伏拝王子→九鬼ヶ口関所→祓殿王子→熊野本宮大社→大齋原→大日越え入口→月見丘神社→大日峠→湯峰王子→湯の峰温泉→つぼ湯→東光寺→(バス)→和歌山県世界遺産センター

大阪の天満橋から歩き始めて12日目、ようやく熊野本宮大社にお参りした。次は熊野那智大社を目指して雲取越えなのだが、その前に湯の峰温泉に立ち寄ることにした。小栗判官の伝説の終着点がこの温泉なのだ。



伏拝王子の休憩舎


九鬼ヶ口関所に着いた


住宅地に下る


祓殿王子
 96祓殿王子

BACK 岩神王子から伏拝王子へ

2010321

天気が大荒れということだったが、本当にその通りだった。夜になると風が強くなって、強風雨が一晩中荒れ狂っていた。テントを休憩舎の一番奥に張ったのは正解で、おかげでこの強風にあまり煩わされることはなかった。
朝には雨が止んでいた。今日の天気予報は晴れなのだ。
休憩舎を出発したのは
715分頃である。今日は熊野古道の目的地、熊野本宮大社にお参りするのだ。伏拝王子から本宮までは1時間ほどで、すぐだ。
休憩舎のすぐ下の斜面はお茶畑であった。
石垣の横を歩いて行くと、石畳の急な下りになった。15分ほど行くと吊り橋のような橋があって、これを渡ったところには新しい休憩所がたっていた。その先には「九鬼ヶ口関所」と書かれた木戸門があって、このすぐ傍に古い道しるべ石が置かれていた。ここに立つ熊野古道指導標で、九鬼ヶ口関所が小辺路の分岐であることがわかった。小辺路というのは高野山から伯母子岳などを経由して熊野本宮に至る道なのだ。この道も近いうちに歩くつもりである。
九鬼ヶ口関所の分岐から本宮までは2.1kmである。30分ほどで着けそうだ。
この先はひたすら下りが続くと思っていたのだが、丸太の階段の上りになった。小さな峠を越えると、石畳の下りである。杉林の中をどんどん下って行くと、左に墓地があって、これを過ぎたら車道に飛び出した。ここには熊野古道のマップもたっていた。あとは熊野本宮まで車道を歩くのかと思ったら、すぐに車道から左に入って石畳の階段を下る。下には住宅地が広がっていた。
住宅地の中、車道を行くと
5分ほどで右に神社の杜が見えてくる。これが祓殿王子跡であった。(私のガイドブックには祓戸王子と書いてあるのだが、前に立つ説明板は祓殿王子になっている)杜には石の祠があって、その前の両脇には榊が植えられている。
殿上人たちは、熊野本宮大社にお参りする前にここでお祓いをしたのだそうだ。



 熊野本宮大社

祓殿王子から鳥居が見える


熊野本宮大社拝殿


熊野本宮本殿


大齋原の大鳥居


祓殿王子のすぐ先の杜(もり)には石の鳥居が見える。これが熊野本宮の裏の参道であった。
鳥居をくぐって林の中を歩いて行くと、左の生垣の向こうに本殿が見えた。左折すると拝殿前の広場で、ここには八咫ポストという黒いポストがあった。このすぐ先で左折して神門をくぐると三つの社殿が並んでいる。左から結宮、本宮、若宮である。このそれぞれに手を合わせ、ここまでの道中の無事を感謝して、これからの安全をお祈りした。
参拝を終えて石段を下って行く。さすがに世界遺産で、まだ8時半だというのに観光客は多く、外国人もけっこう混じっているのだ。
長い石段を下って車道に出ると、車道を渡った向こうに新しい大きな施設が見える。これは世界遺産のビジターセンターであった。(正式には和歌山県世界遺産センターという)
行ってみたら開館は9時で、まだ開いていなかった。それまでの間に大斎原(おおゆのはら)を参拝することにした。大斎原というのは、かって熊野本宮がたっていた場所なのだ。かっての本宮は明治の熊野川氾濫によってほとんど壊滅してしまって、そのあとで今の場所に移築されたのである。だから平安貴族が訪れた本宮はこちらのほうなのだ。
ビジターセンターから大斎原は近い。すぐに家並みから抜け出すと、河川敷と思われる広大な平坦地に巨大な鳥居がたっている。この大鳥居に向かってまっすぐに参道が続いている。大鳥居のすぐ下まで行って見上げると、鳥居には八咫烏のマークがあった。
鳥居をくぐった広場には世界遺産の石碑がたっている。
ここからは杉並木の参道を歩き、突き当たりで右折すると大きな広場があった。そこには基壇が設けられていて、巨木が茂っている。その巨木の下に二基の石祠があった。ここがかっての熊野本宮なのだ。
引き返して、ビジターセンターに行った。すばらしい施設である。


