秩父巡礼の旅 




 33番札所から杖立峠へ
星音の湯の向こうにT字路


奈良川橋を渡る

このお堂から巡礼道に入る


ここから右に下って土橋を渡る


山道にたつ古い石塔


水潜寺の標識があった


車道から札立峠に登る道


峠直前の廃屋

BACK 33番札所 菊水寺

2009年3月16日

まだ
12時前なので最後の札所に向かうことにした。34番札所までは15km以上あるので今日は無理かも…と思っていたのだが、これなら余裕で最終札所まで行くことができそうだ。
菊水寺の前の道を北に向かって歩いて行く。700mほど行くと橋を渡る。これが桜井橋であった。札所でもらったイラストマップだとすぐ近くのようなのだが、遠かった。
この橋を過ぎて少し行くと星音の湯という温泉があって、その先が字路であった。地図に従って右へ行く。300mほどで番戸橋を渡る。この橋には魚を加えた鳥(カワセミ?)の彫刻が置かれてあった。
次に渡るのは奈良川橋なのだがけっこう遠かった。信号の交差点があって、これを左折して緩やかに下ると奈良川橋である。当初の予定ではここで行動を終了するはずだったのだが、まだ1245分である。2時間半もあったら、杖立峠を越えることができるはずである。
橋を渡ると字路にぶつかる。そこにはたくさんの案内があって、その中に「杖立峠の登山口はこの先1.9km」という指導標があった。菊水寺の住職もこの道を勧めていたのだが、この交差点のすぐの所にも、峠への登り口があるらしい。
交差点のすぐ右にりっぱな御堂がたっている。そこには左に登って行く道があって、江戸巡礼古道の指導標があった。これが巡礼古道なら、この道を行きたい。私はできるだけ古い巡礼道をたどりたいのだ。
ここにある御堂は「平石馬頭尊堂」というのだ。それにしてもりっぱな御堂である。扉から中をのぞいたが暗くて何も見えなかった。
樹林の中の舗装道を登って行く。私は地道を行くのだと思っていたのだが…。
800mほど上ると、赤い幟がたつ石仏群があって、そのすぐ先に江戸巡礼古道の指導標があった。ここから右に少し下って、小さな沢を土橋で渡る。渡ったところからは山道で、急な登りになった。左三十四番という碑と新しい道祖神像があった。この道祖神は信州安曇野にあるのと同じ形である。秩父にも道祖神信仰ってあるのだろうかと思った。。
急な登りが始まる。これは登山と同じですごく急な登りが続く。冬枯れた雑木林を見ながら急登を続けて行くと、途中には石塔がたっていたりして、いかにも古い巡礼道といった感じである。うれしくなってしまう。
ところが車道に出てしまった。巡礼道の指導標に従って左に行く。ところが道はどんどん下って行って、下に太い車道が見えてきた。そして、その車道と交わるところには水潜寺の案内板があって、その矢印はこっちをさしていた。私は水潜寺と逆方向に歩いていることになる。どういうことだ、と思ってしまう。でも、水潜寺をさす標識は二つもあったから間違いではないと思う。地形からみても引き返すのが正しいようである。さっきの指導標はいったい何ナノだと思ってしまう。その指導標のところには工事のトラックがたくさん停まっていたから、工事の人が動かしたのかと疑ってしまった。

指導標の反対の道を行くと、少し下って広い車道に出た。そこには札所の指導標がたっていた。この道が正しいのだ。
舗装された細い道を上って行く。道の所々には巡礼道の札が下がっていて、巡礼道に間違いない。
合流点から10分ほど上ったところに、右折の指導標があった。ここからは本当の登山で、杖立峠に向かってひたすら登って行くのだ。でも、途中には梅の花が咲いていたりしてすごくきれいであった。
登山道を20分ほど急登すると、ようやく稜線が見えてきた。平坦になると、そこには指導標と赤い旗がたっている。ここが杖立峠だ…と思ったら大間違いであった。
ここからさらに平坦な捲き道を行かなければいうけないのだ。峠と思ったここにはいかにも休憩してくれというような、平たい石が置いてあった。休み石というのだ。
でも、先を急ぐ。傾斜は緩やかになって、鬱蒼とした杉林の中の道が続く。10分ほど行くと右に廃屋があった。札立峠には昔、茶店があったというからその跡のようである。このすぐ先が杖立峠であった。
杖立峠とかいた大きな標識があって、指導標がたっている。この峠は「関東ふれあいの道自然歩道」の分岐でもあるのだ。峠の説明板には、この峠が巡礼の道であったことが書かれていた。



