坂東三十三ヶ所巡礼.






 仙台から浅草へ
夜行バスで東京駅に着いた


東京駅


すぐ前に雷門


2011
519

坂東三十三ヶ所の巡礼を再開しようと思う。鎌倉を観光したとき、一番札所の杉本寺を参拝したのが2009年なので、あれから2年が過ぎようとしている。
この3月に東日本大震災があって、たくさんの人が津波の犠牲になっている。我が家は幸いなことに被害を受けることはなかったのだが、ライフラインがズタズタになって、電気は10日ほど、水道は3週間ほど使えなかった。私はキャンプの延長だと思って、この生活をけっこう楽しんでいたのだが、家族は大変だったようである。こんなときに活躍するのは私の登山用具で……というようなことはどうでもいいのだ。
ライフラインも復活したところで、出かけることにした。名目は、大震災で亡くなった人たちの冥福を祈るために、坂東三十三ヶ所の巡礼をする…ということなのだ。
今回は首都圏のお寺をめぐるつもりなので、鉄道を使うことにした。
仙台からは夜行バスである。
東京駅に着いたのは早朝5時半であった。東京駅から神田まで行って、地下鉄の銀座線に乗り換え、浅草で下車した。浅草駅の地下通路にはりっぱな壁画があって、これに見入ってしまった。駅には御輿まで飾ってあった。
地上に出ると、雷門の真ん前であった。時間は620分。




 雷門から本堂へ
仲見世通りから振り返る


人がいない仲見世通り


伝法院通り入り口


宝蔵院門が近づく


朝早いおかげで、観光客はまったくいない。昼だったら雷門の前には観光客がいっぱいで、きれいに撮影することはできないのだが、邪魔者はいっさい無しであった。

私たちが雷門と呼んでいるこの門は正式には「風雷神門」といって、両側に風神と雷神が祀られているのだ。門の後ろにまわると、金龍と天龍の像が祀られている。風神雷神像は慶応の大火で頭部を残して焼失したのだが、明治になって復元されたのだ。そして、金龍天龍は昭和53年に寄贈されたものである。
「雷神」と書かれた大きな提灯の底には精緻な龍の彫刻があった。早朝で人がいないおかげで、丹念に観ることができた。正面から見た提灯には雷門と書かれているのだが、後ろには正式な「風雷神門」と書かれているのだった。
雷門から仲見世通りを行く。昼だったら、押し合いながら歩くこの道も、ほとんど人がいなくてすごく静かである。仲見世はすべてシャッターが降りているのだが、このシャッターに書かれた絵が面白かった。昼間だったらもちろんこうした絵を見ることはできないのだ。
伝法院通りを左にみて、さらに進むと立派な楼門が近づいてくる。これが宝蔵門で、「小舟町」と書かれた大きな提灯が下がっている。楼門の左には五重塔がそびえ立っている。いかにも浅草だ…と思ってしまう。
この門の前は広場になっていて、右に青銅の観音像が二体座しているのが見えた。「二尊仏」といって、観音菩薩と勢至菩薩である。この二体の菩薩は阿弥陀如来の脇侍のはずだが…と思ったら、この後ろには地蔵菩薩と二体の阿弥陀如来の石仏があった。
宝蔵門の両側には仁王像が祀ってあるので、これは仁王門ということになる。門ををくぐると、目の前には浅草寺の本堂が大きくそびえ立っている。
さっそく本堂の前で読経して、御朱印をもらおうとしたら、受付は
7時からなのだ。今640分なので、20分待たなければいけない。




 浅草寺西境内
影向堂


六角堂


西境内から五重塔を振り返る


参拝受付までの待ち時間を利用して、本堂の左に並ぶ堂塔をお参りすることにした。これは「西境内」といって、けっこう由緒ある堂塔なのだ。

まず阿弥陀如来と宝筺印塔が並んでいた。
参道を行くと、なにかしら由緒ありそうな石橋があった。現存する都内最古の石橋で、元和
4年(1618)に広島浅野家の藩祖が寄進したものである。文部省から重要美術品に認定されている。
参道を少し進むと古い板碑があった。「西仏板碑」と呼ばれるもので、建立者が西仏である。鎌倉末から室町初期のものと考えられている。
この隣には「三尊名号の碑」がたっていた。
参道をさらに進むと、左には「影向堂」がある。平成6年に再建されたもので、中には聖観世音菩薩が祀られている。観世音の説法や活躍に讃嘆協力する仏のことを「影向衆」というのだが、この影向衆を祀っているお堂なのだ。
このお堂の後ろには六角堂があった。元和4年(1618)の建立で、浅草寺内では最古の遺構なのだ。
六角堂からちょっと広い道を渡ると「淡島堂」。
引き返して林の中の参道を行くと薬師堂があった。三代将軍徳川家光が慶安
2年(1649)に再建したもので、橋本薬師堂と名付けたお堂である。もともとは堀にかかる橋の傍らにあったための名なのだが、平成6年にここに移築された。これで西境内の参拝はおしまい。本来の目的の本堂へのお参りをしなればいけない。




 浅草神社
浅草寺本堂


浅草神社本殿


雷門に戻った


時間になったので、浅草寺の本堂に引き返した。納経をお願いしたら、これから朝のお勤めがあるので、待って欲しいといわれて、本堂の中に通された。僧侶たっちが読経をするのを片隅で聴いていた。

お勤めが終わってから御朱印をいただいたが、今日最初の納経者の納経料は無料といってくれた。ラッキー。
本堂から出て、隣の浅草神社に参拝した。有名な浅草の三社祭りはこの神社の祭礼なのだ。
境内にはいろんな石碑があって、一つ一つ観てまわったら、けっこうおもしろかった。こち亀の両さんの石碑まであった。
浅草神社から参道を下ると右に二天門があった。二天門とは仁王門のようなものなのだが、仁王さまのかわりに増長天と持国天が祀られているのだ。
門の前には「手水鉢」がある。安永
6年(1777)に寄進されたものである。
二天門から再び、浅草寺境内に入った。
境内を引き返して行くと、「旧五重塔跡」を見つけた。
仲見世通りを引き返して都営浅草線に乗った。次に目指すのは14番札所の弘明寺である。


NEXT 14番札所 弘明寺

BACK 坂東三十三ヶ所巡礼





総合TOP My日本の山  My日本の道  日本の旅  自己紹介


























inserted by FC2 system