秩父巡礼の旅 




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2009311

今日はちゃんと6時半頃に目をさました。お湯を沸かしてポッドにつめて、余ったお湯でコーヒーを飲む。朝食は抜きである。これでだいぶダイエットができるだろう。
道の駅から歩き始めたのは735分である。国道を歩いて行く。
西武鉄道で昨日の横瀬駅まで行って9番にお参りするつもりだなのだが、駅の途中に15番の少林寺があるので、これにお参りしてから西武鉄道に乗るつもりだ。順番がとんでしまうのだが、せっかく札所の近くを通るのだからかまわないではないか。
上野町交差点で右折して、行く手に秩父鉄道の踏切を見ながら少し行くと左に少林寺の案内板があった。標識には裏参道と書いてある。右に少林寺の駐車場があって、その奥に赤い幟が並ぶ細い参道があった。
境内に入ると、本当に裏から入ったようで、本堂の横に出た。15番札所は、かっては秩父神社の中にあった蔵福寺だったのだが、明治の廃仏希釈で廃寺になってしまったのだ。その後この少林寺がここに移ってきて、蔵福寺の札所を継承することになったのである。
少林寺の本堂は白壁の建物で、普通のお寺と雰囲気が違っう中国の禅宗という感じである。
境内には隣接した墓地があって、そこには「秩父事件」で殉職した二人の警官の墓があった。その隣には石碑がたっている。これは時の内務大臣山県有朋の文章である。
秩父事件というのは明治
27年に秩父の農民と自由党員が決起した事件なのだ。生活の困窮から武装蜂起したのだが、三日で鎮圧されてしまい、首謀者7人は死刑に処せられている。ここにある墓は鎮圧した側の警官のものなのだ。
墓地の後ろには武甲山が寒々とした感じで聳えていた。
納経しようとしたら、中に人がいない。呼び鈴で呼び出して朱印をもらった。私は四国と同じように納経受付は
7時からだと思っていたのだが、秩父では8時からなのだ。まだ8時前であった。
狭いのだが、一応境内を巡ってみた。正面参道は石段が北に下っていて、その向こうには秩父鉄道の踏切が見えた。


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国道を歩いて行く


指導標に従って左に入る


少林寺の裏へ続く道


本堂


西武鉄道の踏切が見えた

●宗派

●本尊

●住所



●行程

●御詠歌
臨済宗建長寺派

十一面観音菩薩

秩父市番場町7-9
0494(22)3541


14番へ0.7km 16番番へ0.8km

みどり子の
母巣の森の 蔵福寺
ちちもろともに ちかいもらすな
●縁起
その昔、近江堅田の商人、湯尾峠を通りし折、怪者数人語り合うを聞くと、「今年は江州に疾病流行させんとしたが、定朝の十一面観音に阻まれてそのことならず。東に行き彼の地を荒さん」と。さては疫神ならんと恐れ、定朝自作の十一面像を授かり、仏意の霊験によりこの地に堂を建立し祭りしため疫難を免れたという。

●堂塔

15番札所は、もと秩父神社の傍にあった蔵福寺だったが、明治維新の際廃寺となり、この少林寺が札所を受け継いだものである。
本堂は入母屋造りで、前は千鳥破風つきの向拝をふして、総体を漆喰込めで洋風が加味されている。





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