御坊→法林寺→日高川→岩内王子→塩屋王子神社→光専寺→祓井戸観音→清姫草履塚→中皇子万葉歌碑→上野王子

御坊の街から東に歩いて行って、日高川を渡る。塩屋王子には素晴らしい巨木があって、その次の光専寺にもビャクシンの古木があった。
このあたりから右手に海が見えるようになる。
塩屋王子神社の絵馬



ここにテントを張った


お世話になったマクド


バスで御坊駅に帰った


指導標が丹念に置かれている


突然お城があった


野口新橋


岩内王子跡
 御坊から59岩内王子へ

BACK 道成寺から海士王子へ

2010315

昨日は、雨になるというので熊野古道歩きを午前中に終えてしまった。13時頃にマクドに入って、ここを出たのは23時、10時間もいたのだが、おかげで日記の入力3日分を終了させることができ、パソコンや携帯もフル充電できた。
外に出たら、天気予報通り雨であった。風も強くて、熊野古道歩きを昼で止めて正解だった。
マクドから出たが、問題はどこに泊まるかである。御坊市には一軒だけネットカフェがあるのだが、電話をしてもつながらないので、潰れてしまったのだと思う。この風雨では、どうしようかと思ってしまう。紀伊御坊駅へ歩いて行く途中に廃業したパチンコ屋さんがあった。ここにテントが張れないかと裏にまわってみたら、ラッキーなことに屋根のあるガレージがあった。ここなら雨にもあたらず、風も防げそうである。暗い中でテントを張った。中に落ち着いたらもう0時であった。

316

やっぱり、他人の土地でテントを張るというのは気が咎めるし、警備の見回りがあったらどうしよう…などとついビクビクしてしまうので、あまりよく眠れなかった。
6時を過ぎて、外が明るくなったので活動開始。テントを撤収し終えるまで、誰も来ることはなかった。よかった…。
風がすごく強くて、灰色の雲が流されて行くのが見える。今日の天気は回復するはずなのだ。ここから紀伊御坊駅に引き返すつもりでいたら、マクドの前にバス停があった。これでJR御坊駅に戻ればいい。時間を確認したら始発は742分だったので、45分ほど待ち時間ができた。マクドでゆっくりバスを待つことにした。
予定通りバスで御坊駅に戻って、駅から歩き始めたのは8時である。歩き始めて、今日のルートのガイドブックの文章のページを落としてしまったことに気がついた。(私は必要なページだけコピーして持参しているのだ)今日は地図だけで歩くしかない。
駅から東に向かい、湯川中学校で右折する。路地が交錯する町中を行くのだが、こまめに指導標がおかれていて、迷うことなく歩くことができた。右に神社の杜を見ると、その先はすごく狭い路地を行くようになった。でも、指導標がポイント毎に立っているので迷う心配はない。
熊野古道から右に少し入ったところに法林寺があったので、寄ってみた。この寺は亀山城主湯川氏が開基した寺で、境内には宝筺印塔が二基あった。
この少し先にも九品寺というお寺があって、境内右のほとんど崩れかかった建物がいい感じであった。
この先、狭い民家の間を抜けて行くと、驚いたことにお城の天守閣が見えてきた。これは観光用につくらたもので、昔の城とはまったく関係ないのだ。
ガイドブックの地図ではここから国道を行くようになっているのだが、国道に平行する裏道を歩いて行くことにした。車が激しく行き交う道を行くのはイヤではないか。
歩いて行った裏道は日高川の土手に突き当たってしまうので、しかたなく国道に引き返した。少しだけ遠回りをしたことになる。

日高川に架けられた野口新橋はすごく長かった。橋の途中からは悠々と流れる日高川がきれいである。
橋を渡り終えると、土手の上につけられた道を行く。振り返ると野口新橋は黄色の橋桁と赤い欄干ですごく鮮やかであった。
このまま土手の道を行くのかと思ったら行き止まりになって、ここ左折するのだ。
集落を抜けると道は広くなって、少し行くと道ばたに、小さなお地蔵様が三体安置されたお堂があった。このすぐ先で広い道が交差する。この道を右に行くと御坊大橋である。熊野古道は直進する。
すぐに岩内王子跡があった。石碑がひとつ立つだけで、その横に教育委員会の高札形の説明板がたっていた。



 60塩屋王子
琴野橋を渡る


畑の道に入る


円満寺の長い石垣塀


塩屋王子神社


集落の中をのんびり歩いて行くと、前方に生コン工場が見えてきた。この少し手前に琴野橋があって、これを渡ると広い道を横断する。その先は急な坂を上って集落の中に入るのだ。

