BACK 26番 金剛頂寺
3月26日(十日目)
朝、6時に起きてパッキング、出発は7時過ぎ。
昨日、2時間も温泉にいて足を揉み続けていたので調子はいい。
国道を歩いて行くと、すぐに二十三士の墓があった。それで、「竜馬がゆく」の小説を思い出して、あの二十三士かと納得した。明治維新を推進したのは薩摩・長州・土佐であったが、土佐では武市半平太が主宰した「土佐勤皇党」その魁をするのだ。ところが、彼等は藩によって弾圧される。その犠牲になったのがこの二十三士なのだ。写真を撮った。
1時間半ほど歩くと右に入る指導標があって、ここから札所までは4kmである。集落の中の道を行くと鉄道の高架の下に分岐の指導標がたっていた。神峯寺まではここから往復することになるのだ。本当は重いザックを置いて空身で往復したいのだが、それもできない。ともかく札所を目指して登って行くことにする。
曲がりくねった車道を登って行くが、マイクロバスが何台も私を追い越していった。この道はかなり狭くて、バスのような大型車は入れなため、団体の参拝者はマイクロバスに乗り換えてやってきているようなのだ。
分岐があって遍路道の山道に入る。ここから1.3kmである。
本当に急な道で予定以上に時間がかかってしまった。
再び車道に出てこれを登って行くと、あのひげの先達に会った。彼は若い遍路を4人引き連れていて、みんな空身であった。先達が荷物を預ける適当なところを教えたのかもしれない。簡単に挨拶をしてすれ違った。
駐車場に着く。
やっと着いたと思ったら、ここからさらに参道を登らなければいけないのだった。駐車場の片隅にザックを置いて空身で登って行った。
山門があって、本堂にはさらに急な坂を登る。
まず鐘をついたが、今は団体がいなくて納経所が空いているので先に納経をしてしまった。それから本堂と大師堂にお参りする。順序が逆なのだが、いつ団体がやってくるかわからないので、自衛である。
参拝を済ませて、登って来た道を引き返す。鉄道の高架下まで戻って、ここが分岐になるので少し休憩した。ここには大きな看板がたっていて、よさこい節のエピソードが書かれていた。「土佐の高知のはりまや橋で、坊さんかんざし買うを見た」というのは実際にあったことで、その坊さんがかんざしを贈ったお馬さんはこのあたりの人なんだそうだ。
遍路道を歩いてゆくと「唐の浜駅」があった。新しい駅で、十分野宿できそうな駅舎なのだが、野宿は禁止されているのだそうだ。
12時、国道55号線に出た。下山岬に向かう。この岬への道は峠のようになっていて、ゆるやかに登って行く。そうしたら、前をあの髭のベテラン遍路に率いられた集団が歩いて行く。めんどうなので、ここで休憩することにした。峠にはちょうど食堂があって、定食が500円となっている。おまけに「遍路は割り引きします」と書かれていた。ここで昼食をとることにした。450円であった。
道の駅大山を過ぎて、さらに1時間ほど行くと大きな川を渡る。これが伊尾木川で、安芸市はもうすぐである。
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朝の二十三士温泉
二十三士の墓
向うの山の上が札所
神峯寺への登山道
道の駅大山
井尾木川手前にあった東屋
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