矢板市街に入ったすぐの交差点に、りっぱな門構えの旧家があった。今は矢板記念館になっているのだが、かっては材木問屋で財をなした坂巻家の邸宅なのだという。中に入って見たかったが、開館は9時からなので入ることはできなかった。まだ8時20分なのだ。
私が歩いて行く道筋にはけっこう古い家も残っていて、旧街道の面影が偲ばれた。
街を抜けると左に長峰公園がある。大きな池も見えるのだが、これは眺めるだけにして通過した。
このすぐ先で国道4号線に出た。東京までの距離がかかれた標識があって、それによると東京までは140kmということであった。
国道を200mほど歩いてから右の道に入って、小さな峠を越えると行く手には新幹線の高架が見えてきた。
この新幹線の高架を過ぎると、箒川にかかる「かさね橋」は近い。
箒川の向こうに広がるのは広大な那須野である。昔はどうしようもない荒地で、ススキ茫々の中に踏み分け道が縦横に走るという状況で、迷うことなく歩くことはむずかしい大原野だったのだという。
芭蕉は奥の細道の中で、畑を耕す農夫に泣きを入れて馬を貸してもらったと書いている。そのとき、馬に乗った芭蕉に二人の子供がついてきたのだが、そのなかの小さな女の子の名前が「かさね」というのだ。芭蕉はこの「かさね」という名前がすごく気にいったらしい。奥の細道には「かさねとは 八重撫子の 名なるべし」という曾良の句を載せている。
この曾良の句碑が、橋の手前の「沢」という集落の中にある沢観音寺にあるらしいのだが、遠回りになるので止めてしまった。
でも、かさね橋の欄干には芭蕉・曾良と句を刻んだパネルがはめ込まれていた。沢観音寺まで行かなくても、曾良の句碑はこれで十分だと思った。
かさね橋を渡って振り返ったら、新幹線ののぞみが走り過ぎて行くところであった。
超高速の旅を可能にする新幹線と、二本の足で歩いて行く芭蕉の道。すごい対比ではないか。
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