東海自然歩道 愛知の道


東屋→御門杉→御鞍岩→トロミルの水車→猿投山麓園地→大悲殿→猿投神社本宮→棒の手広場→大池→昭和の森→キャラメルの丘→いっぷく峠→西広瀬城址→広梅橋

このコースの一番のお薦めは昭和の森である。私が訪れたときは桜が満開で、春の花々が咲き誇っていた。是非、花がきれいなときに家族で遊びに行って欲しいと思う。



 猿投神社
泊まった東屋


車道に出た。左の巨木が御門杉


山麓園地


猿投神社


拝殿


BACK 猿投山

200947

昨夜は温かくて、よく眠ることができた。やっと春らしい気温になってきたのだ。
今朝の出発も7時を少し過ぎた頃。照葉樹林の中をどんどん下って行くと、15分ほどで舗装道に出た。これを横切って5分ほど下ると、再び舗装道が見えてきて、その手前に杉の巨木が聳えていた。これが「御門杉」であった。猿投神社奥の院の入口に立つ杉なのでこの名がついているのだ。もう一つ標識があって、それには熊が出没しているらしくて、目撃情報が書かれていた。山の中でテントを張ったのだが、ヤバカッタかもしれない。
ここからは舗装道を下って行くだけである。すぐに家の屋根のような三角の岩があった。「お倉(鞍)岩」という標識がたっていた。
傾斜も緩まって、のんびり舗装道を歩いて行くと鉄の水車とコンクリート造りの水車小屋があった。「トロミル水車」というらしいが、やっぱり水車小屋は茅葺きで、木の水車でなければ…、興ざめである。
ここから10分ほど歩くと広い駐車場があった。観光園地で、ここは猿投山登山者のための駐車場なのだ。トイレもあって、水を補給することができた。この広い駐車場の向かいには猿投山東昌寺(大悲殿)があるので行ってみた。本尊は行基作の千手観音というのだが、本堂の中に入ることはできなかった。まだ8時前なのだ。だけど、境内には石仏がたくさんあって、そんなに古いものではないだが見てまわってけっこう楽しかった。
駐車場から歩いて行くと右には森が続いている。これは猿投神社の杜であった。5分ほど杜に沿って行くと神社の入口があった。正面の参道へはもっと歩いてから回り込まなければいけないのだが、横から境内に入ってしまうことにする。
この猿投神社は、美濃地方の守護だった大碓命を中心にその父景行天皇、祖父崇神天皇を祀っているのだ。大碓命というのは日本武尊の双子の兄で、乱暴者だったヤマトタケルに殺されてしまうのだ。昨日、猿投山頂から下ってくる途中で立ち寄った東宮、西宮と併せて「猿投三社大明神」と呼ばれていたらしい。
境内に入るとすぐに鐘楼がある。…と思ったら、ここは神社なのでこれは太鼓楼なのだ。境内の真ん中には回廊があった。…と思ったら、これは拝殿なのだ。細長いので回廊と間違えてしまう。神社正面には中門があって、その中に社殿が並んでいる。
中門の横にはたくさんの絵馬が架けられていた。よく見ると、その絵馬はすべて鎌のかたちをしている。言い伝えでは双子の場合、一方が左遣いであり、大碓命が小碓命(日本武尊)と双生児であることから左鎌が奉納されるようになったのだという。
本殿に手を合わせて参道を歩いて行く。総門をくぐって境内から出ると、車が行き交う広い車道であった。


  
  

 昭和の森から西広瀬へ
棒の手広場


大池


東屋があった


交流館


西広瀬に着いた


生田商店前の指導標


さてここから自然歩道は迂回路を行かなければいけない。本来の道は猿投神社から南に下って、東海環状自動車道の高架をくぐってから左折して昭和の森を目指すのだが、この道はすべて通行止めなのだ。迂回路は神社から国道
419号線を東に2kmほど歩いたところで右折して、昭和の森を目指すのだ。迂回路で困るのは指導標が整備されていないことである。こんなときは用意した二万五千分の一地図と磁石が役立つことになる。
神社から10分ほど国道を歩くと「猿投棒の手ふれあい広場」という標識があった。りっぱな施設で、中庭には銅像がいくつかたっている。その一つが「棒の手」であった。棒の手というのはこの地方の郷土芸能で、長さ2mの棒でチャンバラをする踊りなのだ。
ここから少し行くと右に大きな池があった。地図で確認したら「大池」というのだ。見た目の通りの名前なのだ。
さらに国道を20分ほど行くとコンビニのある交差点に着いた。ここで右折して南に向かうと5分ほどで自然歩道の指導標があった。指導標は期待していなかったのに助かった。指導標に従って右に入ると、明るい雑木林の中を行くようになって、15分ほどで東屋やベンチなどがある休憩所に着いた。ここはもう昭和の森の園内なのだ。
フィールドアスレチックのゲートのすぐ先で、鋭角に右折する。アスファルトの道が続いていて、これを歩いて行くと、右に大きな池があった。池畔には満開の桜の木や、鮮やかな新緑の木々が生えている。すばらしく気持ちのいい道である。車道から左に入ると梢だけの林が続く。ところどころに満開の桜の木がある。再び車道に出るとそこには「交流館」という建物があった。中に入ってみたら森林に関する展示物があった。
交流館の向いには「平成子どもの丘」があって、緑の芝生の丘に遊具施設が点在している。家族で遊びにくるにはぴったりのところである。
満開の桜並木を20分ほど歩いて行くと指導標のたつ交差点に着いた。ここで昭和の森のエリアからは抜け出すことになる。
雑木林の中にアスファルトの道が続いている。道の右の森は昭和の森で、所々に昭和の道の遊歩道入口という標識がたっていた。畑が広がるようになると、集落が見えてきて広い車道に出た。でも自然歩道は車道を横切って再び雑木林の山道を行く。10分ほど行くとベンチの置かれた休憩所に着いた。キャラメルの丘という標識があった。西広瀬小児童会がたてた看板である。
さらに雑木林の中を15分ほど行くと広場があって、今度はいっぷく峠という大きな標識があった。一度視界が広がったら近くにすごく近代的な建物が見えた。狭い尾根を歩いて畑地に出ると小川にぶつかる。この川はこのすぐ先で矢作川に流れ込む飯野川なのだ。飯野川の土手を歩いて行くと「西広瀬城址」の石柱がたっている。この城は織田信長の家臣佐久間氏一族の居城だったのだ。車道に出て左折してすぐに飯野川を渡ると大きなT字路で、ここで右折して広梅橋で矢作川を渡るのだ。この交差点に生田商店があって、店先に休憩用のテーブルがあったので休憩することにした。
自販機のコーラでのどを潤してから出発した。


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