熊瀬川王子→草履峠→女坂→仲人茶屋→男坂→岩神王子→おぎん地蔵→蛇形地蔵→湯川王子→三越峠関→赤城越分岐→船玉神社→猪鼻王子→たっくん坂→発心門王子→歯痛の地蔵さん→水呑王子→伏拝王子

このコースもひたすら山の中を行くのだ。途中通過する集落も本当に急な山の斜面につくられていて、いかにも熊野古道らしい佇まいである。この日泊まった伏拝王子から熊野本宮まではもう一息である。
発心門王子



捲き道と合流する


草履峠


橋を渡ると仲人茶屋跡


峠に岩神王子跡
 89岩神王子

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2010年3月20日

熊瀬川王子から
100mほど歩くと、また指導標がたっていて、ここでさっきの巻き道と合流した。
この先は杉林の中を急登する。登りの途中には和歌山から二十八里という一里塚の石標がたっていた。
丸太を組んだ階段を上って、傾斜が緩まったので草履峠と思ったが標識はなかった。鬱蒼とした杉林の平坦な道を歩いて行って、少し上るとそこが草履峠であった。峠に人がいたが、すぐに下って行った。私も峠で休むことなく下って行くと、下にはすごい団体が列をなして歩いていた。(あとでわかったが、48人の団体だったのだ。この団体は小広峠から歩き始めて、発心王子まで行こうとしているのだった)
この団体に追い抜かせてもらって、さらに急な道をどんどん行くと、杉林の中の急降下になった。この急な下りが女坂である。
石畳の残るジグザグ道を下って、いったん車道に出てこれを横断した下には沢にかかる橋が見えた。橋を渡った先は広場になっているが、ここが仲人茶屋跡である。
ここからの登りが男坂で、今下ってきたのが女坂、中をとりもって、仲人茶屋というわけである。
男坂の登りにとりかかる。最初は丸太の階段を上るのだが、すぐに石畳の登りになった。さすがに男坂で、さっきの女坂よりも一段と険しいようである。鬱蒼とした杉林の登りにはけっこう荒れた箇所もあって歩きにくい。
岩神王子のある峠までは30分以上もかかってしまった。ともかくきつい登りであった。
登り着いた岩神峠にはいつもの青い説明板がたっていて、この少し上に岩神王子の名前を刻んだ石碑があった。



 90湯川王子

林道からさらに下る


蛇形地蔵


湯川王子跡


岩神峠から
5分ほど下ると林道に出て、林道を少し行くと再び左に下る道が分岐する。杉林のジグザグの急降下が続く。どんどん下って沢の流れに降り立ち、木橋で渡る。それからは沢に沿って歩いて行く。
沢沿いの道の途中にはおぎん地蔵があった。おぎんというのは京都の芸者だったのだが、ここで二人の追いはぎに襲われて亡くなったのだという。
ここから
500mほど先に蛇形地蔵があるはずである。10分ほどと思って歩いて行ったが、なかなか着かない。
沢に沿って歩いて行くと、流れはどんどん大きくなっていく。おぎん地蔵から10分ほど下ると、林道を横切る。蛇形地蔵はまだなのかと焦ってしまう。林道から山道に入ったところには一里塚跡の石標があった。
さらに沢の流れに沿って下って行くと、流れのすぐ横にまで降りてしまった。左に流れを見ながら行くと、行く手に沢にかかる橋が見えてきた。この橋のたもとに指導標がたっている。橋を渡るのが熊野古道なのだが、右には蛇形地蔵があるので寄ってみることにした。
すぐにたくさんの幟が見えてきて、お地蔵様が祀られるお堂の前に着いた。お地蔵様の後ろの石が海藻の化石で、蛇の鱗のように見えることから「蛇形石」と呼ばれ、そのことから蛇形地蔵といわれるのだ。
引き返して、橋を渡って深い杉林に入る。5分ほど行くと湯川王子社であった。ここには屋根がかけられたちゃんとした社もあった。だからここは王子跡ではなくて、湯川王子社なのだ。湯川一族発祥の地という碑もたっている。湯川一族って何なのだと思うのだが、戦国時代にこの地を支配した豪族らしい。



