塙団右衛門の墓→籾井王子→樫井古戦場跡→泉南市埋蔵文化財センター→海会寺跡→厩戸王子→信達宿→一ノ瀬王子→長岡王子(林昌寺)→琵琶ヶ岸懸地蔵堂王子

このコースは、あいかわらず大阪府の市街地を南下して行くのだ。泉佐野市から歩き始めて泉南市、阪南市と歩いて行くのだが、このあたりは大阪夏の陣の古戦場で、塙団右衛門の墓があったりする。
林昌寺法林の庭


ネットカフェに泊まった


関西空港自動車道の高架


和歌山貝塚線を行く


いづみモータースの中に籾井王子跡がある
 18籾井王子

BACK 麻生川王子から佐野王子へ

2010312

昨日は「快活CLUB」というネットカフェに泊まって、今朝は7時に出発した。歩いて行くと昨日入ったマクドがあったので、ここで朝食をとった。
国道を南に行くと、すぐに関西空港自動車道の高架が迫ってくる。その手前の交差点で左折して、葵交差点に着く。これを右に行くのが熊野古道なのだ。昨日は古道からはずれてネットカフェに来てしまったのだから、ちゃんと古道に戻ったわけである。
この先、普通の住宅街の道と思っていたら、古い立派な門構えの家が目立つようになった。すばらしい町並みである。
長滝交差点には南の池公園があるというので、これを目印に歩いて行ったのだが、公園を見ることなく交差点に着いてしまった。交差点にはちゃんと長滝と書いてあるから道は間違っていない。ただ、この交差点は複雑な形で、どっちへ行ったらいいのか迷ってしまった。磁石と地図で丹念に確認して、「和歌山貝塚線」という道を行く。
車が多い道を行くのだが、歩道がつけられていなくて、歩いていてちょっと怖くなってしまう。
左右に大きなため池が現れて、そのすぐ先で集落に入ると左手に立派な五輪塔がたっている。これが塙団右衛門の墓であった。大阪夏の陣では、大阪城からこんなに離れたところも戦場になったのかと驚いてしまった。
このすぐそばに「いづみモータース」がある。この敷地内に籾井王子址があるのだが、中に入っていいものかどうか躊躇ってしまう。でも、ちょうど奥さんが出てきて、どうぞどうぞと案内してくれた。
庭の樹木の奥に籾井王子の石碑がたっていた。



 毎会寺と19厩戸王子

樫井古戦場跡の石碑


泉南市埋蔵文化財センター


一岡神社


厩戸王子跡


いづみモータースから街道に戻ると、目の前には本当に立派な民家が並んでいる。

この近くには塙団右衛門と同じく大阪夏の陣で戦士した淡輪六郎兵衛重政の墓もあるはずだが…と注意して歩いていったが、結局わからなかった。
昔の面影を残す町並みが続き、大満足の道である。
明治大橋に着いたら、道の左に大きな石碑がたっていた。樫井古戦場跡と刻まれている。ここは大阪夏の陣前哨戦が行われた所で、大阪方は結局敗退するのだ。この石碑は昭和55年に地元の有志によって建造されたものである。
明治大橋から少し行くと、今度は明治小橋があった。橋の向こうに神社の杜が見える。これが一岡神社であった。道の左に見えるりっぱな施設は「泉南市埋蔵文化センター」であった。跡でゆっくり見学しようと思う。
まず、厩戸王子を合祀するという一岡神社にお参りする。鳥居の前には「国史跡海会寺跡」という石碑があった。向かいにたつ埋蔵文化センターはこの海会寺発掘のセンターなのだった。
坂道を上って一岡神社本殿の前に立つ。神社は新しい鉄筋コンクリート製で、あまりありがたみはない。でも、この神社の横に毎会寺の遺構が復元されていた。目の前にある高い基壇が塔のもので、その後ろには金堂跡の礎石が並んでいる。回廊の柱も復元されていて、どんな配置になっていたのかよくわかる。
神社には簡単にお参りして、埋蔵文化センターに行った。無料であった。
毎会寺というのは飛鳥時代に、この辺を支配した豪族が建てた寺院である。聖徳太子の時代というからすごく古いではないか。だから国指定の史跡になっているのだ。
館内では鉄道ポスター展もやっていて、南海電車の戦前のチラシなどが展示され、すごくおもしろかった。
見終わってから、館内のソファーで休憩した。まだ3日目だというのに足が痛くなってきている。今日はあまり無理をしないでおこう…と思っている。
休憩ばかりもしておれないので出発する。ザックを背負ったらズンと重かった。
このすぐ近くに厩戸王子跡があるので、立ち寄る。ゴルフ練習場の横にあるというので、あたりを見回したら練習場のネットが見えた。近道できそうなので路地を行ってみたが、…間違っていた。行き止まりである。でも、その先に畑のあぜ道があるので、これを強引に歩いて、なんとか厩戸王子前に着くことができた。
石柱と説明板がたっていた。



