けて1時間ほど歩くと羽根町、けっこう大きな町で、この街を抜けたところから中山峠越えの道がある。でも、私は疲れ果てているので峠越えは遠慮させてもらって、そのまま国道を進んで羽根岬を目指した。
左に土佐湾の雄大な海を見ながら行くのだが、ともかく今日は寒い。風も強くて手が凍えるので軍手をして歩かなければいけなかった。
羽根岬にはトイレと東屋があって野宿適地になっているのだが、風が強くてとてもテントを張れる状況ではない。ここにも紀寛之の碑がたっていた。
さて、もう4時を過ぎた。ここが駄目なら今日はどこに泊まろう。
ガイドブックには7kmほど先に二十三士温泉があって、その前の公園に野宿ができると書かれている。温泉だ。ここでゆっくりして、遅くなってからテントを張ればいい。元気が出てきた。
奈半利の街に入る。かなり大きな賑やかな町である。
奈半利川を渡って行くと、右に温泉らしき灯かりが見えてきた。やっと着いた。時間は7時になろうとしていた。疲れた。
温泉には9時までいて、サウナで痛む足を揉み続けていた。
9時半、川原におりてゆくと公園の敷地は芝生になっていて、ベンチの横にテントを張った。


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札所に向って登る途中から海が見えた


男坂を登って山門へ


道の駅キメラッセ室戸


吉良川の独特な蔵造りの家


吉良川の独特な蔵造りの家

羽根岬の紀貫之歌碑
羽根ならば とぶがごとくに
都へもがな



テントを張った二十三士公園





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