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以下は、国民宿舎土佐に泊まったとき、1番から36番札所までを振り返って、その思いを国民宿舎のパソコンに打ち込んだものです。


3月29日

今まではお金を払って泊まるということはなかったのだが、今日は特別に中休み。明日は次の札所37番岩本寺まで65kmの道を歩かなければいけないのだ。
今日はいままで遍路をしてきたその中間報告をしたい。

1番霊山寺から歩き始めたのだが、10番までは札所の間がひどく短い。これがあたりまえと思っているととんでもないことになる。
10番から11番が10kmで遠いと思ったら、次の12番はすごい山道で、それを12kmも歩くのだ。この険しい道のことを「遍路ころがし」というのだそうだ。これで驚いていたら、追い討ちをかけるように、12番から13番までは26kmも歩かなければいけなかった。まったく情け容赦ない。
鳴門の近くから歩き始めて、徳島市内を抜けたのは5日目であった。都会の街の中を歩くというのはけっこう苦痛だった。やっぱり遍路は田舎道を歩かなければ…。
雨の中を歩くというのも本当につらかった。最初の雨の時は雨具のズボンに傘を差して歩いたのだが、一昨日の雨のときはビニールポンチョ(100円ショップで買ったのだ)で歩いた。これもあまり具合のいいものではない。遍路は晴れてなければかなりつらいということだ。
すさまじく長い距離を歩いたのは、日和佐というところから室戸岬までで、84kmの道ををひたすら歩くのだ。
左にはいつも南国土佐の黒潮の大海原。気分は本当に爽快なのだ。…とはいいながら、足が痛かった。(今も痛い)

途中での宿泊のことも述べておこう。善根宿に泊まったのが2回。これは一般の人が無料で宿泊場所を提供してくれているのだ。テント泊まりが続くと、布団で寝るのは本当に体が休まる。
その他、遍路小屋というのがある。これはお遍路が休憩できるようにと道端に作られた小屋なのだが、ほとんどの場合壁がない。私は、この小屋の中に2度テントを張って寝ている。川原でテントを張ったり、公園でテントを張ったりしてきた。
私のようなテントを背負って歩いている人間にうれしいのは、こういう風な野宿が住民に容認されているということなのだ。普通だったら、警察に通報されて立ち退かされたりするんだろうが、四国はお遍路を「お接待」するという風習ができていて、けっこう野宿がしやすい環境なのだ。

私はお遍路をしているので、当然、札所のお寺に行って参拝をする。
まことに申し訳ないのだが、私に信仰心はほとんどない。でも、神仏を敬おうとするう気持ちはちゃんとある。宮本武蔵が「神仏は尊し、神仏を恃まず」といっているが、その考え方と似ている。私は弘法大師と彼が開いたという霊場を大いに敬うけれども、それによって弘法大師に「すがろう」とは思わない。敬うという気持ちから、私は「納札」を納め、般若心経を読む。もっとも、私のは経本のフリガナのとおり読むだけなのだが…。

遍路の旅を続けて、自分の心のありようが確かに変わってきているような気がする。
歩き始めた頃は、いろんな雑念が心の中を占めていて、あれやこれや考えながら歩いていた。会社を辞めて自由な身とはいえ、それでもけっこう世俗的な悩みはあるのだ。だけど10日も歩き続けていたら、そんなことがどうでもいい些細なことに思えてきた。黙々と歩いて、いろんな町や村を通り過ぎて行く。田んぼの中ののどかな風景とか、鮮やかな黄色の菜の花の美しさとか、どこまでも広がる大海原とか、そんな自然の中にすなおに溶け込めている自分を感じることができる。遍路ってこれかな…と思ったりするのだ。

今、私は高知市を過ぎて、またまた長い距離を歩いて足摺岬の先端を目指そうとしている。
足を引きずるようにして歩いているけれど、…楽しい。
私の当初の予定では、4月2日には京都に向かう列車に乗るつもりだったが、それはやめて遍路を8日まで続けようと思っている。大峰山の奥駈けは延期だ。
四国遍路は、なにかしら…おもしろい、やめられない。




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