伯母子峠→旅籠上西家跡→水ヶ元茶屋跡→侍平→三田谷橋→腰抜田→三浦口バス停→吊り橋

伯母子峠から三田谷橋に向かって下ってゆく。この道は昔の熊古道の面影を色濃く残していて、茶屋や旅籠などの跡がいくつも残っているのだ。
この日は伯母子岳を越えたりしたものだから、すっかり遅くなって、緊急に吊り橋の袂にテントを張ることになってしまった。

 伯母子峠から水ヶ元茶屋跡へ

これが水場?


迂回路があった


旅籠上西家跡


分岐があった


尾根の上を行く


水ヶ元茶屋跡

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20101124

伯母子峠からの降り口にたつ指導標には三田谷まで
12kmと書かれている。でも、熊野古道の標石には三田谷橋まで8.3kmとなっているのだ。
どっちが本当なのだろうと思ってしまう。下り始めたのは
1350分である。
冬枯れの雑木林の中を下って、傾斜がゆるまると伯母子岳の山腹をトラバースする道になる。伯母子峠には水場5分の標識があったのだが、途中に谷が落ち込んでいて、そこに小さな流れがあった。これが2カ所あった。水場ってこれのことかどうかはわからない。
このトラバース道はけっこう狭いうえに、谷側は崖になっていたりで緊張させられるのだ。
20分ほど行くと、トラバースが終わって尾根を行くようになる。
10分ほど行ったら突然迂回路の標識があった。真っ直ぐに歩いて行っても問題ないのだが、本道が通行できないときは迂回路を使ってくださいと書いてある。どういうことなんだろうと思いながらも本道を行くと、たしかにすごく細くてロープが張られた危ない箇所があった。でも、問題なく通行できて、そのすぐ先にさっきの迂回路の合流点があった。この迂回路はいったい何だったんだろう。
ここから
5分ほど行くと、広い平坦地に着いた。苔むした石垣が残っていて、ここが「旅籠上西家跡」であった。昔はずいぶん栄えた旅籠だったらしい。
この平坦地の先で、道は二つに分かれる。これは旧道と新道で、旧道は最近になって復活させた熊野古道であるらしい。ガイドブックには二つのコースを紹介しているのだが、新道には木の枝が重ねられて通行不能になっていた。私はもともと、旧道を行くつもりだったからかまわないのだが…。
でも、この旧道はここから山の上に向かって急登するのだった。ここまではずうっと下りでラクだったのに、この登りはきつかった。
ようやく山の上に登り着く。ここからは尾根の上を行くのだ。新道は山の斜面につけられたトラバース道のようで、地図を見ると山襞に沿って曲がりくねって続いている。それに比べて旧道は真っ直ぐで距離が短い…と思ったら、尾根の上を行くためアップダウンを繰り返すのだ。
ピークから急な尾根道を下って行くと、熊野古道の標石がたっていた。でも、この標石の矢印はとんでもない方向を指していた。この指導標に従ったら道に迷ってしまうのではないかと思ってしまった。

傾斜がゆるまって、樹林の尾根を歩いて行くと、行く手に大きな山が立ちふさがっている。これを越えるのかと、顔がひきつってしまったが、尾根が山に向かって登り始めるところに標石があって、ここから左の巻き道を行くのだった。よかった。ここから三田谷橋までは5kmとなっていた。
鬱蒼とした杉林の巻き道を行く。15分ほどで巻き道が終わると、こんどは丸太の階段を右に下って行くのだった。傾斜がゆるまって、再びトラバース道を行くようになると、枯れ葉のつもった斜面に続く緩やかな道になった。でも、厚く積もった枯れ葉で道がはっきりしないのには困った。
ようやく平坦な尾根の上に出ると、祠があった。ここが水ヶ元茶屋跡で、祠の中には弘法大師像が安置されていた。



 三浦口へ

急斜面をトラバースしてゆく


尾根に登り着く


三田橋まで900mのお地蔵様


ジグザグに丸太の階段を下る


三田谷橋に着いた


ここにテントを張った


水ヶ元茶屋跡の先は急な山の斜面につけられたトラバース道であった。

15
分ほど行くと、正面に熊野古道の標石がたっていて、ここで右折するのだ。ここから三田谷橋までは2.6kmとなっていた。もう少しだ…と思ったのだが、すごく遠かった。
右折したら急な登りになった。尾根に向かって急登するのだ。息を切らせて登って、ようやく尾根の上に着く。1535分になっているので、ここにベンチのような丸太が置かれているので、休憩することにした。
杉林の尾根を10分ほど下ると、道は石畳になった。これが復元された熊野古道のメダマである。この石畳道はけっこう長く続いていた。
断続的に続く石畳を
15分ほど下ると古い石段があって、これを下ったところに「侍平」の説明板がたっていた。ここで振り返ったら、けっこう古い石垣が残っているのに気がついた。
侍平から丸太の階段を下ったりして3分ほど行くと、お地蔵様がたっていた。道しるべでもあって、熊野古道の文字が刻まれている。ここから三田谷橋まではもう900mであった。
鬱蒼とした樹林の中をどんどん下って行く。ジグザグの丸太の階段を下ったりして、20分ほどで大きな川が見えてきた。そして赤い橋が見える。これが目指す川原樋川にかかる三田谷橋であった。
急下降すると標石がたっていて、その前に道しるべ地蔵がたっている。ここは新道との合流点であった。新道は広くてしっかりした道に見えるのだが、通行不可の標識があった。

ここから少し下ると車道に降り立つ。伯母子岳登山口のりっぱな標識がたっていた。
すぐに赤い三田谷橋を渡って、集落の中に入る。少し行ったところにトイレがあった。
車道を歩いて行くとトンネルがあって、これを抜けたところに平維盛の墓、腰抜田の説明版があった。平維盛の墓ってどこにあるんだ…と探したが見つからない。この案内板から右道に入ると県指定文化財の辻家住宅があった。その奥の山の斜面にお堂が見える。これが平維盛の墓らしいのだが、登って行く道は見つからなくてあきらめた。
車道を下って行くと、腰抜田の碑がたっていた。

さらに車道を5分ほど行くと、三浦口のバス停があってそのすぐ先に三浦峠登り口の指導標がある。民家の間の細い道を下ると長い吊り橋があった。この吊り橋を渡ったところに三浦峠登山口があった。時間はもう17時を過ぎて暗くなっている。仕方がないので、ここにテントを張ってしまうことにした。
テントを張ろうとしていたら、中学生くらいの女の子がやって来た。この上に民家が2軒あって、そこが自分の家なのだそうだが、ともかく、上にはテントの張れる場所はないという。やっぱりここにテントを張ってしまうしかない。
23時頃懐中電灯を照らしてテントの横を通って行く人がいた。家に帰る人らしい。



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