BACK 三本松峠から閑羅瀬へ
2009年3月31日
閑羅瀬橋を渡ったところに岐阜県境の標識がたっていた。長かった岐阜の道と分かれて愛知の道に一歩踏み出す。
すぐに御堂があって、その横にはたくさんの石仏が並んでいた。橋を渡ったこちら側も閑羅瀬というのだが、このあたりには南北朝の動乱のころ、京都からたくさんの貴族がここで隠遁したという。その頃の石仏がたくさん残っているというから、それなんだろうと思う。
静かな集落の中を歩いて行く。矢作川の対岸の高いところにはガードレールが続いているのが見えた。さらに歩いて行くと、行く手に巨大なコンクリートの壁が立ちふさがる。これが矢作ダムである。すごい迫力である。このダムは昭和46年に完成したアーチ式のダムで、工事には6年もかかったのだ。東海自然歩道ができたときは、まだ完成したたばかりだったのだ。
ダムの手前には第一発電所があって、その前で自然歩道は右折して急な坂を上って行く。
林の中のアスファルト道を上って行くと陸橋があって、そこには東海自然歩道とかかれていた。陸橋を上がると、降りることなくそのまま山道に入る。
山道にはピンクのミツバツツジが咲いていて、春だなあと思ってしまう。この先は尾根を登って行くのだが、道には大きな石がゴロゴロしてすごく歩きにくい。10分ほど登ると展望が開けて、下に矢作ダムが一望できた。黒部ダムのようにアーチを描いて、濃い緑の湖水をたたえていた。
矢作ダムの眺めに満足してさらに先に進む…と、すさまじく急な階段がまっすぐに延びていた。これを登るのかよ…とため息が出てしまう。
ようやく傾斜が緩やかになると杉林に入るが、階段道は続く。山道を登り始めて35分ほどのところに休憩所があって、旭高原まで2.7kmという指導標がたっていた。ここからは平坦になって、細いが簡易舗装の林道になった。
桧林の中を行くと、マムシに注意の標識があった。まだ寒いけど、マムシはもう冬眠から覚めたろんだうかと心配になった。
緩やかなアップダウンの林道を歩いて行くと、オリエンテーリングのポストがたっていた。そしてそのすぐ先に巨大な建物が聳えていた。すごい近代施設で、これが旭高原のキャンプ場かと思ったらそうではなくて、愛知県旭高原少年自然の家なのだ。この正面を過ぎて、車道から階段を下ると大きな東屋があった。すぐ隣に新しいトイレもあって、ここで休憩することにした。ここで水も補給できた。
車道に降りて、この車道を歩いて行くとY字路があって、右が旭高原元気村となっている。車道を歩いて行こうとしたが、左に東海自然歩道の指導標があるのを見つけた。この道は車で行く道なのだ。
すぐに山道に入る。松林の中を歩いて10分足らずで再び車道に出ると、そこには牧草地が広がっていた。道端の柵の中で牛が草を食んでいた。
車道を少し行くと、東海自然歩道の「旭高原」という指導標がたっていた。旭高原というのは八幡牧場を中心とした大きなレクリェーション施設なのだ。
|