清姫の墓→滝尻王子→胎内くぐり→不寝王子→剣ノ山経塚→飯森山→針地蔵→高原熊野神社→高原霧の里休憩所→一里塚跡→大門王子

最初にお参りするのが五躰王子の一つ、滝尻王子で、世界遺産の石碑がたっていた。この先は山道が続き、熊野本宮社に向かって登って行くのだ。これからが「世界遺産紀伊山地の霊場と参詣道」である
滝尻王子



国道を歩いて行く


滝尻に着いた


滝尻王子


熊野古道中辺路の起点標識
 78滝尻王子(五躰王子の一つ)

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2010319

「清姫の墓」で泊まったのは正解、耳元で富田川の流れの音が快く、すごく快適に眠ることができた。
6時頃に目を覚まして、スープをつくって飲んで、それからテントを撤収。出発は75分である。
清姫の墓から少し行くと国道に出る。あとは国道を歩いて行くのだ。清姫の墓から滝尻までは30分もあったら着けるのだろうと思っていたのだが、実際の距離は3kmもあって、ガイドブックでは50分となっていたのだ。富田川に沿って道は続き、川の流れが青く澄んでいてすばらしくきれいである。
行く手に建物群が見えて、富田川にかかる橋が見えてきた。富田川と石船川が合流するここが滝尻であった。
川の向こうには「熊野古道館」が見える。見学したいのだが、まだ745分なので当然開いていない。
橋を渡った左が滝尻王子社である。この入り口には世界遺産の石碑があった。いよいよ、熊野古道は世界遺産の圏内に入るのだ。
今日歩こうとしているルートは、もっとも熊野古道らしい、そして熊野古道を代表するルートなのだ。
滝尻王子の境内にはこの先の熊野古道のルートの地図があって、指導標もしっかり整備されているようだ。今までの熊野古道とは大違いである。
境内には28回も熊野に詣でた後鳥羽上皇の歌碑があった。でも、上皇は承久の乱に破れて隠岐に流され、島で生涯を終えてしまう。熊野権現の御利益はあまり期待できない…と思ってしまった。
 おもいやる かものうわげの いかならむ
 しもさへわたる 山河の水

ここには中辺路起点の標識があった。中辺路って紀伊田辺の「潮垢離浜」から始まると思っていたのだが、これはいったいナンナノダ。いずれにしろ、この先は本格的な山道になるのだ。気持ちを引き締めなければいけない。
まず滝尻王子社に手を合わせて道中の安全を祈願し、それから歩き始めた。



 79不寝王子

巨岩の横を登る


胎内くぐりに着いた


不寝王子跡


滝尻神社本殿の左に道が続いている。すぐに指導標によって右折するのだが、ここからは急な登りが始まった。

急な古い石段が続き、時々、木の根が網のように張り出しているところもある。かなりきつい登りの連続で、これなら登山と変わらない。
鬱蒼とした樹林の中を登って行くと、道には大きな岩が現れる。標識が立っているので、何かと思ったら、この先にあるのが胎内くぐりであった。大きな岩がそびえ立ち、その隙間はすごく狭い。私にはとても通り抜けられそうにないので、迂回路を行くことにした。情けない…。
石段を上って右から回り込むと、岩が庇のように突き出ている。これが乳岩であった。昔、奥州藤原秀衡夫妻が熊野参りに来たとき、夫人がここで急に産気づいてこの岩屋で出産したというのだ。
このすぐ近くに不寝王子跡があるはずだが…、と注意しながら登って行くがなかなか着かない。地図で見ると乳岩のすぐ隣のようにも見えるのだが、おかしいと思いながら登って行くと、7分ほど登ってようやく着いた。林の中にひっそりと不寝王子と刻まれた石碑が立っていた。少し後ろに、いつもの青い説明板もたっている。
中世の記録にこの王子の名はないというから、ずいぶん早い時期に失われてしまったようだ。



