この先も急な登りで、杉林の中に苔むした岩の階段道が続く。石畳の急登になって、これを越えると歌碑がたっていた。
円座石から15分ほどで、東屋に着いた。驚いたことに、この東屋の横には水道の蛇口が二つあって、これをひねったらちゃんと水が出た。
この先も急な石段の登りが続く。このあたりの苔むした石段・石畳道はいかにも熊野古道といって雰囲気で、つい立ち止って何枚も写真を撮ってしまった。
石段を10分ほど上ると石垣が残る平坦地に着いた。ここが楠ノ久保旅籠跡であった。こんな山の上に旅籠があったのかと驚いてしまう。
石畳の坂道を下ってから大きな岩を並べた石段を上って行くと、苔むした石垣の上にお地蔵様がたっていた。
さらに、鬱蒼とした杉林の中の急登は続き、30分ほど上ると急な坂道に「胴切坂」という標識があった。この急な坂をひたすら登って行く。
杉林の中に熊野古道は続き、苔むした石段になったり、丸太を渡した階段道になったりする。この雰囲気がすばらしくて、今、熊野古道を歩いているんだ…という実感が湧いてくるのだ。
40分ほどの登りで、ようやく傾斜が緩まると「越前峠」であった。ここには小学校の登山記念の標識がいくつも立っていた。越前峠の説明板と句碑もたっている。
峠からは急な石畳の下りになった。これをどんどん下って行くと、小さな沢の流れに降り着いて、これをしっかりとした橋で渡ってから流れに沿って下って行く。このまま下りが続くのかと思ったら、それは大間違い。左に石段があって、熊野古道は再び急な登りになった。
岩でつくられた階段と石畳が入り交じる坂道を行くと、15分ほどで峠に上り着いた。ここに「石倉峠」と書かれた指導標がたっていた。この峠には斎藤茂吉の歌碑があって、その横には石仏も置かれていた。
この先は石畳道を下って行く。
この途中で新しい古道の標石を見つけた。大雲取越と刻まれていて、ポイントナンバーは17、那智山までは8.5kmと書かれている。この標石は500m毎に置かれているのだ。たぶんポイントゼロになったら那智大社なのだと思う。これはいい目安になる。
石畳をどんどん下って行くと車道に飛び出して、そこにはトイレや東屋、案内板があった。登山者が5人ほど休憩していた。ここが「地蔵茶屋跡」で、地蔵堂もたっているのだ。地蔵堂の中をのぞいてみたら、たくさんのお地蔵様が並んでいた。地蔵堂の横には「大雲取、地蔵茶屋休憩所」があるのだが、戸は閉まっていた。
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