奥の細道を往く 
【元禄2年4月16日】(太陽暦6月3日)

玉藻神社→野間→樋沢神社(八幡太郎義家愛馬の蹄跡)→鍋掛一里塚→鍋掛宿(清川地蔵→八坂神社の芭蕉の句碑)→那珂川→堀越宿(浄泉寺の境界石)→芦の又→高久  【18kmうち9kmは馬】

芭蕉は黒羽で13日ものんびりしてから、那須湯本に向かった。このとき桃雪は馬を出してくれて、芭蕉は野間の集落まで馬で行ったのだ。


 鍋掛集落へ
のどかな田園を行く


八龍神社前


野間に着いた


鍋掛一里塚入口

BACK 黒羽を散策

2008年4月2日(水)

犬追物との交差点に戻って、県道を北に歩いて行く。

1kmほど行くと、Y字路に馬頭観音の碑があって横には「おくの細道」と刻まれた石柱だたっていた。300mほどで再び県道に戻ったが、田畑の間の田舎道で広大な那須野を実感する道であった。
アスファルトの道をひたすら歩いて行く。
今日は快晴で暖かで、遮るもののない広大な田園風景がきれいである。
1050分頃に八龍神社の前に着いた。ここから野間までは1.5kmほどのはずである。少し休憩。どんな神社なのか参拝しようかと思ったが、急な坂道を上らなければいけないので止めてしまった。(…軟弱者です)
林におおわれた小高い丘に沿って歩いて行き、これが途切れたところを右の細い道に入る。二万五千分の一の地図には道として表示されているのだが、途中から田んぼの畦道になってしまった。それでも行く手には私が目指す県道がしっかり見えるので、畦道をあちこちたどって何とかこの道に出ることができた。
県道に出たところが野間である。芭蕉は黒羽を出るとき、城代家老の桃雪から馬を提供してもらって、ここまでは馬に乗ってきたのだ。このとき馬子が芭蕉に句を所望して、与えたのが「野を横に 馬牽むけよ ほとヽぎす」である。
ここまでは北西に向かってきたのだが、これからは北東に向かって鍋掛の集落を目指す。
20分ほど行くと緩やかな上りになって、朽ちかけた鳥居がたつ「樋沢神社」に着いた。ここに立つ案内板によると境内には葛籠石と八幡太郎義家愛馬蹄跡」があるのだそうだ。後三年の役(1083-1087)で陸奥平定に向うときに八幡太郎はこの樋沢村を通ったらしい。
長い石段を登って社殿の前の広場に着くと、その左に大きな石が置かれていた。よく見たのだが、どこが蹄の跡なのかわからなかった。それにこの石の横にあるという葛籠石もどれなのかわからなかった。
樋沢神社の少し先には「鍋掛の一里塚」がある。県道の左に急な石段があって、これを上ると小さな広場に一里塚らしい盛り上がりと碑がたっていた。この樋沢一里塚は奥州街道41番目のもので、江戸から161kmということになる。でも、この一里塚はここから11mほど東にあったものを、道路拡張工事のときにここに移転させたのだそうだ。



 鍋掛から高久へ
清川地蔵


那珂川を渡る


浄泉寺の境界石


芦の又集落に入る


JRの線路をくぐって高久へ


一里塚から
5分ほどで鍋掛の集落に入る。集落の入口の十字路には清川地蔵があったのでお参りした。
鍋掛は奥羽州街道の宿場町で、その町の中に八坂神社がある。通りに面した公園のような境内で、その閑散とした広場に小さな御堂があるだけなのだ。
お堂の前には芭蕉の句碑と鍋掛宿の説明板がたっている。


  野を横に 馬牽むけよ ほとヽぎす

の句であった。句碑は文化5年(1808)の古いものである。
鍋掛宿を過ぎると、すぐに那珂川を渡って左折する。そこには芦野まで8kmという道路標識があった。でも、芭蕉は高久経由で那須湯本まで行って、それから引き返して芦野に向かったのだ。まっすぐ芦野に行ったらいいのに…と、うらめしく思ってしまった。
那珂川を渡ったら堀越の集落で、この中に浄泉寺がある。付近は奥羽州街道の史跡の案内標が整備されて、親切な説明板があちこちにたてられているのだ。浄泉寺には「黒羽領境界石」があるというので、立ち寄ることにした。
長い石段を登って境内に入ると、右の隅に大きな古い石柱がたっている。これが境界石であった。私がさっき通ってきた鍋掛宿は幕府領で、那珂川を渡ったこちら側が黒羽領なのだ。この石柱は鍋掛宿にたてられていたのだが、大正になってから保存のためにここに移されたのだそうだ。

県道に戻ってまっすぐに歩いて行くと、道が右にカーブしてゆく。方角が違うと思って地図で確認すると、この道は奥羽州街道で、芦野に向かう道であった。那須湯本へは、この手前の三叉路で左折しなければいけなかったのだ。
田畑が広がる広大な那須野を歩いて行く。空は青く晴れ渡っていて、行く手には白い雪をいただいた山塊が見える。那須連峰なのだ。ヤマヤの私としてはうれしくなってしまう景色である。
アスファルトの道をひたすら歩いて行くと、車が停まって、私に道を間違えていますよと声を掛けてくれる人がいた。この人は私が奥羽州街道を歩いているのだと思ったのだ。奥州街道を歩く人って多いのだろうか。親切な人である。
行く手に美しい那須連峰を眺め、道端に古い石仏や馬頭観音の碑などを見ながら行く快適な道が続く
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時間半ほど那須野を歩き続けて、ようやく芦の又の集落に着いた。このすぐ先でJRの東北本線路をトンネルで渡る。続いて新幹線と国道4号線の高架をくぐって高久の集落に入った。


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