 高原熊野神社

指導標がたっていた


飯森山山頂


石畳になった


針地蔵


高原熊野神社


不寝王子からさらに、露岩や木の根が張り出した急斜面の登りが続く。道が石段になると指導標がたっていた。何かと思ったら、古道ヶ丘陶芸館の道を示しているのだった。次の目標の高原熊野神社までは
3kmとも書かれていた。
傾斜が緩まって、樹林の稜線を歩いて行くと「剣ノ山経塚跡」の標識がたっていた。かって、ここから熊野本宮の間には「九品の門」があり、ここが最初の「下品下生の門」あったのだそうだ。ここには経塚があったのだが、明治末期に盗掘されてしまったという。
さらに平坦な道を
10分ほど行くと道が二つに分岐していて、左は階段の急な登りになっている。標識があって、この階段を上ると飯盛山の山頂にゆけるという。浅ましいヤマヤのサガで山頂とみたら登らずにはおけない。階段を登って行くと、すぐに樹林から抜け出して明るい山頂に着いた。驚いたことに、ここには三等三角点があった。三角点があったらりっぱな山である。山頂で記念写真を撮ってしまった。
山頂からは四方を展望することができて、下には小さく集落が見えた。今日は快晴で、すばらしい眺めだ。
飯盛山山頂から急な階段を下ると、すぐに熊野古道に合流した。
檜の林から抜け出して、明るい雑木林を行くようになると、道は石畳になった。明るい日差しを浴びながら調子よく歩いていたら、突然車道に出てしまった。えっと思ったら、すぐ先に再び石畳の上り道があった。稜線が車道で分断されているのだ。

石畳の道が続くのだが、いつのまにかすぐ右を車道が平行していた。
少し上りになると針地蔵があった。前に立つ看板がいやに新しく派手である。

この先、熊野古道は車道から完全に離れて、樹林の登りになる。時々丸太の階段道になったりして、けっこうきつい登りである。ようやくピークに着くと、NHKのアンテナ塔がたっていた。
これを過ぎると、下ることなく集落の中に入った。この集落は山の上にあるということだ。道の左側は開けていて、展望がすばらしい。
集落の中を行くと熊野神社を指す標識があった。これに従って、右に入ると朱塗りの社殿が見えた。ここが目指していた高原熊野神社である。
社殿は鮮やかに彩色されていてきれいである。そして、この社殿を囲む楠の大木がすばらしい。いかにも熊野古道の神社だと思った。



 80大門王子

高原霧の里休憩所


石畳の急坂を上る


壇ヶ峰遊歩道入口


大門王子跡


集落の中を歩いて行くとすぐに、すごく広い駐車場があった。ここが「高原霧の里休憩所」である。駐車場は展望台にもなっていて、ここから見える山々の案内板があった。下には棚田が広がっていて、水車小屋も見える。すばらしい展望である。

ここから指導標に従って集落の間を歩いて行く。民家の間の細い急な道を登って行き、集落から抜け出すと石畳道の急登になった。樹林の中に入って少し行くと東屋があって、その手前には不思議な三角屋根の建物があった。なんだろう。
東屋の前には一里塚跡の石標が立っている。(この一里塚はこのあと、一里毎にちゃんと石標がたっていた)
鬱蒼とした檜林の中を行く。木漏れ日の道が気持ちいい。
道の途中には壇ヶ峯遊歩道の入り口があった。山の名前を見ると、つい行ってみたくなってしまうのだが、今回はそんな余裕はない。
さらに檜林の中を7分ほど行くと、右に池があった。ガイドブックにある高原池だと思うのだが、説明板はなかった。濃い緑の林に囲まれたひっそりとした池であった。
檜林を緩やかに上って行って、ピークを越えると指導標があって、大門王子まで100mと書かれていた。
でも、この先は丸太の階段を上らなければいけなかった。ようやく着いた大門王子は朱塗りの社がちゃんとおかれていた。



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