潮垢離浜跡→出立王子→八立稲神社→紀伊田辺駅(泊)→秋津王子→須佐神社→万呂王子跡→三栖廃寺塔跡→八上神社(八上王子)

出立王子にお詣りしてから紀伊田辺駅の近くで泊まった。明けて、いよいよ中辺路を歩き始める。中辺路は左会津川をさかのぼるように続いている。万呂王子を過ぎると川から離れて山を越え、八上王子に着くのだ。
中辺路最初の王子社



街道らしい町並を行く


出立王子


八立稲神社


急な坂を下って会津川へ
 70出立王子

BACK 三鍋王子から潮垢離浜跡へ

2010年3月17日

潮垢離浜跡にはちゃんと指導標があって、次の出立王子を指し示していた。でも、指導標は本当にここだけで、この先曲がるところに標識はまったくないのだ。時間は
1545分になっている。今日はここ田辺に泊まることにしておいてよかったと思った。
出立王子に向かって歩いて行く。これもよくわからないのだが、会津川にかかる橋に出たらなんとかその先は見当がつきそうである。
磁石で確認して、東を目指し歩いて行くと会津川にぶつかった。ここから川上に歩いて行くと、けっこう落ち着いた歴史を感じさせる町並みが続く。
広い道に出て、そこにかかる橋を確認すると会津橋であった。これで地図上の自分の位置が確認できた。ここから左に歩いて行くと、右の丘の上に学校が見える。これがたぶん田辺第三小学校で、そのすぐ側に出立王子はあるはずだ。学校の近くまで来たところで右の道に入るとドンピシャリ、行く手に鳥居が見えた。これが出立王子であった。中辺路最初の王子社である。

神社で少し休憩。
神社の前の坂を上って行って、小学校の前を過ぎると、錆びた標柱があって、それは八立稲(やたちね)神社を示していた。

細い道を緩やかに上ると正面に新しい鳥居が見えてくる。これが八立稲神社で、変な名前だと思ったら、八幡・出立・稲荷を合祀しているためその一文字ずつとってつけた名前なのだ。
鳥居をくぐって境内に入ると、左に立つ白い鳥居には出立王子の額がかかっていた。ここは出立王子でもあるのかと思った。

八立稲神社に参拝した後は正面の表参道を下って、古い民家の通りを行く。途中で、宗祇庵の石碑を見つけた。宗祇は旅の連歌師であったが、この田辺でも
 世を旅に 宿を刈田 ほとりかな
という連歌の発句を残しているのだ。
左折して、会津川に沿って行くと広い道に出た。まっすぐ行くと、次の秋津王子に行けるのだが、今日はこれはお終いにして、マクドに行くことにした。時間をつぶしてからネットカフェで泊まるつもりだ。



 71秋津王子

駅近くのネットカフェに泊まった


青木歩道橋で会津川を渡る


秋津王子跡


2010
318

今日から中辺路に入る。田辺では駅近くのネットカフェに泊まったのだが、よく眠れなかった。出発は6時半。ネットカフェは田辺駅のすぐ近くにあったので、まず会津川まで歩かなければいけない。会津川にかかる橋を渡ると、橋のたもとには鍳(かがみ)淵の碑があった。弘法大師はこの地にしばらく滞在したのだが、去るにあたって、会津川の淵に自分の姿を写して、これを木造に刻んで残したという。姿を写した鏡のような淵がここなのだ。気がついたのだが、今渡った橋は「大師橋」という名であった。
川に沿って歩いて行く。5分ほど行くと、左に立派なお寺の門があった。これは高山寺の仁王門なのだ。ここには南方熊楠の墓があるというのだが、本堂はかなり高い丘の上にあるので通過してしまった。
朝日に中の会津川を眺めながら歩いて行くと、国道の高架が近づいてくる。その手前に小さい橋があって、これを渡ると会津川の中州に着くのだが、少し右に行くと小さな公園があった。その入り口に秋津王子跡があった。
いつもの青い説明板がたっていて、横には地蔵堂がある。地蔵堂は王子跡とはなんの関係もないのだが、ともかくここには説明板以外に何もない。念のため公園の中に入ってみたが、やはり何もなかった。




 72万呂王子

須佐神社の杜が見えてきた


須佐神社


左会津川の土手を行く


万呂王子跡


秋津王子跡のすぐ先にある竜神橋で会津川を渡り、中州から出る。橋を渡ったところで左折して、会津川を左に見ながら歩いて行くと、古い道しるべ石があった。「下万呂の道標」というらしい。この先、会津川から離れて民家の中を行くようになるが、すぐに国道に出てしまった。

