八上王子→田中神社→王子谷コース→稲葉根王子→富田川水垢離場跡→一ノ瀬橋→一瀬王子→鮎川王子→住吉神社→御所平→念仏淵→道の駅ふるさとセンター大塔→吊り橋→清姫の墓

五躰王子のひとつ稲葉根王子にお詣りした後は富田川に沿って歩いて行くのだが、途中には断崖をトラバースする険しいところもあった。道の駅があるので、ここに泊まろうと思っていたが不適で、やむなく清姫の墓にテントを張ることになった。
住吉神社に祀られる鮎川王子社



田中神社のハスの畑


竹が倒れ込む道


民家の庭先に出た


稲葉根王子
 75稲葉根王子(五躰王子の一つ)

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2010年3月18日

八上神社の参拝を終えた頃雨になって、神社からは傘をさして歩行くことになった。

集落を外れて田んぼの中の道を行くと、向こうにこんもりとした杜(もり)が見える。なんか古墳のようにも見えるのだが、地図で確認すると田中神社であった。
この神社には南方熊楠が命名したという藤の新種「オカフジ」があるというので寄って行くことにする。神社の裏のほうに着いたのだが、こちらには古代のハスの花の畑があった。でも、今の季節は何も生えていないのだ。

神社の正面に回って、オカフジの説明を読んだが、どれがオカフジなのかよくわからなかい。オカフジではないのだが、境内には注連縄が張られた古木があった。
再び車道を歩いて行き、集落に入ると指導標があった。ここから平坦な舗装道を行くルートもあるのだが、私は「王子谷コース」という山道を選んだ。
指導標に従って、民家の間の細い道に入る。坂道を上って行くのだが、指導標がきちんとしているので迷うことはなかった。でも、簡易舗装から山道になると、本当にこれでいいのかと疑いたくなる踏み跡のような心細い道であった。果樹園の中を
どんどん上って行くと、竹藪に入った。荒れ放題の竹藪で、たくさんの竹が倒れ込んで道をふさいでいる。この倒れた竹をかいくぐって行くのだ。杉林の中を行くようになると、さらにきつい登りになった。これは完全に登山である。
ようやくピークを越えると、鬱蒼とした樹林の中を下るようになって、竹林を抜けて集落に入った。民家の庭先を通るようになっていて、犬に激しく吠えられた。
すぐに赤い橋があって、これを渡ったところが稲葉根王子宮であった。
本殿は鮮やかな朱で、境内にはあの青い説明板もたっていた。藤原定家の日記では、ここに十月十三日に参拝したと書かれていて、五躰王子として儀式が諸事華やかに行われたという。




 76一瀬王子

朝日夕陽百選の碑


一ノ瀬橋


一瀬王子跡


稲葉根王子から出ると、すぐに国道
311号線である。これを横断した先に広い駐車場があって、その向こうには大きな川が流れている。富田川である。川岸まで行ってみると、流れに下る石の階段があった。これが水垢離場跡である。ここには「和歌山県朝日夕陽百選」のモニュメントがたっていた。
ここからは富田川に沿って歩いて行く。雨が上がったが、傘を乾かすために、さしたままで歩いて行った。河川敷には菜の花が咲いていて、すごくきれいであった。
行く手に大きな一ノ瀬橋が近づいてきて、これを渡る。渡ったところで左折して、再び川に沿って歩いて行く。このまま川に沿って広い道を行くのかと思ったら、指導標に従って、右の道に入るのだ。行く手には山があるのだが、どうするんだろうと思ったら、すぐに左折して、ここからは田んぼのあぜ道のような道を行く。べつにあのまま、広い車道を歩いていっても問題ないようなのだが。
まだ耕し始めていない田んぼにはレンゲがいっぱいに咲いる。春だなぁと思ってしまうのだ。いったん車道を横切ってから少し行くと、右に上って行く細い道がある。この上が一瀬王子であった。
大きな楠の下に小さな社がぽつんとたっていて、横にはいつもの青い説明板もあった。ベンチがあるので、ここで休憩。



 77鮎川王子

大塔村に入った


鮎川王子跡


丘から下って、再び川に沿って歩いて行くと大塔村の道路標識があった。紀伊田辺市から大塔村に入ったのだ。なにかしら熊野本宮が近くなったような気がした。

川に沿って歩いて行くと、日もさすようになって、富田川がすごくきれいである。
道ばたに庚申塔があるのを見つけた。この塔は道しるべも兼ねているのだ。
富田川河川敷には子供の遊具施設がある芝生の公園がつくられたいて、さらに歩いて行くと工事中の橋があった。これが加茂橋で、さらに川沿いを15分ほど行くと鮎川新橋に着く。この橋も工事中であったがこれを渡るのだ。今、日本全国では橋の耐震補強のための工事が行われているのだ。
橋を渡った突き当たりにあるのが鮎川王子跡である。この隣には休憩所が設けられているので少し休憩した。



