■真言宗豊山派 ■開基 弘法大師
■御本尊 虚空蔵菩薩
室戸岬は若き弘法大師が修行にきた場所で、岩窟で修行を続けたある夜に、輝く明星が大師の口に飛び込んだという。ここは弘法大師が最初に悟りを得た場所なのである。
     ■第23番札所 薬王寺から 83.4km
     ■高知県室戸市室戸岬町4058-1
     ■TEL 0887-23-0024


BACK 23番 薬王寺


323日(七日目)

540分、外が明るくなってきたので行動開始。パッキングが終わって出発したのは6時半である。
さて、次の札所は室戸岬の先端にある最御崎寺である。この間、なんと84kmもあるのだ。もちろん1日で到達することはできなくて、3日を覚悟しなければいけない。
最初は札所間の距離はものすごく短かったのに、どんどん過酷になってくる。ロールプレイングゲームでレベルアップしていくみたいである。
空はどんよりした曇り空、天気予報では今日一日中雨なのだ。それを覚悟して、最初から雨具のズボンで出発した。昨日一緒だったおじいさんは、雨の日は動かないのだそうで、今日は「ドライブインはしもと」で泊めてもらうのだそうだ。それもうらやましい話しである。
歩き出したすぐに雨になった。雨がはどんどん強くなる中をだらだらと登って行く。45分ほど雨の中を行くと日和佐トンネル、手前に休憩舎があった。トンネルは長さが1kmほどある。トンネルの中を歩くというのもちょっとした恐怖で、車の音が異様に大きく響く。暗い中を歩いてゆくのだが、車に轢かれたら困るので、できるだけ端を歩く。
ともかく、次の札所までは遠いので、あせらずに歩くことにして、1時間毎に休憩をする。ただ、雨の中の休憩というのは場所をみつけるのがけっこう大変なのだ。
峠に廃屋になったドライブインがあったりして、その庇の下で休んだ。雨の中ではこんな施設を探すしかない。
10時頃に向こうから老夫婦の遍路がやってきた。訊かれたのが「室戸岬はこっちですか?」、まったく逆ではないか。やさしく教えてやった。
すぐに辺川という駅があって、そこに小松大師のお堂がある。寄ってみた。お大師さまに敬意をはらったのだ。
次の目標は牟岐の街。ガイドブックに牟岐警察署の前にお接待所があると書かれているのだ。牟岐の街に入ったのに警察署はなくて、道路沿いにはないのかとあきらめかけていたら、街を通りぬけたところに警察署があった。その前にテントが張られて、お接待所のようである。雨はますます強くて、こんなときに休めるところがあるのは本当にうれしいのだ。
この接待所は地元のボランティアで運営されているのだ。このボランティアは当番制で運営されていて、昨日は遍路が多かったとか、少なかったとか言っていた。
ともかく大感謝である。
コーヒー、お茶、カステラ、お芋をごちそうになった。とってもうまかった。
さて、ここであんまりのんびりしているわけにはいかない。先に進まなければいけない。しかし、雨の中に歩き出すのは、けっこうつらい。
接待所から1時間ほど歩くと「鯖大師」に着く。大きな看板が立っていたのですぐにわかった。また国道からもそのお堂の屋根が大きく見えるのだ。JRの線路をくぐって、そのお堂に行く。すごく新しいお堂で、なにかしら新興宗教のこけおどし的な建物である。一応お参りをした。本尊は馬頭観音、頭に馬をいただく観音なのだが、ここの像は三面の憤怒の像であった。こうした形体の馬頭観音はめずらしい。(私は仏像には詳しいのだ)

話しは変わってしまうのだが、この室戸岬に向かう途中には大師伝説がものすごく多い。
帰ってから、空海に関する本を読んだのだが、空海は讃岐の生まれで、18歳くらいのときに奈良の都へ出て、官僚になるために「大学」で勉強するのだ。でもその儒教的な知識に物足りなさを感じて出奔、修行僧になる。そしてその修行のためにやってきたのが四国室戸岬なのだ。やがて、空海は室戸岬先端の洞窟にこもって修行をし、ここで仏の啓示を受けるにいたる。それから唐に留学し真言密教の体系を日本に伝えることになるのだ。
そのため、この室戸には若き日の空海が修行したという伝説が無数にあって、それが多くのお堂となって奉られているのだ。

