小和瀬→大雲取越え入口→円座石→楠の久保旅籠跡→越前峠→石倉峠→地蔵茶屋跡→林道交差→色川辻→舟見茶屋跡→登立茶屋跡→那智高原休憩所→熊野那智大社

昨日は小雲取越えの険しいコースだったのだが、今日の大雲取越えはさらに厳しいのだ。この難所を越えてようやく熊野那智大社に着く。ここからは那智の滝を眺めることができた。
三重塔と那智大滝



小口トンネルを抜ける


大雲取越え登り口


道が崩れていた


円座石に着いた
 円座石へ

BACK 小雲取越えを行く

2010322

昨日の夜は風が強くて大変だったのだが、今朝は風もおさまっている。テントを撤収して出発したのは715分であった。
小和瀬から指導標に従って車道を歩き、小口トンネルを抜けて下り道になると川沿いの道になった。橋を渡ったところにはポケットパークがあって、熊野古道の案内板がたっていた。東屋がもあって歌碑もたっている。この歌碑は西行法師のものである。
 雲とりや しこの山路は さておきて
 をぐちかはらの さびしからぬか

このすぐそばに熊野古道の登り口がある。急な石段があって、その入り口には大雲取越え登り口という指導標がある。大雲取越えは、熊野古道ではもっとも標高の高いところに設けられたルートで、難所が連続するのだ。でも、これを越えると熊野那智大社である。最後の山越えと思ってがんばらなければいけない。
手すりが設けられた急な石段を上って行き、振り返ると廃校になったと思われる校舎が見えて、校庭の桜が満開であった。
傾斜が緩まったと思ったら、民家の軒下を細い道が続いている。本当にこれが古道なのかと思ってしまうのだが、ちゃんと指導標がたっている。廃屋かと思うような二軒の民家のすぐ横を過ぎると、杉林の中に入った。
石段を上ると庚申の祠があって、さらに急な道を登って行くと、…道が崩れていた。最近、崩落したようだが、通行に支障はなかった。
急な登りは続く。鬱蒼とした杉林の中を
15分ほど登ると、左に苔におおわれた大きな岩があった。これが熊野古道代表する史跡、円座(わろうだ)石であった。
岩に刻まれた三つの梵字は熊野三山の神々を表しているのだ。円座というのはイグサで編んだ丸いザブトンのことで、三山の神はここで円座にすわって談笑しているのである。



 地蔵茶屋休憩所

所々に歌碑がたっている


楠ノ久保旅籠跡


越前峠


石倉峠


地蔵茶屋休憩所


この先も急な登りで、杉林の中に苔むした岩の階段道が続く。石畳の急登になって、これを越えると歌碑がたっていた。
円座石から15分ほどで、東屋に着いた。驚いたことに、この東屋の横には水道の蛇口が二つあって、これをひねったらちゃんと水が出た。
この先も急な石段の登りが続く。このあたりの苔むした石段・石畳道はいかにも熊野古道といって雰囲気で、つい立ち止って何枚も写真を撮ってしまった。
石段を
10分ほど上ると石垣が残る平坦地に着いた。ここが楠ノ久保旅籠跡であった。こんな山の上に旅籠があったのかと驚いてしまう。
石畳の坂道を下ってから大きな岩を並べた石段を上って行くと、苔むした石垣の上にお地蔵様がたっていた。
さらに、鬱蒼とした杉林の中の急登は続き、30分ほど上ると急な坂道に「胴切坂」という標識があった。この急な坂をひたすら登って行く。
杉林の中に熊野古道は続き、苔むした石段になったり、丸太を渡した階段道になったりする。この雰囲気がすばらしくて、今、熊野古道を歩いているんだ…という実感が湧いてくるのだ。
40分ほどの登りで、ようやく傾斜が緩まると「越前峠」であった。ここには小学校の登山記念の標識がいくつも立っていた。越前峠の説明板と句碑もたっている。
峠からは急な石畳の下りになった。これをどんどん下って行くと、小さな沢の流れに降り着いて、これをしっかりとした橋で渡ってから流れに沿って下って行く。このまま下りが続くのかと思ったら、それは大間違い。左に石段があって、熊野古道は再び急な登りになった。
岩でつくられた階段と石畳が入り交じる坂道を行くと、
15分ほどで峠に上り着いた。ここに「石倉峠」と書かれた指導標がたっていた。この峠には斎藤茂吉の歌碑があって、その横には石仏も置かれていた。
この先は石畳道を下って行く。
この途中で新しい古道の標石を見つけた。大雲取越と刻まれていて、ポイントナンバーは17、那智山までは8.5kmと書かれている。この標石は500m毎に置かれているのだ。たぶんポイントゼロになったら那智大社なのだと思う。これはいい目安になる。
石畳をどんどん下って行くと車道に飛び出して、そこにはトイレや東屋、案内板があった。登山者が5人ほど休憩していた。ここが「地蔵茶屋跡」で、地蔵堂もたっているのだ。地蔵堂の中をのぞいてみたら、たくさんのお地蔵様が並んでいた。地蔵堂の横には「大雲取、地蔵茶屋休憩所」があるのだが、戸は閉まっていた。



