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道成寺の安珍塚。 |
吉田八幡神社 石段から振り返る 宝仏殿 ?魔堂 |
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道成寺を参拝 | ||||
BACK 沓掛王子から愛徳山王子へ 2010年3月15日 愛徳山王子から熊野古道に戻って車道を行くと、吉田八幡神社があった。ここの交差点を右に行くのが熊野古道なのだが、私は左折して道成寺に寄ることにした。 広い車道の突き当たりは細い路地で、これを行くと左に石段があった。これが道成寺参道の石段で、右は土産屋さんが連なって道成寺駅に通じている。 道成寺といったら安珍、清姫の物語が有名で、「道成寺物語」として能楽、人形浄瑠璃、歌舞伎でもよく知られているのだ。この話は延長6年(929)のことというのだが、本当にあったことなのかどうか私にはわからない。 奥州から熊野詣に来た修行僧の安珍は真砂庄司の娘、清姫に一目惚れされてしまう。猛烈に迫られた安珍は、熊野の帰りに再び立ち寄ることを約束してしまうのだ。約束の日に安珍は来ない。恋に狂った清姫は大蛇となって安珍を追い、最後には道成寺の鐘の中に隠れた安珍を焼き殺すという、ものすごいお話なのだ。悲恋物語というよりは、すさまじいストーカーのお話と思ってしまうのだが…。 この清姫が安珍を探し求める舞台が熊野古道なのだ。このため、この先の熊野古道では安珍・清姫の史跡がたくさん残っているのである。 石段を上って仁王門に着く。境内には重要文化財の三重塔と本堂がある。もちろん安珍が隠れたという鐘楼の跡もあるのだ。この鐘楼は安珍・清姫の話の通り、焼け落ちてしまって、それから400年後の南北朝時代に二代目の鐘楼が再建されたのだ。その二代目鐘楼の跡もちゃんとあるのだ。ただし、この釣鐘は豊臣秀吉の紀州攻めのとき没収されて、今は京都の妙満寺にあるという。 境内には歌舞伎役者がたてた石碑が多い。やっぱり道成寺を演じる役者はここにお参りにくるのだ。 |
海士王子 | 海士王子跡 紀勢本線の踏切 紀州鉄道の車両 |
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