東海自然歩道 愛知の道


閑羅瀬橋→矢作第一発電所→矢作ダム展望所→旭高原自然の家→旭高原→長井坂峠→弘法杉→猿ヶ城跡→八百比丘尼の杉→伊勢神峠

閑羅瀬橋を渡って愛知県に入った。でも、これはサブコースで、自然歩道の本コースは継鹿尾山から恵那コースと分岐して、これから登る寧比曽岳山頂で合流するのだ。閑羅瀬からはアーチ式の矢作ダムを眺め、レクレーション施設が完備された旭高原を通って、寧比曽岳の登山口 伊勢神峠まで20km歩くことになる。


 閑羅瀬から旭高原へ
橋を渡ると岐阜県境の標識があった


対岸に道路が


陸橋があった


矢作ダムの展望休憩所から眺める矢作ダム湖


休憩所があった


牧場が見えてきた


BACK 三本松峠から閑羅瀬へ


2009年3月31日

閑羅瀬橋を渡ったところに岐阜県境の標識がたっていた。長かった岐阜の道と分かれて愛知の道に一歩踏み出す。
すぐに御堂があって、その横にはたくさんの石仏が並んでいた。橋を渡ったこちら側も閑羅瀬というのだが、このあたりには南北朝の動乱のころ、京都からたくさんの貴族がここで隠遁したという。その頃の石仏がたくさん残っているというから、それなんだろうと思う。
静かな集落の中を歩いて行く。矢作川の対岸の高いところにはガードレールが続いているのが見えた。さらに歩いて行くと、行く手に巨大なコンクリートの壁が立ちふさがる。これが矢作ダムである。すごい迫力である。このダムは昭和
46年に完成したアーチ式のダムで、工事には6年もかかったのだ。東海自然歩道ができたときは、まだ完成したたばかりだったのだ。
ダムの手前には第一発電所があって、その前で自然歩道は右折して急な坂を上って行く。
林の中のアスファルト道を上って行くと陸橋があって、そこには東海自然歩道とかかれていた。陸橋を上がると、降りることなくそのまま山道に入る。
山道にはピンクのミツバツツジが咲いていて、春だなあと思ってしまう。この先は尾根を登って行くのだが、道には大きな石がゴロゴロしてすごく歩きにくい。10分ほど登ると展望が開けて、下に矢作ダムが一望できた。黒部ダムのようにアーチを描いて、濃い緑の湖水をたたえていた。
矢作ダムの眺めに満足してさらに先に進む…と、すさまじく急な階段がまっすぐに延びていた。これを登るのかよ…とため息が出てしまう。
ようやく傾斜が緩やかになると杉林に入るが、階段道は続く。山道を登り始めて35分ほどのところに休憩所があって、旭高原まで2.7kmという指導標がたっていた。ここからは平坦になって、細いが簡易舗装の林道になった。
桧林の中を行くと、マムシに注意の標識があった。まだ寒いけど、マムシはもう冬眠から覚めたろんだうかと心配になった。
緩やかなアップダウンの林道を歩いて行くと、オリエンテーリングのポストがたっていた。そしてそのすぐ先に巨大な建物が聳えていた。すごい近代施設で、これが旭高原のキャンプ場かと思ったらそうではなくて、愛知県旭高原少年自然の家なのだ。この正面を過ぎて、車道から階段を下ると大きな東屋があった。すぐ隣に新しいトイレもあって、ここで休憩することにした。ここで水も補給できた。

車道に降りて、この車道を歩いて行くと字路があって、右が旭高原元気村となっている。車道を歩いて行こうとしたが、左に東海自然歩道の指導標があるのを見つけた。この道は車で行く道なのだ。
すぐに山道に入る。松林の中を歩いて10分足らずで再び車道に出ると、そこには牧草地が広がっていた。道端の柵の中で牛が草を食んでいた。
車道を少し行くと、東海自然歩道の「旭高原」という指導標がたっていた。旭高原というのは八幡牧場を中心とした大きなレクリェーション施設なのだ。




