秩父巡礼の旅 




BACK 15番札所 少林寺

2009311

民家の間の細い道を歩いて行くと、左に秩父市役所が見えてきて、横断歩道を渡ると一里塚のような小高い丘に祠と石灯籠がたっていた。山の神の祠なのだ。巨木が聳え立っていた。
さらに歩いて行くと緑の屋根のしゃれた建物がある。よくみたらこれは観光トイレであった。
すぐに西武秩父駅が見えてきた。駅の構内は細長くて、「秩父仲見世通り」になっている。せっかくなので、仲見世通りを歩いてみたが、まだ開店前で電気も消えていて、閑散としていた。
西武秩父から一駅で横瀬である。横瀬に着いたのは818分であった。
昨日、この駅に歩いてくる途中で9番札所の指導標があるのを見ているので、そこまで引き返す。線路に沿って歩いて行くと、意外と早く9番の指導標に着いた。
かなり距離があったとおもったのだが、昨日は疲れていたので遠く感じたのかもしれない。
緩やかに坂を下って行くと、行く手には三菱セメントの大きな工場が見える。そしてその後ろには無惨に山肌を削られた武甲山が聳えているのだ。武甲山を今の無惨な姿にしたのは三菱セメントだったのか。怒り。
標石をみてから少し行くと九番札所の明智寺であった。
お寺の入口には石の地蔵様がたっていて、境内の左には文塚があった。中には古い地蔵と新しい如意輪観音、そして青石の石碑がおさまっていた。本堂は六角の御堂であった。


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秩父市役所


これは観光トイレ


横瀬駅から線路に沿って歩く


下り坂の向こうに三菱セメントの工場



●宗派

●本尊

●住所



●行程
臨済宗南禅寺派

如意輪観音菩薩

秩父郡横瀬町横瀬2160
0494(24)3125


八番へ1.8km 10番番へ2.1km
●縁起
秩父観音霊験記には、孝行息子が観音堂に籠もって「無垢清浄光 慧日破諸闇」の観音経の妙音を唱えたところ、明け方に明るい星が内陣に飛び出し、今まで盲目だった母の目が開いたとかかれている。山号の明星山は、この霊験から名づけられた。
●堂塔
明智寺は建久2年(1191)明智禅師の開創と伝えられ、観音堂は札所五番語歌堂と同時代同形式で再建されたが、明治16年焼失した。以後、民家のような仮堂であったが、平成2年にようやく再建された。
本尊の如意輪観音は恵心僧都作と伝わる。平安時代に一条天皇の妃がが難産で苦しんだ際に、勅命を受けて長さ九寸一分の香木から如意輪観音を彫って祈願したところ親王が誕生、母子ともに無事だったという。





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