栃木14.風土記のみち
国分寺跡、下野国庁跡、紫式部の墓、古墳群…私の大好きな古代のロマンを歩くコースである。
コース
野州大塚駅→25分→大神神社→25分→丸山古墳→15分→下野国庁跡→25分→大光寺橋→10分→蓮華寺→15分→国分寺跡→10分→国分尼寺→15分→紫式部の墓→15分→琵琶塚古墳→20分→紫橋→10分→御使者橋→25分→小金井駅
合計3時間30分 歩行距離 12.5km

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1999年1月31日

神社をふたつ経由して、次のコースにつながる。

この後半の方が楽しみにしていたところ。
まず下野総社、室の八島にいく。ここには芭蕉が奥の細道で立ち寄っている。
どんな名勝かと思ったら、まったくたいしたことがない。
でも、昔は、みちのくへの玄関として、また京都なんかの貴族は東国にあこがれているようなところがあって、万葉集なんかでも多く詠まれているのだ。
ともかく、今は見る影もない。
室の八嶋というのは、神社の境内に池があって、そこに八つの島が有り、その夫々の島に社が建っている。ただそれだけのものである。一応、その島を全部回ってみた。これが歌枕になるほどの名勝とはどうしても思えない。
いささかがっかりしながら、次に向かう。
ここで道をまちがえてしまった。最近新しい道路ができて、それに沿って歩いてしまったのだ。方向がどうしてもおかしいので気が付いた。
遠回りをしてしまった。
南をさして歩く。次の目的は下野国府跡である。2度いったことがある。
途中、観音山古墳というのがあった。円墳である。
今は、小高く盛り上がっていて、そこにお堂が建っていた。その下に石仏が並んでいた。これが、けっこう絵になっている。
以前訪れたときは写真を撮っていなかったので、今日はしっかりと撮らせてもらった。
曲がりくねった田んぼの中の道を歩いていくと、突然国府跡の歴史館の前に出た。
ここで少し休憩。なんか、足底が痛くなってきた。これくらいの距離で足が痛くなるなんて情けない話しだが、今、リハビリ中だから仕方がないか。
それと、歩いている道がほとんどアスファルトの舗装された道である。これはどうも良くない。15分ほど休んだ。
この下野歴史館には2度来ている。一度は休館の日で、2度目のときにしっかりと見学させてもらった。
この歴史館の裏手が、国府の建物を再現してある。
この工事にはかなりの経費をかけて、こった造りをしたらしくて、それが歴史館のビデオで見れる。
昔のこうしたりっぱな建物も、今残っているのは礎石だけである。
凸凹した礎石の上にどうして柱を据えつけるのかと不思議に思っていたら、ビデオで了解した。礎石の凹凸に合わせて、柱の下を削るのだった。
国府跡からは田んぼの中を歩きつづけて、下野国分寺跡に向かう。

 →奥の細道 小山から下野国庁跡へ

この行程はけっこう長い。
思川を渡る。
どこをどう歩いているのかよく分からないうちに、国分寺跡に着いた。
看板はあるが何も残っていない。礎石すら無い。
そこから、10分ほど歩くと「風土記の丘記念館」である。ここも1度見に来ている。
中に入ったが、あまり気が乗らない。けっこう疲れているのだ。
この記念館のすぐ側に、国分尼寺跡がある。ここはきれいに整備されていて、礎石が置いてある。ただしこれはレプリカのようだ。
ここから防人の道を歩いて、紫式部の墓に向かった。
防人の道というのは、林の中の道で、その林の木の幹に万葉の歌が書かれた木札が掛けられている。
紫式部の墓というのは、このあたりの地名が紫ということで、昔の人がかってに墓を作ったらしい。墓は五輪の塔が2基並んでいてずいぶん古いもののようだ。室町時代とか…。
紫式部の墓から、次に古墳を見に行く。栃木県では最大の前方後円墳という琵琶塚古墳である。
道に迷ってしまった。
それでも古墳の上に登れた。上には祠があった。
日がだいぶ傾いてきた。
あとは小金井駅に向かうだけである。
この最後の道がけっこう長く感じられた。
薄暗くなるころ、ようやく小金井駅に着いた。疲れた。足の底にまめができたかもしれない。


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大神神社入口


芭蕉の句碑


道端には庚申碑が多い


下野国庁跡公園


下野国庁跡にある宮野辺神社


思川を渡る


蓮華寺


下野国分寺跡


JR小金井駅





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