 伊勢神峠
旭高原を行く


送電線の鉄塔が目印になる


弘法杉のお地蔵様


鉄塔の下に三角点があった


車道に出たところには説明板があった


ここが伊勢神峠の登り口


伊勢神峠直下


この旭高原には遊びに来ている人も多くて、その喧噪から逃れるように歩いて行く。この先、自然歩道は舗装道を延々と歩くのだ。助かることは、車道にはちゃんと歩道部分が設けられていることだ。車道を歩いて行くと、左の下にダム湖が見えた。地図で見ると、これは矢作ダムがつくる奥矢作湖で、谷が南に大きくくいこんだものなのだ。
山の上をうねるように続く車道を
20分ほど歩くと指導標があって左に入る。ここには古い自然歩道の案内板がたっていた。ここが長井坂峠で、指導標には次の弘法杉まで1.7kmとかいてあった。
この先も舗装された林道だったが、
15分ほどで右の山道に入った。樹林の中の階段道でアップダウンが続く。途中、送電線の鉄塔の下を二度通過した。送電線は二万五千分の一地図に記載されているので、地図の上で自分がどこにいるか確認できて便利なのだ。
山道の途中には休憩のベンチも設けられていたが、休むことなく先を急いだ。

15分ほどで山道から車道に下ると、そこには杉の巨木が聳えていて、その下にお地蔵様が祀られていた。これが弘法杉であった。千人塚という説明板もあった。武田信玄が猿ヶ城を攻めたとき、多くの将兵が討ち死にしたのを弔った塚だという。
弘法杉では車道を横切って、再び山道に入る。しばらく緩やかな登りであったが次第に傾斜がきつくなって、急な階段の登りになった。樹林から伐採されて展望の開けた尾根になると、周りの山々を一望することができた。
樹林に入って再び急な階段を上る。上り着いたピークには鉄塔がたっていて、そこには三等三角点があった。地図で確認すると、ここは標高739mのピークである。そして、ここには猿ヶ城跡という標識もたっていた。戦国時代はこんな高い山の上に城を築いていたのだ。…といっても、その頃の城は天守などはない砦のようなものなのだが。
このピークから少し下ったところにベンチがあって、そこに猿ヶ城跡の説明板があった。指導標には伊勢神峠まで
5km140分とかいてあった。たった5kmなのに2時間20分もかかるなんて、間違いではないかと思った。でも、すさまじい山道かもしれない。
尾根道をアップダウンを繰り返して歩いて行く。頭上には送電線が走っていて、時々鉄塔に下を通る。鬱蒼とした杉林の中を行くかと思うと、突然伐採された明るい尾根に出てしまったりする。
猿ヶ城跡から
50分ほど行くと車道が平行するようになって、ついに車道に出てしまった。ここにたつ自然歩道案内板には伊勢神峠まで3km1時間となっていた。意外と時間がかからないと思ったら、ここからは舗装された林道歩きなのだ。
林道は曲りくねっていて、ヘアピンカーブで急な斜面を登ったりする。40分ほど行くと広い車道と交差して、その手前に指導標がたっている。ここから右へ分かれる山道が伊勢神峠への道である。入口には伊勢神峠まで500mの指導標がたっていた。
鬱蒼とした杉林を10分余り登って尾根に登り着くと、石柱と二体の石仏がたっていた。そしてすさまじく大きな杉が聳え立っていて、八百比丘尼の杉という説明板があった。若狭の国で800歳まで生きた尼さんが、この峠で一服して杖を立てたら、その杖が根付いてこの杉になったのだという。
この杉の前で左にターンしたら、そのすぐ先が伊勢神峠であった。伊勢神峠には指導標がたっていて、それによると国道153号線の伊勢神バス停までは1.4kmとかいてあった。これから登る寧比曽岳山頂では継鹿尾山で分岐した愛知県本コースが合流するのだが、私はこのまま三河大野まで行き、その後でJR犬山に引き返して、本コースを歩くつもりなのだ。本コースで寧比曽山に戻ったあとは伊勢神峠バス停に下る予定だ。ここからバス停まで1.4kmとわかったので、バスにあわせて時間を調整できる。

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