奥の細道を往く 
【元禄2年4月17日高久滞在】
【4月18日高久から湯本へ】(太陽暦6月5日)

高久(高福寺の芭蕉句碑→芭蕉塚)→道の駅那須高原友愛の森→一軒茶屋→那須湯本  【17kmうち5kmは馬】

芭蕉は雨のため、高久にもう一泊してそれから那須湯本に向かったのだ。このとき、馬で松子村まで送ってもらっている。私は黒羽から湯本まで通しで歩いたのでヨレヨレになってしまった。


 高久の高福寺
小さな川を渡って高久の集落へ


高福寺

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2008年4月2日

集落の入口には高福寺がある。ここには芭蕉の句碑があるというので立ち寄った。杉並木の立派な参道があって、その奥に新しい本堂がたっていた。境内の真ん中に石灯篭と碑がたっていた。これが芭蕉の句碑だと思うのだが、文字が達筆すぎて何と書いてあるのかわからない。曾良日記でそれらしき句を探すと、


  落くるや たかくの宿の 時鳥 (翁)
  木の間をのぞく 短夜の雨 (曾良)


という句であることがわかった。この句は泊めてもらった高久覚佐衛門にお礼として贈った句なのだ。ここで少し休憩したのだが、時間は14時半になっていた。高久から那須湯本までは17km4時間以上かかるので到着は日が暮れてからになりそうだ。ここにテントを張ったほうがいいのかとも思ったが、計画通り、那須湯元まで行くことにした。




 芭蕉翁塚
高久の集落を行く


芭蕉塚


高福寺の近くには、芭蕉が宿泊した高久家の跡があるはずである。集落の中を行くと、すぐに大きな門構えの家があった。でも、表札は相馬とかいてあって、案内板もたっていない。
地元の人とすれ違ったので訊いてみたら、もっと先なのだそうだ。
普通の農家があって、その左の樹林の斜面の入口に「芭蕉翁塚」という石柱がたっていた。芭蕉が泊まったのは名主の覚佐衛門宅で、黒羽の桃雪からの紹介によるものだったらしい。城代家老の紹介なのだから名主の覚佐衛門もちゃんともてなしたのだろうと思う。芭蕉は翌日雨だったのでもう一日ここに滞在している。
階段を登ったところには屋根がかけられた碑がたっていた。碑には「芭蕉庵桃青君碑」と刻まれている。この碑は芭蕉没61年後に覚佐衛門の孫がたてたもので、そのとき俳句も埋めたので「杜鵑の墓」とも呼ばれるらしい。
集落を過ぎたところに団地があって、そこに左に入る細い道がある。交差点には石碑と小さな祠が置かれていた。
山間の道を通って、再び県道にでると15分ほどで東北自動車道を橋で渡った。行く手には那須連峰が大きく見えるようになった。




 那須湯本へ
道には看板がいっぱい


しゃれたレストランが立ち並ぶ道


那須湯本まで6km


一軒茶屋に着いたら真っ暗


東北自動車道を渡った先の集落が松子である。芭蕉は高久からここまで馬で送ってもらったのだ。
那須湯本まで
12kmの標識を見たのは1545分、まだ3時間以上歩かなければいけないのだ。那須湯本が近づくにつれて、しゃれた造りのレストランやお店が目立つようになった。那須は観光地であり別荘地でもあるので、道にはたくさんのお店の看板がたっているのだ。
「道の駅那須高原友愛の森」に着いたのは17時であった。この道の駅で40分ほど休憩した。もう、疲れはてていて、湯本には何時に着いてもいいやという気分になっている。
道の駅から歩きはじめるとすぐに、那須湯本まで6kmの道標があった。
道の駅を駅を出たときは薄暗かったのだが、すぐに真っ暗になってしまった。
夜道をひたすら歩いて行く。所々で歩道部分がなくなるので、その区間は灯りをつけて歩いた。一軒茶屋という追分に着いたのは1850分、明日はここまで戻って、それから右の道を行くのだ。追分には昔、茶屋があったというのだが、今はコンビニが2軒たっていた。コンビニで食料を買って、バス停のベンチで休憩。真っ暗な中、向かいのコンビニの灯りを頼りに軽く食べた。
あとは、ひたすら夜道を歩き続ける。いつのまにか道は上りになっていて、しだいにホテルが多くなってきた。坂道を上って行き、橋を渡って湯本の町の中に入る。この頃からテントを張れそうなところを探しながら行くのだが、適当なところがない。どんどん上ってゆくと、道には雪が残るようになった。やっぱり湯本は那須山の麓だけあって標高はそれなりに高いのだ。(標高800mほどである。)
人通りの絶えた温泉街の坂道を行き、テントを張る場所が見つからないままに那須温泉神社まで来てしまった。境内は真っ暗で、白い雪におおわれていた。神社の境内にもテントを張ることができなくて、とうとう殺生石の入口まで来てしまった。駐車場の奥にトイレがあって、ラッキーなことにその建物の一郭は休憩施設になっていた。テントを張る十分なスペースがある。なんとか屋根のあるところにテントを張ることができた。時間はもう21時を過ぎていた。疲れた。やっぱり高久で泊まるべきだった。


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