■真言宗豊山派 ■開基/明神右京・隼人
■御本尊/十一面観世音菩薩
大宝寺は88の霊場のちょうど真ん中にあたり、山の中にあって、境内は古木に囲まれた落ち着いた雰囲気。大師堂は昭和59年に再建されたものだが、普通のお堂と違って総檜造り・銅版葺の豪華なものである。
     ■第43番札所 明石寺から 72.4km
     ■愛媛県久万町字菅生1173
     ■TEL 0892-21-0040


BACK 43番 明石寺


427(25日目)

大坂梅田発2220分の深夜バスに乗って、大洲をめざす。バスに乗り込む前に酒を飲んでいたので、すぐに眠ってしまった。3時頃に目が覚めたが、カーテンがしまっているので、どこを走っているのかわからない。バスは時々、長い間停車したりする。運転手の休憩なんだろか。
大洲には5時半に着いた。大洲本町に着くとなっていたので、駅からかなり離れたところと思っていたが、降りたところから駅が見えた。近くてよかった。私は大洲から新谷まで、JRに乗って行くつもりなのだ。
駅に行って時間を確認すると、松山行きの最初の便が555分で、料金は200円であった。安い。

65分、新谷駅から歩き始めた。早朝である。国道沿いの店は閉まっていて、車の通行量もまだ少ない。まず内子を目指している。
今日は初日でもあるので、そんなに長い距離を歩くつもりはない。そして、ついでに今日は観光をしようと思っている。それが内子の町なのだ。
国道56号線を歩いて行く。内子の手前で右に遍路道が分かれるのだが、山越えになりそうなのでそのまま国道を歩いた。高速の高架をくぐって10分ほど行くと五十崎の交差点、ここで左折して市街に向かう道に入る。まず、JR内子駅をめざした。ここを起点にして観光をするつもりだ。
内子駅は高架の上ににプラットホームがあって、駅前広場にはSLが置かれていた。
内子の駅前から少し行って左折、古い街並みを歩いて行く。まず内子座を見たい。商店街を歩き、指導標に従って左折する。細い道で家が建て込んでいる。こんなところに芝居小屋があるのかと不思議に思ってしまうのだが、家に挟まれて芝居小屋が建っていた。私は芝居小屋の前は、かなり広い広場になっていると思っていたのだ。
まだ時間が早いので、当然なかに入ることはできない。
三脚を立てて写真を撮っている人が一人いた。
古い街並みを歩いて行くと、明治12年に建てられた「元化育学校」とか「商いと暮らし博物館」など、レトロな建物が並んでいる。けっこう楽しい道である。

内子の町を抜けると、道の駅がある。なぜか小学生が写生板を持って、たくさんやって来ていた。ここでパンを買って簡単に食事。
道の駅を出たのは1010分。
ここからはひたすた国道379号線を歩くのだ。小田川という川に沿っていて、そのために川の流れに沿って曲がりくねっている。
道の駅から1時間半ほど歩いて長岡山トンネル。長さが500mもあって、これを抜けるとお遍路無料宿があった。本当にガレージそのもので、シャッターは閉まっていた。
この国道沿いにはバスが通っていて、それは内子町営バスなのだ。そして、そのバス停は瓦葺きできれいな造り。野宿も気持ちよくできそうである。
国道から離れて大瀬の町に入った。ここには大瀬の館というのがあるのだ。大瀬の館というのは昔の町役場で、今は旅館にもなっているらしいのだが、閉まっていた。
この前に「米の蔵」という最近できたばかりの建物があって、中に入ったら水彩の美術展をしていた。
大瀬の町にも古い街並みが残っていて、今日はこんな観光ばかりである。

私のガイドブックには河口橋というところに休憩舎があると表示されているのだが、それは大きなバス停であった。私はこういう施設を見ると、すぐに野宿可能かどうかを考えてしまうのだ。
川に沿って、山々の緑を見ながら歩いて行く。