鯖大師から1時間歩いて浅川駅に着く。このあたりの駅はすべて無人で、プラットホームに小さな待合所があるだけなのだが、ここには国道の傍らに休憩所とトイレがあった。雨の中、貴重な屋根の下の休憩所だ。
浅川を過ぎてすぐに「まぜのおかキャンプ場」の分岐があったが、無視。ひたすら海部町をめざす。
まず海南町に着く。その役場があって、川を渡るとすぐにまた役場がある。こちらが海部町役場。二つの役場の間は1kmも離れていないのだ。
大きな橋を渡って海部町に入ると、すぐに大きなショッピングセンターがある。
少し行って海部駅前にバス停の待合所。これは大きくて十分野宿ができそうである。ここで少し休憩した。20分ほど休んでいたのだが、雨はまったく止む気配がない。
しかたがないので、次の目標「道の駅・宍喰温泉」を目指す。約6kmほどの道程で、今夜はここで泊まるつもりなのだ。
ガイドブックには海部の町を過ぎてすぐに「遊遊NASA」という施設が書かれていて、ここには温泉とキャンプ場があるとなっている。のぞいてみたかったが、国道からかなり離れなければいけないので止めた。
ひたすら海沿いの道を行く。海沿いの道で困るのは風が強いことで、傘をさして歩いているので、その風で傘が飛ばされそうになる。時々、真横から吹き付けたりして、どんどん濡れてくる。
地図から判断すると、JRの線路をくぐったら宍喰の町は近いはずなのだが、なかなか着かない。疲れてもいて、雨の中は本当につらい。
宍喰の町のすぐ手前にコンビニがあった。ここで弁当を買って、道の駅に向かう。コンビニから国道を200mほど行くと右に道の駅、やっと着いた。3時であった。
まず道の駅の中の休憩所でコンビニ弁当を食べた。うまかった。
腹もふくれたので、温泉に入ることにする。
訊いてみると、ここには温泉が2つあって、道の駅に付属している温泉は安いのだが、向かい立つホテルの温泉は1000円。かなり高いのだが、こちらのほうが温泉の施設が整っているとのことなので、ホテルの方に入ることにした。
ゆっくり温泉に入って、風呂から上がると空は晴れていた。明日は雨の中を歩かなくても良さそうである。うれしい。
そのあとはロビーで新聞を読んでいた。お遍路を始めてから、社会の動きとまったく遮断されているのだから。
無料宿泊所の一覧をみたら、「民宿宍喰」に無料宿泊ハウスがあると書かれているので、そこに電話した。対応がいかにも嫌そうであった。それはそうだ、民宿をやっているのだから、そちらに泊まって欲しいだろうと思う。
とりあえず、そこに向かって歩いて行くと、宍喰川にかかる大きな橋の手前に遍路休憩小屋があった。ここに泊まることにして、民宿には断りの電話をした。
休憩小屋の真ん中にはテーブルが固定されているのだが、その隙間にテントを張った。
テントの中に入ってしまうと、その中はもう私の城である。
休憩舎の隣は墓地なのだが、そのおかげで墓参りのための水道があって水も手に入る。トイレもすぐ傍にあるのだ。
野宿の場所としてはぴったし。


324日(八日目)

