■真言宗御室派 ■開基/弘法大師
■御本尊/十一面観世音菩薩
この寺の本尊は元、稲荷大明神だったため伽藍の配置が変わっている。山門はなくて、鳥居をくぐると長い石段があり、その正面には稲荷神社。石段の途中に本堂・大師堂があるのだ。
     ■第40番札所 観自在寺から 47.7km
     ■愛媛県三間町字大戸雁583-1
     ■TEL 0895-58-2186


BACK 40番 観自在寺


46日(21日目)

640分にテントを畳んだ。このキャンプ場を使う場合は売店に申し込むこととあったので、売店に行ったが、まだ閉まっていた。
国道をひたすら歩く。左には南国の海が広がっている。7時、鳥越トンネルを抜けると、湾が大きく内陸に入り込んできている。その大きく湾曲した道を廻り込んで行くと浦地の集落で、公園があった。その公園はゲートボール場で、横にある休憩所は十分野宿できそうである。
岬をトンネルで越えて、少し行くと「嵐」の集落、Aコープがあった。町の小さな商店みたいである。スーパーを見ると買い出しをしたくなるのだが、まだ歩き始めたばかりである。荷物になるので買い物は止めた。
ここからは山に向かってダラダラと登って行く。嵐坂トンネルを抜けるが、このトンネルには歩行者専用のトンネルが別に設けられてあった。うれしい。トンネルを抜けたところにはりっぱな公園も設けられてあった。けっこう広くて新しい。池もあって、東屋も2つもあった。
ここからゆるやかに下って行くと、柏坂越えの遍路道と合流する。この合流点では国道から離れて集落の中の道を行くのだが、その手前のバス停で少し休憩。自販機で買ったジュースを飲んでいたら、若者の遍路が追い抜いて行った。
津島大橋を渡ると津島町の市街地に入る。12時になった。
今日の歩行時間も短い。休憩毎に、実は40分ほどもとって、のんびり時間をつぶしているのだ。これには理由があって、私は48日まで遍路を続けるつもりなのだが、今までのペースで歩いて行くと、宇和島と松山の中間くらいで終わってしまいそうなのだ。帰りは「青春18切符」でJRに乗るつもりなので、JR線沿いのところで遍路を終わりたいのだ。そのためには時間を調整して、なんとか8日には大洲にいるようにしたいのだ。
今日はこの津島の町から3kmほどのところにある「津島やすらぎの里熱田の湯」で泊まるつもり。この温泉には東屋があると書かれているからだ。
温泉に着いたのは1時である。ここで夜まで温泉に浸かってるしかない。
受付でザックを預かってもらったら、私と同じような遍路のザックが一つ置かれていた。仲間がいるらしい。

温泉ではサウナに入るのを繰り返して、6時になってから休憩室に行った。そこで大の字になって寝ている若者がいた。昼に私を追い抜いていった遍路である。
若者と話しをした。彼は宮城県の大学生で、春休みを利用して歩き遍路をしているのだそうだ。そして、昨日の泊まりは私と同じキャンプ場で、ただ彼はその管理人のところに泊めてもらっていたのだそうだ。
8時に温泉を出た。さて、どこにテントを張るかなのだが、大学生は温泉の建物の前に長い回廊があるので、そこに野宿するという。彼はテントを持っていないのだ。
私は東屋にテントを張ることにした。今夜から雨になるはずである。


47日(22日目)

4時頃、目が覚めると激しい雨であった。今日はこの雨の中を歩くことになるのかと思うと、気が重い。
それでも、5時半には撤収を開始して、6時半にパッキング完了。この敷地内にある水道に水を汲みに行った。大学生はまだ寝ていた。彼は早朝4時に起きて歩き始めるつもりが雨だったので、また寝てしまったのだそうだ。
グズグズしていたら、7時半になってしまった。そうしたら、この頃小雨になってきた。
ラッキー、8時に温泉を出発した。
国道に出て、すぐに長いトンネルがある。1.7kmもある松尾トンネルで、ガイドブックには排気ガスがひどいと書いてあった。まだ、朝早いので、排気ガスには悩まされることなく、25分でこれを抜けることができた。トンネルを抜けるとさらに雨は小降りになった。
国道56号線をひたすら行く。次第に家が建て込んできて、宇和島に近づいていることが分かる。
宇和島の手前で
JOIFFULLの看板を見つけてしまった。ここで朝食をとることにした。ここに1時間以上いて、のんびりした。もう宇和島の市街で、小高い山の上には宇和島城が見える。
歩いて行くと、朝、別れた大学生に追いつかれた。私は伊達博物館に寄るため、彼とはすぐに別れた。
伊達博物館は、宇和島藩の伊達家の資料を集めた博物館である。伊達藩といったら、仙台の伊達家なのだが、この宇和島の伊達家は、伊達政宗の長男が始祖である。
私が宇和島伊達家に興味があるのは、幕末の四賢候、伊達宗城が好きだからなのだ。
博物館の受付に行ったら、遍路は割引をしてくれて、一般500円が400円ですんだ。うれしい。でも、展示物は今一つであった。わたしの興味のある展示が少なかったのだ。
遍路道から離れて、宇和島駅を目指す。宇和島城の城山の左を巻いて行く。
宇和島駅は予讃線の終点で、ここから南に線路はないのだ。そして、私はようやく線路のあるところまでやって来たということで、青春18切符が使えるところまでたどり着いたのだ。
宇和島駅で休憩して、駅を13時に出発した。線路を渡って右に行く。JR線に沿った道である。北宇和島というかわいい駅を左に見て、少し行くともう一度線路を横切って広い車道に合流した。
この車道が県道57号線で、41番札所龍光寺まではこの道を8km歩くのだ。山間の道を歩いて行く。道は光満川に沿って続いていて、川の流れに従って蛇行している。右手の山の斜面を予讃線の1輌だけの車両がゆっくりと走っていった。
1440分に宇和島市から三間町に入った。ちょっとした峠で、ここからはゆるやかに下って行く。行く手には街並みが見えてくる。峠から10分ほど行くと務田の交差点で、ここを左折して線路を越える。行く手に小高い丘があって、それを目指してまっすぐに田んぼの中を歩いて行く。ここで、大学生に追い抜かれた。
龍光寺に着いたのは1510分、山門はなくて、長い石段が続いている。この石段の突き当たりは神社で、龍光寺はこの石段の途中にあるのだ。
石段をはさんで左に本堂、右に大師堂がある。


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浦地の公園。東屋は野宿できそう


嵐坂の歩行者専用トンネル


トンネルを抜けると公園


ここの温泉には6時間以上いた


松尾トンネル。1.7、mあるのだ


市立伊達博物館


伊達宗城銅像


宇和島のマンホール


宇和島駅前通り


宇和島駅


光満川に沿って歩いて行く


龍光寺への長い石段




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