糸我王子→糸我峠→行者石→逆川王子→逆川→後白河法皇腰掛岩→方津戸峠→立石の道標→紀文の碑→久米崎王子→津兼(井関)王子→丹賀蔵王大権現→河瀬王子→馬留王子→鹿ヶ瀬峠

糸我峠をを越えて湯浅町に下る。ここには「立石の道標」というりっぱな石標がたっていた。私はこの町の中で道に迷ってしまったが、4つの王子社をめぐってからなんとか鹿ヶ瀬峠に登り着いた。
丹賀蔵王大権現



糸我峠への登り


湯浅町に下って行く


逆川王子
 糸我峠を越えて45逆川王子へ

BACK 橘本王子から糸我王子へ

2010年3月14日

糸我王子からはいよいよ糸我峠への登りになる。緩やかな坂道が続き、行く手にはなだらかな丘陵が立ちふさがっている。視界の開けたミカン畑を上って行くと、しだいに道は狭くなって、傾斜もきつくなった。その行く手にあたらしい東屋が見えてきた。休憩所を新しく作っているのだ。世界遺産ということで、道は整備され続けているのだ。

竹藪の中をジグザグに登って車道に飛び出した。ここが峠のようで、車道を横断して古道に入ると下りになってしまった。でもこのすぐ先には峠の茶屋跡の石標がたっていた。「くまの古道民俗資料館」に表示されていた峠の茶屋はここに二軒たっていたのだ。
少しだけ樹林のトンネルがあって、これを抜け出すと眼下には湯原の町が広がっていた。古道をどんどん下って行くと、途中の竹藪の中に「夜泣松」の説明板があった。今は跡形もないのだ。
竹藪を抜け、右にため池を見てさらに下ると集落の中に入る。集落の中には行者石という大きな岩がおかれていた。ここから少し行くと右に神社があった。石の鳥居をくぐった境内にはいつもの青い説明板があって、ここが逆川王子であった。ここには逆川王子神社の立派な社殿あるのだから、跡ということではないらしい。逆川という名はこの近くでは川が海とは逆の方向に流れていることからつけられたのだ。
これからの旅の安全を神社に祈った。



 46久米崎王子

トイレが解放されている消防署


方津戸峠


広川を渡った(道を間違えている)


国道に出て間違いに気づいた


久米崎王子


逆川神社を出て歩いて行くと消防署があって、この裏のトイレは熊野古道巡礼者のために解放してあるのだという。この消防署の横の小さな川が逆川であった。コンクリート壁で囲われた情緒も何もない流れである。すぐ先でこの流れを渡ったら、橋の名前は坂川巡礼橋となっていた。
少し行くと「後白河法皇腰掛岩の跡」があった。法皇様も疲れたら腰掛けて休むだろうが、それをいちいち史跡にしていたら、大変だとおもうのだが…。

熊野古道の標識に従って広い車道を緩やかに上って行く。坂の途中には弘法の井戸があった。
坂を上りきったところが方津戸峠である。峠で車道はY字路になっていて左の道に入る。少し行くと右に熊野古道の標識があって、ここからは山道になった。樹林の中の道を下って行くと、意外と簡単に湯浅の町の中に入った。
ところが、街の中で道を失った。どうしようかと思いながらもカンで歩いて行ったらラッキーなことにスーパーを見つけた。これで買い出しができた。でも、ザックがズンと重くなった。
湯浅の駅をきいて、駅に向かって歩いていったら、熊野古道の標識が現れた。古い町並みを歩いて行く。道筋の民家には熊野古道の標識がたくさん掲示してあって迷うことがない。「立石の道標」というりっぱな石標の前に着いた。ここから高野山への道が分岐するのだ。ここから少し行くと熊野古道の標識があって、左右どちらを行ってもいいようになっていた。太い線で表示された道を行くことにした。

標識に従ってどんどん歩いて行って、大きな橋を渡ってから川に沿って歩いて行く。すぐに踏切を渡り、細い道を行くと国道に出た。でも、地図と照合すると、おかしい。地図の熊野古道とはまったく違っていて、このまま進んだが久米崎王子は通らないことになる。とんでもないルートである。王子跡を巡るのが熊野古道なのに、こんな道を案内していいのか…と怒り狂ってしまう。
地図とにらめっこしながら、湯原市街に向かって引き返し、私の地図にある新広橋に着くことができた。この橋を渡った右に久米崎王子はあるのだが、その前に紀伊国屋文左衛門の生誕地の石碑がある勝楽寺に行ってみることにした。細い道を行くとお寺の境内に着く。狭い境内なのに、そこにはすごく大きな石碑がたっていた。これが紀文の碑であった。
引き返して国道を渡る。すぐに久米崎王子跡を見つけた。いつのも青い説明板があって、その後ろには石碑もあった。