 91猪鼻王子

丸太を渡した急な階段道


三越峠関


林道に出た


赤木越入口の広場


稲荷神社と船玉神社


猪鼻王子跡


鬱蒼とした杉林の中を歩いて行く。沢の沿っての緩やかな登りが続くのだが、
20分ほど行くと傾斜がきつくなって、丸太の急な階段になった。峠の直前はすさまじい登りになって、ようやく杉林から抜け出したと思ったら車道であった。その車道の少し先に休憩舎と木戸門が見える。ここが三越峠である。木戸門には三越峠関と書かれていて、熊野古道はこの門をくぐって下って行くのだ。休憩舎の横には、熊野古道の案内マップもあった。
この少し先では工事が行われていて、どうやらトイレをつくっているようだ。このあたりは世界遺産のエリアになっているので、施設がどんどん整備されつつあるのだ。
杉林の中、急な階段道を下って行く。右は大きく落ち込んだ谷になっていて、その流れがつくる滝も見えた。ようやく傾斜が緩まったところで支沢を渡ったが、りっぱな橋がかけられていた。このすぐ先には廃屋があって、石垣が多く残っている。昔はここに集落があったのだろうと思う。
すぐ先で林道に出て、これを歩いて行く。平坦な道をぼんやり歩いて行ったら、指導標がたっている。この前をそのまま通過したが、そのすぐ先に「この道は熊野古道ではありません」という標識がたっていた。あわてて引き返して、指導標をよく見たら、矢印が下をさしている。熊野古道はここで林道を離れて下って行くのだ。ここまでも「この道は熊野古道ではありません」という標識は何度も見てきたのだが、こんな標識はなくても道を間違えることなんかない…と思っていた。やっぱり必要なんだと痛感した。感謝。
林道からは石畳の急な下りである。杉林から抜け出すと川縁の平坦な道になった。川の側には柵も設けられていて、気持ちのいい明るい道である。川をしっかりとした橋で渡ると、その先は林道のような広い道であった。桜がきれいに咲いていたりして、気持ちも明るくさわやかなになってくる。
10分ほど行くと右に橋がかかっていて、渡った先に広場が見える。橋の袂には「熊野古道赤木越」の指導標がたっていた。赤木越の道は湯の峰温泉に至るサブルートである。小栗判官が目指した熊野の湯とはこの温泉なので是非行きたいのだが、これを行ってしまうと本ルートにある5つの王子社を参拝できなくなってしまう。どうしようかと悩んでしまったが、結局本ルートを行くことにした。湯の峰温泉はまた別に考えることにする。
広場には多くのザックを背負った人が休憩している。これも熊野古道散策の団体らしい。
ここから200mほど行くと、左に神社があった。赤い鳥居がたっているので稲荷神社かと思ったら、船玉神社と稲荷社の二つの神社があるのだった。
神社から5分ほど林道を行くと、熊野古道は林道から離れて右に急下降する。鬱蒼とした杉林をどんどん下って、平坦になったところに、スタンプの木箱が見えた。ここが猪鼻王子跡であった。
猪鼻王子と刻まれた石碑があって、そばには小さな石仏もあった。ここに立つ説明板はいつもの青いものではなくて、世界遺産のロゴがある高札形の説明板であった。



 92発心門王子(五躰王子の一つ)