国道を横断すると行く手にはこんもりとした杜(もり)が見える。これが須佐神社で、神社の前にある天王池にはたくさんの水鳥がいた。須佐神社には万呂王子が合祀されているというのでお参りをしたが、本殿まではすごく長い石段を上らなければいけなかった。本殿前で手を合わせ、これからの中辺路の旅の安全を祈った。
ガイドブックには須佐神社の少し先の郵便局で左折するとあるので、注意して歩いていった。それらしき交差点に着いたが郵便局が見あたらない。ここではないのかと、さらによく見たら、まったく郵便局らしからぬ建物で、二階には
JAバンクの看板がかかっているので、ちょっと気がつかない。
ともかくここを左折すると、すぐに「左会津川」にぶつかる。橋の手前で右折して、川の土手をのんびり歩いて行く。土手は緩やかに右にカーブしてゆき、道を通学の学生が自転車でたくさん通り過ぎる。朝だなあという気がするのだ。ジョギングや散歩の人もけっこういた。

歩いて行くと、行く手には車がたくさん行き交う国道が近づいてくる。左会津川にかかる国道の橋が熊野橋である。ガイドブックには橋の手前、右の畑の中に万呂王子跡があると書いてあるので、探しながら歩いていったのだが、見つからないままに熊野橋に着いてしまった。おかしいと思って引き返した。熊野橋の手前に小さな橋があったので、もしかしたらこれを渡った後で右の畑かと、さらに注意深く探したが、やっぱりない。困り果ててしまった。近所の人も通りかからないし、どうしようかと思って、ふと国道を見たら、その道ばたに説明板らしきものが見えた。ガイドブックとはまったく違う場所なのだが、行ってみた。これが万呂王子跡であった。いつもの青い説明板もなくて、田辺市教育委員会の白い案内板があるだけであった。もしかしたら移設したのかもしれない。



 73三栖王子

三栖廃寺塔跡


報恩寺入り口の石仏


三栖王子への登り


三栖王子跡に着いた


万呂王子跡からは広い県道を歩いて行った。この途中に三栖廃寺塔跡があるというので、是非寄ってみたいと思っている。
分岐がわかるかなあと心配しながら歩いて行ったら、立派な標識があった。ここから県道を離れて民家の道を行くと、すぐにまた標識があって左に入る。丘に向かって緩やかに上って行くと、上りきったところにお堂があって、その前が三栖廃寺塔跡であった。基壇があって、その上には礎石がたくさん並んでいるのだが、真ん中に三角の芯石があった。説明板をよく読んだら、発掘されたのは真ん中の芯石だけで、あとの礎石は復元したものなのだそうだ。

集落の中を歩いて行くと地蔵寺という寺があったので寄ってみた。何もなかった。
道に戻って歩いて行くと丘の上に寺院の屋根が見える。ルート中の目印にしていた報恩寺である。これを目指して歩いて行くと、小さな川を渡る。渡ったところには石仏がたくさんあって、この右に報恩寺への上り口がある。でも、この寺には寄らないのだ。
左には熊野古道の指導標があった。ここからはちゃんと案内してもらえるのだろうか。

指導標に従って坂道を上ると、畑の中の踏み跡のような道になった。これは指導標がないとわからない道である。この先では指導標がていねいに置かれていたので、細い道を迷うことなく歩くことができた。
展望が広がった丘の斜面に三栖王子跡があった。大きな石碑がたっている。いつもの青い説明板もたっていて、その横には額田王の歌碑があった。
ここに置かれたベンチに腰掛けていばらく休憩。下の眺めがすばらしかった。

この先の道はわかりにくいようで、青い指導標には略図が添付してあった。親切だ。



 74八上王子

果樹園の中を登って行く


切り通しにつけられたジグザグ道


八上神社


三栖王子跡から下るとすぐに舗装道で、この車道を横切る。その先は果樹園の斜面に続く細い道を上るのだ。鬱蒼とした林を過ぎると下に車道が見えた。ここは切り通しになっていて、熊野古道は車道に向かってジグザグに下って、車道から再びジグザグに上って行くのだ。
このあたりはていねいにに指導標が設けられていて、迷うことがない。助かってしまう。
指導標に従って歩いて行くと、南方熊楠(みなみかたくまぐす)の山中裸像撮影場所という標識があった。…それがなんだというのだと思ってしまう。
ここから下りになって、深い林の中に入って行く。この途中で、「口熊野かみとんだ探訪コース」というすごく新しい指導標があった。
どんどん下ってコンクリートの道に出ると、すぐに広い車道に出た。左には新岡坂トンネルがあった。車道を横切って、この側道を下ると広い車道にぶつかった。そこには八上王子100mの標識があったが、矢印は上を指している。ちょうど、そこに細い急な坂道があるので、これかなと思って上ったが何もなかった。引き返して車道を歩いて行くと、右に神社の杜(もり)が見えて、それが八上神社であった。神社の入り口にはいつもの青い説明板が置かれている。ここが八上王子跡なのだ。石段を上って境内に入ると、杉の巨木がそびえ立っている。ここは「西行物語絵巻」にも描かれている地で、そのためか西行の歌碑があった。


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