 井関王子 47津兼王子

新広川橋の手前で左の道に入る


金網の間を行く


津兼王子跡


新広川橋の手前で左の細い道に入る。ここにもちゃんと熊野古道の標識があった。さっき間違えた熊野古道はいったい何だったのかと思ってしまう。

広々とした田園の中を歩いて行き、高速道路が近づいてくると国道に出た。「めし民宿」という看板を過ぎて、行く手に川が現れると、右の川の土手に説明板らしきものが見える。その説明板は井関王子跡のものだった。
近世以降、熊野詣の本街道はここで川を渡って井関に入ったらしい。井関王子は川を渡って数十メートルの左側台地にあったというが、今はまったく跡形もないのだ。
ガイドブックにも井関王子は載っていなくて、九十九王子の番号をふるここともできない。
井関王子らしきものはないかと、目を凝らして対岸を見たが、畑があるだけであった。

国道に戻ってこれを横断し、高速道路の高架をくぐる。そこに津兼王子への指導標があった。
この指導標に従って歩いて行ったら、すごく遠回りさせられた。車道を横切らせないために迂回しているのだ。高速に沿った金網の間を行くと左に小さな広場があった。ここが津兼王子跡で、いつもの青い説明板がたっていた。この説明板には「津兼(井関)王子跡」と書いてある。井関王子と兼ねているということなのか。
この奥には津兼王子跡と刻まれた石柱もあった。



 48河瀬王子

丹賀蔵王大代権現


河瀬王子跡


国道に引き返して、これを横断してから川を渡った。渡ったところで右の道に入った。昔の渡し場の対岸に立ってみたかったのだ。やっぱり何もなかった。
ここからまっすぐに熊野古道が続いている。国道をいったん横切って、国道に平行する路地を行くと、赤い鳥居がいっぱい立ち並ぶ神社の前に着いた。これが丹賀大権現社であった。この神社には津兼王子と井関王子を合祀しているというのでお参りした。それにしても急斜面にいっぱいに立ち並んだ鳥居とたくさんの祠は異様な風景といっていい。

このすぐ先で大きな橋を渡って、右に入ると角には古い石標があった。南無阿弥陀仏が刻まれている。天保飢饉の供養塔で天保14年(1843)にたてられたものであった。
この先、小さな橋を渡ると河瀬王子跡である。いつもの青い説明板がたっているだけなのだが、その奥には巨石がいくつも重なっているのが見えた。なにか意味があるのだろうか。



 49馬留王子から鹿ヶ峠へ

鹿ヶ瀬峠へ登って行く


馬留王子跡


立場跡


鹿ヶ瀬峠に着いた


峠でテントを張った


井関の集落にはかって、旅籠が建ち並んでいたというのだが、路地を歩いて行くと、民家の前には旧○○旅籠という標識がかかげられているのだった。

集落の中を行くと左に地蔵寺があったので立ち寄った。ここの地蔵尊はすばらしい仏像だというのだが、扉が完全に閉ざされていて見ることはできなかった。
この先はいよいよ鹿ヶ瀬峠の登りになるので、集落で水を補給した。急坂を登ることを考えて、水は最低限の
1リットルだけにした。
集落を抜けると緩やかな坂道になる。細い舗装道を上って行くと道ばたに王子跡の青い説明板がたっていた。ここが東の馬留王子跡である。馬留王子跡としか書いていないのだが、峠を挟んだ向こうにも馬留王子があるのだ。
説明板だけしかないので不思議に思ったら、道を挟んだ反対側のコンクリート壁に石碑があった。道の左右に分割されているのは初めて見た。

ここから道が峠への山道が分岐する。登山口には鹿ヶ瀬峠まで2340mという標識がたっていた。時間は1712分になっている。私はテントが張れそうな適当なところはないかと注意しながら来たのだが、結局なくて、峠の上しかないかと思い始めている。でも、この調子だと暗くなってしまいそうで、時間との勝負になりそうだ。
立場跡という標識があった。駕籠はここまでで、この先は牛馬の背に頼りることになるのだそうだ。
すぐに道は左にターンする。そこには峠まで
2030mの標識があった。この先、鹿よけのゲートがあって、これを過ぎると、いよいよ本格的な登りになった。峠まで1230mの標識を過ぎたのは1736分、この先、鬱蒼とした樹林の中に入って、暗くなってしまった。暗い杉林を抜け出すと峠まで710mの標識、時間は1750分、この先は石畳の道になった。すぐに鹿よけのゲートがあって、一段と暗くなった石畳道を上って行く。傾斜が緩まって、峠はもうすぐだと思いながら樹林の中を行く。途中、「法華の壇」という史跡があったが、暗くて写真も撮れない状況だった。
ようやく樹林から抜け出すと鹿ヶ瀬峠で、草原になっていた。ここには王子跡ではないのに、いつもの青い説明板がたっていた。これは鹿ヶ瀬峠の説明をしているのだ。この前にベンチがあるので、ここにテントを張ることにした。薄暗い中テントを張って、中に落ち着いたら1820分、ほとんど真っ暗になっていた。


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