  

 96湯峰王子

国道を歩いて行く


大日越えの入口


月見丘神社


湯峰王子社


さて、私は九十九王子すべてに参拝するつもりなので、ルートから外れても湯の峰王子へ行かなければいけない。重いザックを背負って歩くのはきついと思っていたので、このビジターセンターにザックを置いて行くことにした。一応、受付の人に断っておいた。
空身で湯の峰温泉に向かう。ザックがないと、なんて体が軽いんだと思ってしまう。
ビジターセンターで道を確認して、それに従って国道を歩いて行く。この道は、去年夏の大峰奥駈けで歩いてきた道である。国道を歩いて行くと目印の焼き肉の八屋があった。この手前で右の路地に入る。すぐに左折すると、その突き当たりに大日越えの入り口がある。
石垣がそびえていて、そこに急な石段が設けられている。この石段の上り口には熊野古道大日越えの標識があった。
急な石段を上って、民家の軒先を抜けて、さらに急な石段を上ると樹林の中に入った。ここからは古い石段の道が続く。
一度ターンをして、あとは鬱蒼とした杉林の中、階段の上りである。
檜の巨木がそびえ立つ中を行くと作業小屋が見えた。石段をあがって、小屋の前に着いたら神社であった。神社の名前が書かれたものはないのだが、月見丘神社だと思う。神社の周りには赤い木肌の檜の巨木がいくつもそびえ立っていた。
急な登りが続く。丸太の古い階段や木の根が張り出した山道が続く。ようやく小さな峠に着いた。ここが大日峠で、石碑と石仏があった。石仏は鼻かけ地蔵だと思う。
大日峠からは檜林の下りである。かなり急なところもあるが、ジグザグにどんどん下って行く。峠から15分ほどで、下に民家の屋根が見えてきた。
林から抜け出して平坦な広場に着くと、ここに湯峰王子へ上る石段があった。赤い鳥居があって、その奥には赤い社がある。湯峰王子社である。高浜虚子の歌碑もあった。



 湯の峰温泉

すぐに温泉街に着く


小栗判官の入ったつぼ湯の小屋


東光寺本堂


これで、熊野古道本ルートから外れた王子社にお参りできたので、引き返したらいいのだが、ついでなので湯の峰温泉に寄って行くことにした。熊野古道紀伊路でなんどか見かけた小栗判官の伝説の最終地がこの温泉なのだ。
王子社から石畳の遊歩道を下って行くと温泉街が見えてきた。石橋を渡るその左下には「つぼ湯」という小屋が見えた。これが小栗判官が浸かった温泉なのだ。
石橋を渡って車道に出る。橋を渡った正面に急な石段があって、その上に石の祠が見えた。行ってみると、この湯の峰温泉を発見した大阿刀足尼(おおあとすくね)の慰霊碑であった。彼がこの温泉を発見したのは4世紀頃というから、湯の峰温泉は1800年の歴史があるということになる。
少し行くと東光寺があった。寺の入口には「小栗判官蘇生の地」と書かれた大きな黒い柱がたっていた。お寺の前には観光客があふれ、近くには公衆浴場もあるのだ。
バス停があるので時間を見たら、
20分ほどの待ち時間で熊野本宮行きがあった。その間に周りをブラブラしたら「一遍上人名号碑」の説明板を見つけた。一遍上人は熊野本宮で百日行の末に霊験を得て、ここで岩に経文を爪で刻み込んだというのだ。石段を登ると、確かに大きな岩壁に梵字などが刻まれていた。
バスで本宮に
戻って、再びビジターセンターに行った。ザックも盗まれずにあったので安心した。あとはゆっくりと展示を見てまわった。


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