夜は寒かった。というのは屋根の下にテントを張るのだからと、フライシートを張らなかったのだ。風がけっこう強くて、寒さがこたえた。
3時に眼が覚めて眠れないので、これからの予定を考えていた。
私は今回の遍路は331日で打ち切って、それから大峰山の奥駈けをするちもりでいた。しかし、このお遍路というのはおもしろい。大峰山にはいつでもいけるので、青春18切符の使用期限ギリギリまで四国遍路を続けることにした。
そうすると、48日までにどこまで行けるかである。距離を計算して宿泊場所を考えてゆくと、宇和島が終点になりそうである。宇和島までJR線はなくて、また宇和島を過ぎるてしまうとJR線から離れてしまう。宇和島から帰るための時刻表調べをした。
そんなことをしていてまた寝たら、眼が覚めたのは7時であった。急いでパッキングをして、出発は745分。今日の出発はかなり遅くなってしまった。
今日も室戸岬を目指して歩くのだが、まだ47kmほどある。その手前のどこかで泊まらなければいけない。とりあえずは、休憩所とトイレがある「夫婦岩」を目指すことにする。
宍喰大橋を渡って行くと、右に昨日泊まろうと思った「民宿宍喰」が見えた。
今日の天気はいい。徹底的に歩くつもりだ。それでも、足をいたわるために1時間毎に休憩をとる必要がある。
宍喰の町を過ぎると、すぐに長いトンネルに入る。このトンネルを出たところに、徳島県と高知県の県境の道路標識があった。やっと土佐の国に入ったのだ。
遍路の札所は国ごとにサブタイトルがあって、阿波の国は「発心の道場」、土佐の国は「修行の道場」というのだ。発心からようやく本格的な修行の地にやってきたということである。(あとで痛感するのだが、この土佐の国の札所は、その名の通りまさしく「修行の道場」で札所間がすさまじく離れているのだ。修行だと我慢して、ひたすら歩くのが土佐の札所である。途中、本当に泣きがはいってしまうのだ…)
県境を過ぎて2時間弱行くと、東洋町の集落に入る。国道を離れて集落の中の道に入った。ここには東洋大師があるのだ。通夜堂があるというので、どんなところか見ておきたかったのだ。お寺の前には赤い旗がたくさん立っていて、本堂には石段を登らなければいけない、めんどうなので止めて、そのまま国道にもどった。
野根川にかかる大きな橋を渡って、少し行くとゴロゴロ休憩所。国道沿いの駐車帯のようなところに立つ東屋だった。
ここから30分ほど行くと、右に法海上人堂がある。水とトイレがあるので立ち寄ることにした。少し登るのだが、その道は荒れている。上は小さな広場があって、草茫々という感じであった。お堂の中を覗いたが、中には即身仏の石塔があった。
即身仏とうのは生きたまま埋められて、ミイラになることのだ。水場の水はあまり出ていなかった。
それから国道に戻って、あとはひたすら国道を歩く。
2時間ほど行くと、道端に石碑が立っていて、そこが「佛海庵跡」であった。ここでは木喰上人が修行したのだそうで、草庵があったのだ。木喰上人という名が、特定の個人の名なのか私はよくわからない。私の知識にあるのは、木喰上人の木彫仏である。
日本の仏像彫刻は鎌倉期以降は、細かな細工の技術は進んだのだが、芸術的には見るべきものがほとんどない。でも、江戸期で私がすごいと思ったのは、円空の鉈彫りの木彫仏とこの木喰の彫る仏像なのだ。
円空は飛騨に多くの作品を残しているのだが、木喰は四国を巡っていたのだろうか。
ここから1時間も歩かないうちに佐喜浜に着いた。意外とがんばって歩いていたのだ。
国道から離れて集落の中の道を行く。こっちの方が近道だと思ったのだ。
雨が降り出した。今日の天気は晴れのはずではないかと気象庁に文句をいいたくなるのだが、携帯で調べてみると、12時〜6時の降水確率は40%になっていた。その40%分が今雨になっているわけである。
地図を調べたら、このあたりにコンビニがあるはずで、この町を過ぎるともう商店はないらしい。ここで買い出しをしなければ、今夜食べるものがない。
国道に出ることにした。近道をするために集落の中の道を来たのだが、逆に遠回りになってしまった。
コンビニで弁当を買って、店の前に置かれたベンチでこれを食べた。お酒も買った。今夜は酒盛りだ。
…とは言え、道は遠い。国道をひたすら歩く。
行く手の岬に、鋭く切り立った岩山が2つ見えてきた。これが夫婦岩であった。見えるのだが遠い。1時間以上歩いて、ようやく夫婦岩に着いた。風が強い。二つの岩の間にはしめ縄が張られている。
ここにはトイレと東屋があるので、ここに泊まるつもりでいたのだが、余りにも風が強すぎる。泊まるのはあきらめて、先を急ぐことにした。
5時を過ぎる頃、家が建て込んできて、美津の集落に入る。ここには海洋深層水の研究所がある。海洋深層水というのは、海の底数百メートルをゆっくりと流れている海水で、この深層水が注目されるのは、ミネラルが豊富に含まれているからなのだ。そういえば、深層水は室戸沖において初めて脚光を浴びることになったはずだ。
この研究所を写真にとってしまった。
さて、今夜はガイドブックにある「高岡漁港ふれあい公園」でテントを張ろうと思う。ここにはトイレとか東屋があって、キャンプも可能なのだ。
ところが、なかなか着かない。海洋深層水研究所からは2kmほどのはずなのだが、30分歩いてもそれらしき公園がない。日が暮れてきた。
もうだめかと思う頃に公園らしきのを見つけた。駐車場があって、大きな工場のような建物、その裏が広い公園になっていた。
暗くなる中でテントを張ろうと思ったが、風がすさまじく強い。
しかたがないので、トイレの入り口にテントを張ることにした。それでも風が吹き込んできて、テントを張るのには苦労した。
ようやくテントの中に落ちついてほっとした。今日買ったウィスキーで乾杯。