街並みに入ると、右手にうどん屋さんがある。その向かいにお堂らしきものがあって、そこで二人のおばあさんが世間話をしている。これが千人宿大師堂であった。時間はまだ2時を過ぎたばかりである。
このおばあさんに、泊めてもらえるんだろうかと訊いたら、それがここを管理している人であった。
4時頃、もう一人のお遍路がやってきた。なにかしらかんろくのあるおっさんで、私より2歳下。極道をしていた人で、すごい酒飲みであった。「鬼ころし」というパックの酒をがんがん飲んでいた。おとうさんの四十九日の日に遍路に出たんだそうだ。
夜に携帯に電話がかかってきて、訊くとそれは舎弟分らしくて、前科8犯のとんでもない人。でも、このおっさんはひどく話し好きで気のいい人なのだ。遍路をしてるといろんな人に会う。


4月28日(26日目)

5時に起きて、出発は6時。
内子町から小田町に入るとすぐにT字路になるのだが、その手前に新しい道路ができていた。私のガイドにはない道であるが、これを行く。すぐにガイドにある道と合流した。
今、44番札所の大宝寺を目指しているのだが、ここに至る遍路道は二つあって、南側の農祖峠を越える道と北側のヒワタ峠を越える道があるのだ。ヒワタ峠の道のほうが近いので、私はこっちの道を行く。
歩き始めてから
1時間半で薬師堂の前に着いた。新しいお堂である。その隣にトイレや休憩舎があったので、ここで少し休憩。
薬師堂を745分に出発。道はどんどん山の中に入って行く。落合トンネルを抜けたところで国道を離れ、県道42号線になる。この県道をゆるやかに登って行く。すばらしくりっぱな三島神社を過ぎると30分ほどで峠越えの遍路道に入った。下坂尾峠に向かって山道を登る。峠に登りつくと、そこで車道に合流して、この車道を下って行く。
曲がりくねった車道は、今度はヒワタ峠に向かって登って行くのだ。曲がりくねったこの車道をショートカットする形で遍路道がついている。この遍路道でヒワタ峠を越えた。峠に着いたのは11時半である。
峠からは久万高原町に向かって下って行く。
遍路道から町の中に出る。ここでスーパーに寄って買い出し。今夜の食事だ。
広い国道を横切って東に向かうと、橋を渡ったところに山門、この門をくぐって参道を行く。
町並みから林の道になって、その中をゆるやかに登って行く。大きな山門があって、石段を登るとようやく本堂の前に着く。ここの大師堂はすごく立派であった。

大宝寺からは山道を行く。かなりの登りであったが、峠にはなんの案内もなかった。峠を下るとトンネルの出口に出る。ここからは車道を行く。途中、道がわからなくなってしまった。指導標が入り組んでいて、いろんなコースの案内がごちゃまぜになっているからだ。
磁石で方向を確認して、ようやく住吉神社の前に出て、有枝川にかかる橋を渡った。
時間は2時を少し過ぎた頃。今夜の宿泊は「久万高原ふるさと旅行村」で、ここにテントを張るつもりなのだ。
橋を渡ってすぐに酒屋さんがあったので、ここで酒を仕入れることにした。
大缶でビールと酎ハイを買ったのだが、3本で510円のところを300円にしてくれて。お接待なのだそうだ。うれしい。
旅行村には240分に到着。
テント場はかなり奥にあって、受付から10分ほど登って行かなければいけなかった。
テントを張って、さっそくビールを開けた。うまかった。
今日は本当にいい天気で、ビールを飲みながら、洗濯をすることに気がついた。
今回は洗剤も持ってきているのだ。


NEXT 45番 岩屋寺



大洲まで乗った深夜バス


大洲駅


松山行き始発に乗った


内子駅


内子の古い町並みを散策した


内子から国道を行く、これはバス停


長岡山トンネルを抜けると遍路宿


大瀬の館


仙人宿大師堂


新しい造りの薬師堂


鴇田峠への登山口


久万高原町の久万川を渡る


大宝寺の門、でもお寺はずっと先


大宝寺参道入り口








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