BACK 猿投山
2009年4月7日
昨夜は温かくて、よく眠ることができた。やっと春らしい気温になってきたのだ。
今朝の出発も7時を少し過ぎた頃。照葉樹林の中をどんどん下って行くと、15分ほどで舗装道に出た。これを横切って5分ほど下ると、再び舗装道が見えてきて、その手前に杉の巨木が聳えていた。これが「御門杉」であった。猿投神社奥の院の入口に立つ杉なのでこの名がついているのだ。もう一つ標識があって、それには熊が出没しているらしくて、目撃情報が書かれていた。山の中でテントを張ったのだが、ヤバカッタかもしれない。
ここからは舗装道を下って行くだけである。すぐに家の屋根のような三角の岩があった。「お倉(鞍)岩」という標識がたっていた。
傾斜も緩まって、のんびり舗装道を歩いて行くと鉄の水車とコンクリート造りの水車小屋があった。「トロミル水車」というらしいが、やっぱり水車小屋は茅葺きで、木の水車でなければ…、興ざめである。
ここから10分ほど歩くと広い駐車場があった。観光園地で、ここは猿投山登山者のための駐車場なのだ。トイレもあって、水を補給することができた。この広い駐車場の向かいには猿投山東昌寺(大悲殿)があるので行ってみた。本尊は行基作の千手観音というのだが、本堂の中に入ることはできなかった。まだ8時前なのだ。だけど、境内には石仏がたくさんあって、そんなに古いものではないだが見てまわってけっこう楽しかった。
駐車場から歩いて行くと右には森が続いている。これは猿投神社の杜であった。5分ほど杜に沿って行くと神社の入口があった。正面の参道へはもっと歩いてから回り込まなければいけないのだが、横から境内に入ってしまうことにする。
この猿投神社は、美濃地方の守護だった大碓命を中心にその父景行天皇、祖父崇神天皇を祀っているのだ。大碓命というのは日本武尊の双子の兄で、乱暴者だったヤマトタケルに殺されてしまうのだ。昨日、猿投山頂から下ってくる途中で立ち寄った東宮、西宮と併せて「猿投三社大明神」と呼ばれていたらしい。
境内に入るとすぐに鐘楼がある。…と思ったら、ここは神社なのでこれは太鼓楼なのだ。境内の真ん中には回廊があった。…と思ったら、これは拝殿なのだ。細長いので回廊と間違えてしまう。神社正面には中門があって、その中に社殿が並んでいる。
中門の横にはたくさんの絵馬が架けられていた。よく見ると、その絵馬はすべて鎌のかたちをしている。言い伝えでは双子の場合、一方が左遣いであり、大碓命が小碓命(日本武尊)と双生児であることから左鎌が奉納されるようになったのだという。
本殿に手を合わせて参道を歩いて行く。総門をくぐって境内から出ると、車が行き交う広い車道であった。
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