 八丁坂を越えて舟見峠へ

色川辻への登り口


倒木が道をふさいでいた


色川の辻


舟見峠への登り


舟見峠


ここから古道は車道を歩いて行くのだ。道の右には沢が流れていて、少し行くと沢を渡る橋がかかっていた。対岸に遊歩道があるようなのだが、これはハイキングコースで古道ではないのだ。さらに車道を歩いて行く。どこかに古道の入り口があるはずなのだが…と思いながらひたすら車道を歩いて行くと、
道ばたでハイカーが休憩しているのが見えた。ここには指導標がたっていて、その右から石畳道が上ってきている。これが熊野古道で、私はどこかで古道の入り口を見逃してしまったようである。車道の左には上って行く道がある。これが色川辻に向かう道である。指導標には那智山まで6.3km125分と書かれていて、色川辻までは0.8kmであった。
鬱蒼とした杉林を行くと、倒木が道をふさいでいた。さっきは道が崩落していたが今度は倒木である。重いザックを背負っていると、こんな倒木帯を抜けることにも苦労するのだ。世界遺産なのだから早く整備してほしいと切望してしまう。
苔むした自然石の階段道を上って行くと、赤い鳥居と地蔵尊がある平坦地に着いた。でも、ここにはなんの標識もなかった。ここから5分ほど石畳道を上ると車道に飛び出して、これを少しだけ行くと丸太を椅子にした広場があった。ここに立つ指導標には色川の辻と書かれていた。この先はすぐに急な登りが始まるようなので、少し休憩する。
ここから始まる上りは「八丁坂」といって、「亡者の出会い」とも呼ばれ、死に別れた親兄弟、知人の白装束姿が見えるというのだ。そして、熊野特有の「妖怪ダル」の出るところとも言われているのだ。身の毛もよだつ恐怖の道で、いかにも薄気味悪い。
石畳の急な坂を上って行くと、道ばたに石仏があった。妖怪に逢いませんように…と、この石仏に手を合わせてしまった。鬱蒼とした杉林の中、道は深く窪んだ溝の中を行くようになって、益々不気味になった。
20分ほど登ったところで、いったん樹林から抜け出して展望が広がった。明るい日差しのなかに熊野の山々を展望できた。妖怪に逢わなくてよかった…と胸をなでおろした。
さらに石畳道を5分ほど上ると峠に着いた。ここが「舟見峠」で、10人ほどのグループが休憩していた。このメンバーの中には熊野古道の案内人が混じっていて、何かのツアーなのだろうと思う。熊野古道もどんどん観光化しているのだ。
この峠からは潮岬も見えるらしいのだが、遠くは霞んでいて海は見えなかった。
すぐに峠から下る。



 熊野那智大社へ

舟見茶屋跡の東屋


車道が平行する


公園の中を下る


青岸渡寺境内に着いた


道の両側には笹藪があらわれて、この間に道は通じている。峠から
5分ほど下った平坦地には舟見茶屋跡があった。説明板がたっているだけで、痕跡はまったくない。
このすぐ上に東屋がたっているのが見えたが、登るのが面倒で立ち寄らなかった。でも、あとでガイドブックを読んだら、ここからは熊野灘を展望できたらしい。惜しいことをした。
杉林の中、石畳道を下って行くと、いつの間にか尾根の上を歩いていた。
30分ほど下ったところには「登立茶屋跡」があった。ここには古い石垣が残されていた。
石畳の急な坂道を下って行くと、左に車道が平行するようになった。でも、車道に合流することはなく、登立茶屋跡から
25分ほどで、下に東屋が見えてきた。樹林から抜け出すと、そこには園地が広がっていた。「那智高原公園」である。
公園に降り立ったすぐ横には石碑が二つたっている。これが「狩場刑部左衛門寄附山林」の碑である。
広い公園の中で、どっちへ行ったらいいんだと迷ってしまうのだが、熊野古道のマップがあって、そこに指導標がたっていた。
公園の広場から石段を下って行く。明るい日差しの中、桜が満開ですばらしくきれいである。どんどん下って行くと、今度はアスレチックの施設があったりで、この公園はすごく広いのだ。公園の中には昭和天皇の御製の歌碑もたっていた。ようやく公園の端まできて、ここからは樹林の中を下って行く。
5分ほど下ると、熊野古道のポイント標識の1番があった。ということは那智大社まではあと500mである。
杉林の中の石段を下って行くと伽藍が見えてきて、石段を下りきると、そこはもう青岸渡寺の境内であった。すぐ先には那智の滝を展望する舞台があった。
青岸渡寺に参拝して、それから那智大社にお参りをした。


NEXT 大門坂から那智駅へ

BACK 熊野古道 中辺路を行く



   




熊野古道を行くTOP  総TOP My日本の山  My日本の道  日本の旅  私の写真館  自己紹介















inserted by FC2 system