三浦峠→古矢倉跡→出店跡→五輪の塔→矢倉観音堂→西中バス停→宮平→川合神社→昴の郷→柳本橋→果無集落→果無峠登山口→天水田

三浦峠から西川が流れる谷に急降下して、それからすぐに再び果無峠に向かって急登するのだ。
果無峠越えの道には33の観音石像が点々と置かれていて、いかにも熊野古道らしい雰囲気である。私はこの観音像を一体づつ確認しながら登るのだが、この日は登り始めたところで時間切れ。天水田にテントを張った。



 三浦峠から西中へ

古矢倉跡


左の旧道を行く


矢倉観音堂


西中バス停

BACK 三浦口から三浦峠へ

20101125

三浦峠から下る。指導標には西中まで11.2kmと書かれていた。…遠い。
雑木林の中を20分ほど下ると、小さな平坦地があって、そこに苔むした石仏があった。ここが「古矢倉跡」であった。なぜか水場もあった。ガイドブックでは、三浦峠からここまで55分となっているのにメチャクチャ早い。
杉林の尾根をどんどん下って行く。15分ほど行くと指導標があって、ここから右にターンして尾根から下るのだ。尾根の右斜面をトラバースするように行くと「出店跡」があった。左に平坦地が見える。
出店跡から少し行くと指導標があって、道は二つに分かれていた。右の道は新道らしい。指導標に従って左の道を行く。道の山側には石垣が残っていた。
尾根の上を行くようになると、分岐から
15分ほどのところに今西集落と書かれた標識があった。樹林がとぎれていて、ここから今西集落が見えるらしい。でも、民家はほとんど見えなかった。
狭まった尾根道を5分ほど行くと「五輪の塔」という標識がたっていた。道から一段高いところに小さな石塔があった。ガイドブックでは古矢倉跡からここまで20分なのに倍の40分もかかってしまった。峠からの時間が異様に短かったので、ガイドブックが間違っているのだろうと思う。
杉林の中をどんどん下って行く。途中、林の中になぜか墓石がならんでいた。こんな山の中なのに…。
墓地から10分ほど下るとようやく「矢倉観音堂」に着いた。お堂の前にベンチがあったので休憩することにした。お堂の格子戸から覗くと中には3体の石仏があった。写真は撮れない…と思ったら、扉がなぜか開くことができて、撮影ができた。
観音堂から30分ほど下ると廃屋があって、この庭先を通り抜けると、すぐに下に曲がりくねった車道が見えた。畑の横を通って車道に降り立つと、そこにはここから国道425号線に出るまでの詳細な道路図の標識があった。
車道を歩いて行くと、すぐに指導標があって、車道から右に下るのだ。ここからは地道であった。再び車道に下ると、そこには「小辺路三浦峠登山口」という立派な標識がたっていた。
あとは国道をひたすら歩くのだ。右に吊り橋を見て、少し行くと西中のバス停があった。
1250分になっていた。



 西中から果無峠登山口へ

西川の流れに沿って行く


昴の里


柳本橋の入り口


西川の流れを右に見ながら
20分ほど車道を歩き、宮平のバス停に着くと、その先に神社が見えた。菅原道真を祀る川合神社であ。規模の大きな立派な神社であるが、説明板などはなかった。
このすぐ先で鉄橋を渡る。川は大きく蛇行して流れていた。
重里の集落に入ると、小さな滝があった。私は滝が大好きなのだ。
集落を抜けたところには「昴の郷」まで
4kmという看板がたっていた。まだ4kmも歩かなければいけないのだ。
大津越のバス停に着いたのは1425分。ここから少し上ったところに弘法大師の石像があるというのだが、その入り口がよくわからなくて、疲れてもいたので通過してしまった。
少し行ったところでおばあさんからミカンをもらった。四国遍路のお接待みたいだ。
谷にそって大きくまわりこんだところで橋を渡り、10分ほど行くと、国道の下に大きな施設が見えてきた。これが「昴の郷」であった。
古道の標識はこの昴の郷に入って行くようになっている。広い敷地の奥に小さなトンネルが見える。これを通り抜けると広い車道で、ちゃんと熊野古道の標識があって、小辺路の説明板もあった。
指導標に従って右に行くと、すごく長い吊り橋がある。「柳本橋」で、熊野古道はこの吊り橋を渡るのだ。すごく長くて、歩いて行くとずいぶん揺れる。けっこう怖かった。

吊り橋を渡ってから左折、細い道を行き車道に出る。そこに立つ指導標に従って、階段を上る。田んぼの横の細い道を上ると、その途中に首のないお地蔵様がたっていた。
車道に上り着くと、そこには大きな果無峠登山口の標識がたっていた。いよいよ登りが始まるのだ。



 果無峠登山口から天水田へ

急な登りが始まる


31・32・33観音の分岐


果無峠登山口


天水田に着いた


それにしても、最初からすさまじく急な登りであった。階段道がすぐに石畳になって、急な登りがどこまでも続く。樹林のなかの厳しい登りが続いて、
20分ほどでようやく樹林から抜け出すとベンチが置かれていた。そこからは下に川と集落を眺めることができた。
ベンチから10分ほど行くと、集落が見えてきた。ここが果無集落なのだ。畑の中の細道を歩いて行くと313233番観音の分岐があった。この観音像は古道から離れたところにあるらしい。行って見たいとも思ったが、もう1550分になっている。そろそろ今夜の野営地を探さなければいけない。先を急ぐことにした。
石畳道になって、これを上って行くと世界遺産と刻まれた大きな石碑がたっていた。このあたりの景色は小辺路を代表する眺めなのだ。
車道に出るが、熊野古道はこれを横切って、さらに真っ直ぐに上って行くのだ。

芝生のように草が覆う道を上って行くと、すぐに30番の観音像があった。このすぐ先に文政年間の墓標のような石碑があった。
このまま樹林の中を登って行くのかと思ったら、民家が見えてきて、この庭先を通り抜けるのだった。畑の間を登って行くと車道に出てしまった。車道を右に少し行くと石段があって、その登り口に「果無峠登山口」の立派な標識がたっていた。
石段を上って山道に入ると29番の観音像があった。石畳道になって、急な登りが続く。観音像の番号を数えながら登って行く。どんどんあたりは暗くなってくる。もう道の真ん中にテントを張ってしまおうかとも思ったが、ガイドブックにある天水田まで行くことにして、がんばる。
1654分になると、もう暗くて、25番の観音像はフラッシュでなければ写らなかった。樹林から抜け出して広々としたところに出たと思ったら、ここが天水田であった。ベンチがあって、平坦地がある。これでテントが張れる。17時少し前であった。


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