 札立峠
新しい橋が架かっていた


涸れ沢に沿って下る


大きな岩が現れる


このすぐ先が水潜寺


峠には古い石柱があって、「札所三十四番ニ至ル」とも刻まれていた。

峠から下って行く。どんどん下って行くと、沢に沿った道になって、岩がゴツゴツするようになった。すごく歩きにくい。沢を縫うように何度も渡って下って行く。沢にかかる橋には新しいものもあるので、道は最近も整備されているようである。
峠から20分ほど、走るように下り続けた。道端に左手を横に伸ばした、変わった形のお地蔵様がたっていた。その袖に字が書いてある。「おつかれさま 水潜寺はすぐそこ」と書いてあった。このお地蔵様は指導標なのだ。
すぐに御堂が見えてきて、岩壁が見えてきて、そこにたくさんの石仏が見えた。その奥に御堂が見える。やっと秩父巡礼の最後の札所に着いたのだ。
観音さま三十三に変化すると言われ、観音霊場は三十三箇所というのが普通である。西国三十三カ所、板東三十三カ所があって、これを秩父三十三を足すと九十九になってしまうので、秩父は34にして百になるようにしたのだ。すごいご都合主義のようなきがするのだが、ともかくその百観音の結願の寺が水潜寺なのだ。
さすがに大きなお寺で、結願の奉納額が並んでいる。
本堂の前で読経を終えて納経所に行った。誰もいなくて鈴を鳴らしたが、それでも人が出てこない。留守なのかと思ったら、しばらくして、すごい年をとった住職が出てきた。この人、ちゃんと字が書けるのかと疑ってしまったが、すごく達筆であった。
これで、秩父巡礼は終了である。時間はまだ15時前、バスは1534分なので境内をゆっくりと散策することにした。
「みずくぐりの長命水」があった。岩壁にあいた岩屋から長く竹筒がひかれて、ここで水が流れ出ている。この水がお寺の名前の由来なのだという。長命の水というので、私も飲んでみた。これで長生きできるのだろうか。境内には百観音結願堂があった。私はまだ34しか終えていないのだが、一応秩父の巡礼を終わったので、この前でお礼の読経をした。
さて、それでも時間が余った。



●宗派

●本尊

●住所



●行程
曹洞宗

千手観音菩薩

秩父郡皆野町下日野沢3522
0494(62)3399

33番へ15.6km
●縁起
ここは秩父34霊場、日本百観音霊場(西国・板東・秩父)の結願寺として巡礼者が打留めの札と笈摺を納める寺である。

●堂塔

観音堂は大きな向拝をつけた六面四面の方形造りで、文政11年(1828)の建築である。本尊は一木造り室町時代の作と伝えられる千手観音、西国をかたどる西方浄土の阿弥陀如来、板東をかたどる東方瑠璃光世界の薬師如来が祀られ、日本百観音結願寺の特殊性を出している。



 秩父華厳の滝
水潜寺の正面入口


川に沿って上ってゆく


滝が見えてきた


このお寺から
600mほどのところに「秩父華厳の滝」があるというので行ってみることにした。私は滝が大好きなのだ。
600mだったら10分ほどで行けるはずである。足が痛いのだが、ガマンして坂道を登って行った。滝の入口に着いたのは1515分であった。この滝の前にバス停があって、次は1532分である。15分あったら滝の見物はできるはずである。
入口から滝まではわずか
50mであった。坂道を少し上ると、行く手に滝が見えた。華厳の滝のように真っ直ぐに落ちる滝であった。近くまで行って見上げたら、形は似てないこともないのだが、小さすぎる。でも、けっこう満足した。引き返すとその途中に流れに下る道がある。そこから見る滝はすごくよかった。谷の流れも一緒にみるとすごくきれいなのだ。
十分写真も撮って、バス停に戻った。バスは5分ほど遅れてやってきたので、待ち時間がけっこう長く感じた。
バスで皆野駅に向う。運賃は250円で安かった。近いということである。
皆野駅に着いたのは16時、秩父電鉄で秩父駅に戻った。
(このまま家に帰るつもりだったが、帰り道にある茨城県の3つの山に立ち寄ることにした。)


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