急な階段の登りになった


たっくん坂


発心門王子


右に沢の流れをみながら歩いて行くと急な階段の登りになって、これを越えると車道に出てしまった。車道を少し歩くと右に指導標があった。ここからは階段の急な登りである。この登りを「たっくん坂」というらしいのだが、どんな意味なのかよくわからない。
たっくん坂には丸太や石でつくった階段があったりして、急登が10分ほど続く。行く手に鳥居が見えてきて、これをくぐるとアスファルトの道に出た。道を渡ったところに石の鳥居とその奥に赤い社がある。ここが発心王子社であった。ここには世界遺産の石碑もあって、そばには大きく「発心門王子」と書かれた標識もたっている。鳥居をくぐってお詣りすると、「王子神社遺址」という石碑も見つけた。
発心王子にあるベンチで休憩していたら、すぐ近くに停められたバスの運転手がやってきた。団体の到着を待っているのだという。聞くと、私が女坂で追い越した団体のことらしい。バス
2台、48人の団体であった。今、15時半なのだが、もう着くはずだと運転手はいうのだが、私の到着したのが今なのだから、年寄りが多くしかも48人もの集団で歩いているのだから、あと1時間はかかると思うと教えてやった。
ここにたつ指導標によると、熊野本宮大社までは6.,9kmということである。熊野本宮はもうすぐだ。



 93水呑王子

ここを右折すると発心門駐車場


田舎道を行く


水呑王子跡


アスファルトの道を歩いて行くと、熊野古道はすぐに右に分岐する。この少し先には本当にできたばかりの休憩舎とトイレがあった。発心門駐車場である。発心門王子からはかなり離れているとおもうのだが…。それにしてもすばらしく整備された所で、ここにテントを張ってしまいたくなったが、もう少し歩くことにする。
すぐに車道に出たが、熊野古道はこれを横断して細い田舎道を行く。山の斜面には段々畑や棚田がつくられていて、道に沿って民家が並ぶ。熊野の山中にいるという実感がする。
林の道を行くと道端に「歯痛の地蔵さん」があった。なにかしらほほえましい。
車道に合流して、集落をいくつか抜けて行くと、公園のように整備された広場が見えてきた。そこに指導標やスタンプの木箱がたっている。ここが水呑王子跡である。
大きな木の下に「水呑王子」と刻まれた石碑がたっていて、その横にはちゃんと水飲み場があった。
さらに熊野古道を進もうとして、ここはかっての学校跡であることに気がついた。広場は元の校庭で、すぐ傍には校舎が建っていた。



 94伏拝王子

鬱蒼とした林を行く



林から車道に出る


集落か伏拝王子への登り口


伏拝王子の休憩舎


水呑王子から杉林の中に入ると、そこに「蘇生の森熊野古道」という立派な標石がたっていた。これはどんな意味があるものなのだろう。
鬱蒼とした杉林を
15分ほど行くと車道に出てしまって、この先は車道を行く。道はいくつかの集落を抜けて行くのだが、左は深い谷で、集落は山の斜面につくられていることがわかる。
伏拝の集落には菊水井戸があるというので、注意しながら歩いて行った。道端に井戸を見つけたが、説明板がないので菊水井戸かどうかわからなかった。
山の斜面につくらた集落を歩いて行くと「果無山脈」の説明板がたっていた。道の左は谷になっているので展望は開けていて、果無山脈を一望できるのだ。でも、残念ながら遠くは霞んでいて、山々をはっきりと見ることはできなかった。
集落を外れ、道が右にカーブするところに熊野古道の入り口があった。ここからは草つきの山道を登って行くのだ。
峠の直前は階段の急登になって、ようやく平坦になると休憩舎が見えた。ここが伏拝王子休憩所である。
休憩所の向かいに石段があって、これを登ると石碑と石塔がたっていた。石塔が和泉式部の供養塔で、石碑が伏拝王子と刻んだものである。和泉式部の歌もあった。
時間は
1650分、今日はここにテントを張る。休憩舎に並んでたつトイレはすごく新しくてきれいなものであった。休憩所には茶屋もあるのだが、店は閉まっていた。
この休憩所のすぐ傍には民家があって、ここが茶屋を運営しているらしい。ベンチで食事をつくっていたらおじさんがやってきて、今夜の天気は大荒れになるという。覚悟を決めて夜を過ごすことにする。



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