BACK 黒羽を散策
2008年4月2日(水)
犬追物との交差点に戻って、県道を北に歩いて行く。
1kmほど行くと、Y字路に馬頭観音の碑があって横には「おくの細道」と刻まれた石柱だたっていた。300mほどで再び県道に戻ったが、田畑の間の田舎道で広大な那須野を実感する道であった。
アスファルトの道をひたすら歩いて行く。今日は快晴で暖かで、遮るもののない広大な田園風景がきれいである。
10時50分頃に八龍神社の前に着いた。ここから野間までは1.5kmほどのはずである。少し休憩。どんな神社なのか参拝しようかと思ったが、急な坂道を上らなければいけないので止めてしまった。(…軟弱者です)
林におおわれた小高い丘に沿って歩いて行き、これが途切れたところを右の細い道に入る。二万五千分の一の地図には道として表示されているのだが、途中から田んぼの畦道になってしまった。それでも行く手には私が目指す県道がしっかり見えるので、畦道をあちこちたどって何とかこの道に出ることができた。
県道に出たところが野間である。芭蕉は黒羽を出るとき、城代家老の桃雪から馬を提供してもらって、ここまでは馬に乗ってきたのだ。このとき馬子が芭蕉に句を所望して、与えたのが「野を横に
馬牽むけよ ほとヽぎす」である。
ここまでは北西に向かってきたのだが、これからは北東に向かって鍋掛の集落を目指す。
20分ほど行くと緩やかな上りになって、朽ちかけた鳥居がたつ「樋沢神社」に着いた。ここに立つ案内板によると境内には葛籠石と八幡太郎義家愛馬蹄跡」があるのだそうだ。後三年の役(1083-1087)で陸奥平定に向うときに八幡太郎はこの樋沢村を通ったらしい。
長い石段を登って社殿の前の広場に着くと、その左に大きな石が置かれていた。よく見たのだが、どこが蹄の跡なのかわからなかった。それにこの石の横にあるという葛籠石もどれなのかわからなかった。
樋沢神社の少し先には「鍋掛の一里塚」がある。県道の左に急な石段があって、これを上ると小さな広場に一里塚らしい盛り上がりと碑がたっていた。この樋沢一里塚は奥州街道41番目のもので、江戸から161kmということになる。でも、この一里塚はここから11mほど東にあったものを、道路拡張工事のときにここに移転させたのだそうだ。
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