十丈王子の広場から再び林の中の道を行く。10分ほど行くと、道ばたに小さなお地蔵様があった。小判地蔵というのだ。飢えと疲労のために小判をくわえたまま、ここで倒れたという巡礼を弔ってたてられたのだという。よくみると異様な笑い方をして、不気味だった。
ここから緩やかに5分ほど上ってピークに着くと、悪四郎屋敷跡という説明板があって、その横には悪四郎山登山口の標識がたっていた。悪四郎がどんな人なのかよくわからないのだが、こんな山の中に屋敷を構えてどうするんだよ…と思ってしまう。
さらに山道は続く。この道のすぐ右には悪四郎山がそびえているはずで、私は今、中辺路のコースではもっとも標高が高いところを通過しているのだ。
悪四郎館跡から20分ほど歩いたところには一里塚跡の石標があった。ここが和歌山から25里の地点になる。
さらに山道を緩やかに上って、12分ほどで上多和茶屋跡に着いた。熊野詣が盛んだったころは茶店があったといい、大正期にも人家があったらしい。
悪四郎山の山腹はもう通過している。
この先に「三体月鑑賞地」があるというので、立ち寄ろうと思う。陰暦の11月23日の夜、東の空に三体の月が現れるという伝承があるのだ。三体月は「熊野権現垂迹縁起」にも見られるという。
注意しながら歩いて行ったのだが、なかなか現れない。もしかしたら通過してしまったのかと思ったころに、道ばたにその説明板が立っていた。茶屋から17分も歩いていた。地図ではすぐのように見えるのだが…。でも、その鑑賞地というのは、ここから尾根通しにそびえている山にあって、古道からかなり登らなければいけないのだ。…止めた。
ここには指導標もあって、次の大坂本王子跡へはここから下って900mとなっている。あきらかに私の地図とは違う。でも、近いのだからいい。指導標に従って、尾根から下って行く。
ジグザグのすごく急な下りであった。ようやく広い道に降り立つと、そこが逢坂峠であった。
でも、この峠からは、さらに急な階段道を下るのだ。ところどころに石畳らしい跡が残る道をどんどん下って行く。峠から15分ほど下って、沢を渡った先に大坂本王子跡があった。
いつもの青い説明板があって、王子名が刻まれた石碑がたっていた。その横には墓石のような石塔もあった。
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