BACK 高野山から水ヶ峯へ
2010年11月24日
なかなか寝付けずにいたのだが、いつの間にか眠り込んでしまって、目が覚めたら7時半になっていた。あわてて、お湯を沸かして朝食の準備をしたりで、パッキングを終えたら8時40分を過ぎていた。7時には出発するつもりだったのに、すごく遅くなってしまった。
車道を歩いて行く。道ばたには「熊野街道 至十津川」という木札の案内がたっているのだ。私が歩いているのは「タイノ原線林道」というらしくて、その開通記念碑がたっていた。この林道を20分ほど歩くと指導標があって、林道から右に下るのだった。やっとアスファルトの道とおさらばできると喜んだのだが、5分ほど歩いたらまた舗装道に出てしまった。
でも、この林道歩きは5分ほどで、平の辻に着いた。ここには木の下にお地蔵様がたっていた。
ここで林道と分かれて地道を歩いて行く。15分ほど歩いたところで、道ばたにお地蔵様がたっていた。樹林の尾根道で、やっと熊野古道らしくなった。
ここから10分ほど歩くとまた林道に出て、5分ほど歩いたら大きな看板が見えてきた。林道に沿って階段が設けられているのだが、その手前で左に下る道がある。ここに立つ看板は旅館や民宿のものなのだが、よく見ると、この左の細い道が大股への道であった。
枯れ葉が厚くつもった道をどんどん下って行く。杉林から抜け出すと畑が広がっていて、そこには石仏が置かれていた。
電流の通った柵に沿って下って、車道に降り立つ。この車道を右に少し行くと、トイレと駐車場があった。そのすぐ先には橋があって、その前に大股という標識と、世界遺産熊野古道の案内板がたっていた。
時間は10時を少し過ぎている。ここからは伯母子岳への登りになるので、ここで少し休憩することにした。
出発は10時20分、橋を渡って大股の集落に入る。すぐに民家の間の急な登りになり。コンクリート壁には小辺路の標識があった。これは見覚えがある。2000年、初めて伯母子岳に登ったとき、ここから登り始めたのだった。10年経っても、まったく変わっていないのに驚いた。
→2000年伯母子岳登山
すさまじく急な坂道を上って行く。集落を抜け出したところで振り返ると、川原樋川の流れと集落が一望できた。さらに急な坂を登って行くと石仏群があって、その向こうに墓地があった。このすぐ先で樹林の中に入る。
樹林の中をジグザグに急登する。ザックは重いし、急坂は続くしで、たいへんな登山である。45分ほど急登を続けると、行く手が明るくなって、ようやく平坦地に着く。ここが萱小屋跡であった…と思ったら、小屋がちゃんと建っている。今、工事の真っ最中であった。指導標も「跡」ではなくて「萱小屋」となっていた。
この先は傾斜が緩やかになった。暖かい日差しの中、のんびりと歩いて行く。冬枯れた雑木林や杉林を抜けて歩いて行く。小屋から1時間ほどで桧峠に着いた。まったく平坦で、峠の雰囲気はないのだが、立っている指導標で峠と知った。ここには、弘法大師が捨てた箸が桧になったという伝説があるのだが、その桧は跡形もなかった。
|