大門王子→十丈峠→十丈王子→小判地蔵→悪四郎屋敷跡→一里塚→上多和茶屋跡→三体月鑑賞地→逢坂峠→大坂本王子→道の駅熊野古道中辺路→一里塚→牛馬童子→箸折峠東屋

十丈王子にお詣りしたあとは山中の道が続く。ところどころに石畳が残っていて、昔の熊野古道の面影が残る道である。この日のハイライトは牛馬童子という石像。牛と馬が並ぶその背にかわいらしい顔の童子がまたがっているのだ。
牛馬童子



檜林を行く


十丈王子跡
 81十丈王子

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2010年3月19日

大門王子からさらに檜林の道を行く。左側は急な斜面で、樹林から抜け出すとすばらしい展望が広がる。すごく高いところを歩いているんということに気がつく。

再び檜林に入ってしまうのだが、ようやく傾斜が緩まって、峠に着いた。そこには十丈峠休憩舎があった。このすぐ先に広場があって、そこに十丈王子跡があった。椿の木の下に石碑がたっていた。
ただ、この十丈王子は、平安・鎌倉時代は「重點」と書かれていて、後鳥羽上皇に同行した藤原定家の日記でも「重點王子」と書かれているのだ。
広場のすぐ下には新しいトイレがあった。さすがに世界遺産になると予算がつくようで、すごく立派なトイレなのだ。太陽光発電パネルを持っていて、屎尿処理もバイオ処理するという最新式のものであった。



 82大坂本王子

小判地蔵


悪四郎屋敷跡の表札と登山口標識


三体月鑑賞地の分岐


急斜面をジグザグに下る


大坂本王子跡


十丈王子の広場から再び林の中の道を行く。
10分ほど行くと、道ばたに小さなお地蔵様があった。小判地蔵というのだ。飢えと疲労のために小判をくわえたまま、ここで倒れたという巡礼を弔ってたてられたのだという。よくみると異様な笑い方をして、不気味だった。
ここから緩やかに5分ほど上ってピークに着くと、悪四郎屋敷跡という説明板があって、その横には悪四郎山登山口の標識がたっていた。悪四郎がどんな人なのかよくわからないのだが、こんな山の中に屋敷を構えてどうするんだよ…と思ってしまう。
さらに山道は続く。この道のすぐ右には悪四郎山がそびえているはずで、私は今、中辺路のコースではもっとも標高が高いところを通過しているのだ。
悪四郎館跡から20分ほど歩いたところには一里塚跡の石標があった。ここが和歌山から25里の地点になる。
さらに山道を緩やかに上って、12分ほどで上多和茶屋跡に着いた。熊野詣が盛んだったころは茶店があったといい、大正期にも人家があったらしい。
悪四郎山の山腹はもう通過している。
この先に「三体月鑑賞地」があるというので、立ち寄ろうと思う。陰暦の11月23日の夜、東の空に三体の月が現れるという伝承があるのだ。三体月は「熊野権現垂迹縁起」にも見られるという。
注意しながら歩いて行ったのだが、なかなか現れない。もしかしたら通過してしまったのかと思ったころに、道ばたにその説明板が立っていた。茶屋から
17分も歩いていた。地図ではすぐのように見えるのだが…。でも、その鑑賞地というのは、ここから尾根通しにそびえている山にあって、古道からかなり登らなければいけないのだ。…止めた。
ここには指導標もあって、次の大坂本王子跡へはここから下って900mとなっている。あきらかに私の地図とは違う。でも、近いのだからいい。指導標に従って、尾根から下って行く。
ジグザグのすごく急な下りであった。ようやく広い道に降り立つと、そこが逢坂峠であった。
でも、この峠からは、さらに急な階段道を下るのだ。ところどころに石畳らしい跡が残る道をどんどん下って行く。峠から
15分ほど下って、沢を渡った先に大坂本王子跡があった。
いつもの青い説明板があって、王子名が刻まれた石碑がたっていた。その横には墓石のような石塔もあった。



 牛馬童子

沢に沿って下る


道の駅熊野古道中辺路




一里塚跡の石標


牛馬童子


大坂本王子の先は沢に沿って下って行く。なんどか橋を渡って、沢を縫うように下って行くのだ。
15分ほど行くと右に車道が見えてきて、これと平行して少し行くと、「道の駅熊野古道中辺路」があった。時間は1420分になっている。ここに泊まれないだろうかと思ったが、東屋もなくて無理であった。
ガイドブックを読んだら、ここから20分ほど登った箸折峠の少し先に東屋があると書いている。そこにテントを張ることに決めた。
道の駅から峠に登って行く入り口には「牛馬童子」という大きな標識がある。これは熊野古道を代表する石仏らしい。楽しみにして登って行く。すごく整備された道で、階段や柵もきっちりとつけられている。車を道の駅に停めた観光客はこの坂を上って牛馬童子を見に行くからなのだ。階段道から振り返ると、道の駅の建物が一望できる。
樹林に入ってさらに登ると、車道に出てしまった。でも、車道を少し行くとすぐに山道の登り口があった。斑模様に陰をつくる檜林を登って行くと、再び一里塚の石標があった。
ようやく広々とした平坦地の箸折峠に着いたが、その牛馬童子が見えない…、と思ったら、古道から外れて石段を少し上るのだった。登って行くと、宝筺印塔がたっていた。この塔は花山法皇の経塚ともいわれているようだ。
この塔を回り込むと、牛馬童子があった。予想していたものよりもすごく小さい、でも、かわいらしい。このほかにも石仏が二体あって、それぞれ趣のある表情をしている。

石段を下って古道に戻り、峠から下って行く。けっこう急な石畳道を下ると、樹林から抜け出して展望が広がった。そして、この展望地に東屋はあった。時間は15時、予定通りここにテントを張った。
今日は、この東屋のテーブルでパソコン入力をしよう。




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