集落の中にある極楽寺はトイレが解放されていた。熊野古道を歩く人のために、ちゃんと配慮されているのだ。極楽寺から坂を下って、曲がりくねった道を行くと、左に中学校があった。これが集落の外れで、この先は緩やかな上りになる。坂を上り終えてから下ったところは広い十字路になっていた。熊野古道はここを右に行くのだ。
この先は新しい住宅地の中に入って、これが熊野古道でいいのか…と心配になったら、住宅地の途中で左折して畑の中を行くようになった。

この道には山桜が咲いていて、時々巨木がそびえ立っていたりする。自然あふれる道である。
再び集落に入ったが、やはり狭い路地を行く。石垣の長い塀が続くと思ったら、これは円満寺という浄土真宗のお寺であった。
狭い路地から車道に出て、道が左に曲がったと思ったら、そこに大きな石の鳥居がたっていた。これが塩屋王子神社であった。

長くて急な石段を登って行くと、両側にはすさまじいばかりの巨木が生い茂っていた。樹齢200年を越える天然記念物の巨木群なのだ。
広い境内の正面に本殿がある。境内を見回したが、王子跡という標識はたっていない。この神社は現役で存在しているのだから、それはいらないということなのか。
本殿の右に基壇があって、そこには自然石の柱たてられ、しめ縄が張られている。標識には御所の芝とかかれていた。前にも御所の芝ってあったけど…。
ここも後鳥羽院が休憩した場所のようである。
ところでこの神社は「美人王子」とも呼ばれることから、絵馬には美人が描かれていた。



 61上野王子

王子橋を渡る


光専寺


海を見ながら行く


名田小学校が見えてきた


上野王子跡


塩屋王子神社のすぐ先で王子橋を渡る。流れている川は王子川で、右を見たらすぐ先が海であった。

古い落ち着いた町並みが続く。その中で、光専寺の指導標があった。熊野古道から右に入ると白壁の塀に囲まれた光専寺があって、そこにすごい古木が茂っているのが見えた。樹齢600年と推定されるビャクシンの古木である。感動してしまった。
古い町並みを歩いて行くのだが、やがて道は右にカーブしていって国道と合流する。でも、国道の少し手前に「観音山自然公園遊歩道」という指導標があって、熊野古道はこの道を行くのだ。でもすごく急な坂道になった。上りきると、コンクリート壁に周辺の史跡の由来をかいた大きな説明板があった。
ここから右に下って行くと、海の眺めが広がった。すばらしくきれいである。
海の眺めを楽しみながら下って行くとお寺があった。これが祓井戸観音である。お寺の裏山に八十八カ所巡りの石仏があるというのだが、パスした。
平坦な道になるとすぐに国道に出てしまったが、すぐに国道を渡って、落ち着いた集落に入る。字路が現れると、清姫草履塚の指導標があった。指導標に従って歩いて行くと、異様に変形した石碑があった。これが清姫草履塚である。清姫はここにあった松の上から安珍の姿を見つけて、草履を脱ぎ捨てて追ったというのだ。脱ぎ捨てられた草履の塚がこれである。それにしても清姫のストーカーぶりはすごい。
このすぐ先で国道に出てしまった。ここからはしばらく国道を歩くのだが、右には海が広がっていて、すばらしくきれいである。
緩やかに上って行くと、「はし長」というお土産屋・食事処があって、その前には中皇命の万葉歌碑がたっていた。紀伊の温泉に行ったときの歌である。
 吾が欲りし 野島は見せつ 底深き
 阿古根の浦乃 珠ぞひろはぬ

ここからも海の眺めがきれいであった。

万葉歌碑から少し行くと、ようやく国道から離れて集落に入った。これで車を気にせずに歩いて行くことができる。再び国道に出てしまうが、くさま旅館という白い建物の前で、国道を離れる。静かな道を歩いて行くと、前方に異様にケバイ建物が見えてきた。この左にあるのが名田小学校で、道をまたぐ渡り廊下はケバイ建物に通じている。小学校の一部なのか?
集落の中を10分あまり行くと道ばたに若い松が植えられていて、そこに石標がたっている。これが上野王子跡であった。すごく簡単な王子跡である。横にある黒い石板に王子跡の説明があった。すぐ横には水準点の石標があった。


NEXT 津井王子から中山王子へ

BACK 熊野古道 紀伊路を行く






熊野古道を行くTOP  総TOP My日本の山  My日本の道  日本の旅  私の写真館  自己紹介















inserted by FC2 system