 ふるさとセンター大塔へ



住吉神社


藤原定家の歌碑


崖の道


茶屋の壇跡


橋をもう一度渡って、歩いてきた道に戻る。ここから新しい熊野古道の標識が現れた。これが大塔村の設ける標識のようだ。

これに従って歩いて行くと神社の杜(もり)が見えてきて、住吉神社の前に着いた。ここには鮎川王子が合祀されているのでお参りして行く。住吉神社本殿の左にちゃんと鮎川王子の社があった。
この先、坂を上って行く。川がずいぶん下に見えるようになって、その川に潜水橋がかかっているのが見えた。
集落を抜けて静かな道を歩いて行くと、右に上って行く細い道があった。これを上ったところが「御所平」なので立ち寄ることにする。ここには後白河法皇の頓宮(仮の御所)があったのだそうだ。御所平からは富田川の流れを見下ろすことができる。このすぐ上には薬師堂があった。
道に戻って、川に沿って歩いて行くと橋があって、その向かいに藤原定家の歌碑がたっていた。
 そめし秋を くれぬとたれか いはた河
 またなみこゆる 山姫のそて

その隣には大塔村村長の石碑があった。「南紀熊野体験博覧会開催記念」となっている。

川沿いの舗装道が突然行き止まりになった。げっと思ったら、その先は草つきの細い道が続いている。これが熊野古道なのだ。最初は明るい芝生のようなの道なのだが、樹林の中に入ると右は崖になった。要は富田川の崖をトラバースする道を歩いているのだ。道の途中に祠があった。道祖神と庚申塚であった。
鬱蒼とした樹林の中を行くと桟があったりして、かなり険しい道になってきた。

突然、念仏淵の説明板がたっていた。ここから対岸に見える建物は鮎川温泉らしい。道のすぐ下は断崖になっていて、富田川が真っ青な水で流れているのが見えた。
道には露岩が現れ、ますます険しくなってきた。
テーブル・ベンチのある休憩所に着いた。ここにたつ説明板には向かいにある建物が「ふるさとセンター大塔」で、元の「茶屋の壇」であると書かれていた。岩壁がそそり立ったりするトラバース道を歩いて行くと、行く手に赤い橋が見えてきた。国道なのだが、熊野古道はこの下をくぐって国道に出ることはない。でも、国道を少し戻ったところに道の駅があるので、そこにテントを張ろうと思って国道に上がった。橋を渡って道の駅に行ってみると、ここはさっき見たふるさとセンターであった。テントが張れそうなところもないので、先に進むしかない。




 清姫の墓へ

峠にはお地蔵様


山道が終わった


赤い吊り橋を渡る


清姫の墓に着いた


再び古道に戻って、川の絶壁につけられた道を行く。
道がゆとりのあるものになって、ちゃんと沢にかかる橋も整備されるようになった。少し行ったら、オオウナギ生息地域指定限界の碑がたっていた。
ここからジグザグの急な登りになった。ようやく峠に着くと、そこには石仏がおかれていた。ここからは富田川の広い流れが見え、その向こうに赤い吊り橋が見えた。次に目指す清姫の墓にはあの橋を渡るのだ。左側は開けているので、川の流れを見ながら下って行く。途中には庚申の石仏があったりして、熊野古道らしい雰囲気である。
どんどん下って集落の中に入った。すぐに吊り橋があるだろうと思ったが、ここからがけっこう長く感じた。道は曲がりくねっていて、集落を抜けるとようやく左に下る道が分岐した。これを下って国道に出て、これを横切ると吊り橋の前に着く。しっかりした造りなのだが確かに吊り橋で、歩いて行くと揺れるのだ。
対岸に渡って、川に沿って歩いて行く。私のガイドブックでは清姫の墓は山の上にあると書かれているので、注意しながら歩いて行くと、左にあがって行く道を見つけた。これを登るのだろうかと思ったが指導標がない。ちょうど、ここで車を脱輪させて持ち上げる作業をしている人がいたので聞いてみたら、登らずにまっすぐ行くのだという。本当だろうかと疑いながら歩いて行くと、橋を渡ったすぐ右にお堂が見えた。ここが清姫の墓であった。石段を上ると清姫の墓があって、清姫堂もあった。でも、ここのお堂はすべてあたらしい。石碑を読むと、どうも移転させたものらしい。納得した。この境内の奥、階段を下ったところに富田川の展望所があった。ここにはベンチもおいてあって、テントを張るにはぴったしである。時間は1645分、こにはトイレはないが水もあるので、ここに泊まってしまうことにした。テントを張り終えて、中に収まったのは17時半であった。


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