逆川神社を出て歩いて行くと消防署があって、この裏のトイレは熊野古道巡礼者のために解放してあるのだという。この消防署の横の小さな川が逆川であった。コンクリート壁で囲われた情緒も何もない流れである。すぐ先でこの流れを渡ったら、橋の名前は坂川巡礼橋となっていた。
少し行くと「後白河法皇腰掛岩の跡」があった。法皇様も疲れたら腰掛けて休むだろうが、それをいちいち史跡にしていたら、大変だとおもうのだが…。
熊野古道の標識に従って広い車道を緩やかに上って行く。坂の途中には弘法の井戸があった。
坂を上りきったところが方津戸峠である。峠で車道はY字路になっていて左の道に入る。少し行くと右に熊野古道の標識があって、ここからは山道になった。樹林の中の道を下って行くと、意外と簡単に湯浅の町の中に入った。
ところが、街の中で道を失った。どうしようかと思いながらもカンで歩いて行ったらラッキーなことにスーパーを見つけた。これで買い出しができた。でも、ザックがズンと重くなった。
湯浅の駅をきいて、駅に向かって歩いていったら、熊野古道の標識が現れた。古い町並みを歩いて行く。道筋の民家には熊野古道の標識がたくさん掲示してあって迷うことがない。「立石の道標」というりっぱな石標の前に着いた。ここから高野山への道が分岐するのだ。ここから少し行くと熊野古道の標識があって、左右どちらを行ってもいいようになっていた。太い線で表示された道を行くことにした。
標識に従ってどんどん歩いて行って、大きな橋を渡ってから川に沿って歩いて行く。すぐに踏切を渡り、細い道を行くと国道に出た。でも、地図と照合すると、おかしい。地図の熊野古道とはまったく違っていて、このまま進んだが久米崎王子は通らないことになる。とんでもないルートである。王子跡を巡るのが熊野古道なのに、こんな道を案内していいのか…と怒り狂ってしまう。
地図とにらめっこしながら、湯原市街に向かって引き返し、私の地図にある新広橋に着くことができた。この橋を渡った右に久米崎王子はあるのだが、その前に紀伊国屋文左衛門の生誕地の石碑がある勝楽寺に行ってみることにした。細い道を行くとお寺の境内に着く。狭い境内なのに、そこにはすごく大きな石碑がたっていた。これが紀文の碑であった。
引き返して国道を渡る。すぐに久米崎王子跡を見つけた。いつのも青い説明板があって、その後ろには石碑もあった。
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