325日(九日目)

6時半に行動開始。
3時半頃、トイレを使う音がしたのだが、裏へ廻ってみてそこが漁港の網場になっていることがわかった。漁業の船出は早いのだ。
今日は天気がいい。しかし、昨日よりは弱まったものの、風はあいかわらず強い。
元気に歩き出す。昨日頑張ったので、室戸岬まではわずか4kmほどなのだ。
30分も行くと、向こうに白い大きな銅像が見えてきた。これが「青年大師像」であった。
でも、最近全国でやたらとみられるような、大きな観音像とたいしてかわらないような…。
ここから300mほど行くと、右に2つの洞窟がある。これが、空海が修行したという「御厨人窟」なのだ。前にも少しふれたが、空海は私度僧として、18歳から7年間四国を遍歴して修行をしていたのだ。そのとき、最終的にはこの室戸の地にやってきて、この洞窟に篭もったのである。瞑想を続けて、ある夜明けのときに明けの明星が自分の口中に飛び込むのを体験した。ここで悟りの境地を得たのである。
空海が再び都に上って、唐の留学僧になるのはこの後のことなのだ。だから、さっきの大きな空海の像も、「青年」大師像となっているのである。
この洞窟に入ってみた。左の洞窟は中がものすごく広い。洞窟の屋根が高くて、その突き当たりには石仏・石塔がおかれていた。
右の洞窟にも行ってみたが、これは神明宮で、天照大神がまつられているのだ。
ここから室戸岬遊歩道に入った。このあたりには弘法大師の伝説が本当に多くて、たとえば、弘法大師行水の池・目洗いの池などと目白押しなのだ。遊歩道は太平洋の打ち寄せるすぐ近くを巡る道で、すごく気持ちがいい。
潅頂ヶ浜から陸に向かうと、その正面に「中岡慎太郎」の銅像が立っていた。これが見たかったのだ。中岡慎太郎は土佐の生まれで、坂本竜馬とともに幕末に活躍した。竜馬が海援隊をつくったのに対して、中岡は「陸援隊」を組織したのだ。そして、竜馬とともに、伏見の寺田屋で暗殺される。この銅像を見て、それから高知の桂浜で坂本竜馬の銅像を見れたら完璧。
さて、望みの中岡像も見たので、24番札所の最御崎寺にむかう。これは「ほっさき」と読むのだ。少し車道を戻って、指導標に従って階段の道に入る。ここからはかなり急な道を登らなければいけない。よううやく道が平坦になると山門があった。感激。この札所に来るために前の札所から3日もかかったのだ。
納経所で朱印をもらったが、ここでは団体と個人では納経所を区別しているのだそうだ。助かる。今日は団体が多いらしい。
順路にしたがって奥に向かうと、遍路センターとかユースホステルがあり、石階を下ると駐車場があって、タクシーが何台か停まっていた。車の参拝者はここから寺に登ってくるのだ。でも私が登ってきたのが山門がある表口で、こっちは裏口である。少し慰められる。


NEXT 25番 津照寺


日和佐駅


室戸まで80km、がんばらなくては


日和佐トンネル、手前に休憩所


小松大師


牟岐警察前の接待所


鯖大師


淺川駅前の休憩所


海部川を渡る


海部駅前の休憩所(泊まれそう)


海部駅


宍喰ではこの休憩小屋に泊まった


この中にテントを張って泊まった


24日、まず宍喰川を渡る


感激、ついに高知県だ


東洋町にあったバス待合所。泊まれる


室戸まで40km地点に東屋があった


明徳寺(東洋大師)通夜堂があるという


ゴロゴロ休憩所


法海上人堂


佛海庵跡


二つ岩が見えてきた


二つ岩


海洋深層水研究所


テントを張った公園のトイレ、山の上に風車


青年大師像


御厨窟右の神明宮


目洗い池


中岡慎太郎像


最御崎寺への登り口





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