 20一ノ瀬王子

熊野街道の標識がたっている


往生院


宿場の面影が残る道を行く


ここが一ノ瀬王子跡


厩戸王子から古道に引き返す。

歩いてきた熊野街道に戻ったら、その交差点には熊野古道の標識と指導標があった。この先、親切にこうした標識があるのかと期待してしまった。(間違いだった…)
道を歩いていてふと足下を見たら、熊野古道のプレートが地面に埋め込まれていた。これは目印なると喜んだのだが、それはこのあたりだけのものであった。
立派な長屋門が現れると、そこには信達宿本陣跡という提灯が下がっていた。このあたりが信達宿なのだと初めて気がついた。でも、確かに宿場の面影を残す町並みである。
このすぐ先に長慶寺の入り口があった。ここに立ち寄る気はないのだが、地図上でどこまで来たのかがわかった。…厩戸王子からあまり進んでいない。
古い町並みが続いて、信達牧野という信号のある交差点を過ぎた。このすぐ先に往生院があって、由緒の書かれた大きな石碑がたっていた。
この寺は天武天皇によって建てられたというのだから、すごく歴史ある寺院である。
往生院を過ぎたら信達一ノ瀬王子跡は近いはずである。ガイドブックには、標識がないのでわかりにくいと書いてあるので、見逃さないように注意しながら歩いていった。突然林昌寺の入り口があった。ガイドブックの地図ではこの少し手前に王子址があると書かれている。
引き返して、確認したが見つからない。林昌寺の分岐にはガイドブックで目印にするようにとした「左あたご道」の石標もある。この交差点の向かいには神社のような空き地があって、そこに石仏が並ぶ二つのお堂があある。もしかしたらこれのことかと思って、石仏を確認したら、左のお堂は馬頭観音であった。ここが一ノ瀬王子跡だったのだ。
地図では、交差点の
100mほども手前に表示してあって、道から少し入るようになっているのに、古道に面している。ガイドブックのいうう通り、王子跡という標識はないので神社と間違えてしまうのだ。



 21長岡王子(林昌寺)

林昌寺に着いた


林昌寺境内


一ノ瀬王子の交差点から林昌寺に向かった。林昌寺の周辺が長岡王子跡とされているのだ。(ただ、諸説があって、このあたりが本当に長岡王子かは明確でない)
左には溜池があって、この先すぐに
JR線の踏切を越えると思ったのだが、距離があった。
私の前を散歩していた老夫婦にきいたら、この道をさらに
200mほど行った正面にある寺がそうだと教えてくれた。
JRの踏切を越えると、そこにも小さな池があって、さらに樹林の間を行くと山の斜面に寺院の屋根が見えてきた。
急な坂を上って、境内に入る。
かなり規模の大きい寺院で、聖武天皇の勅願によって行基が創建したという歴史ある寺であった。ただ、織田信長の雑賀攻めのとき全山焼失してしまい、今の堂宇は江戸時代に再建されたものである。
ベンチがあるので、ここで休憩することにした。ベンチの正面、山の斜面に庭園がつくられている。森重三玲作の「法林の庭」である。すばらしい庭園であった。
それにしても、足が痛い…。



 22地蔵堂王子

林昌寺下山路の石標


大きな石の鳥居があった


山道に入って行く


琵琶ヶ岸懸の標識があった


地蔵堂王子跡


林昌寺総門から外に出ると、すごく古い石段が続いていた。これを下って行って、平坦地に着くと
T字路、これを左に曲がる。
このあたりで道がわからなくなった。磁石と地図をつきあわせてみるのだが、どうにも自分の位置がわからない。
あたりを見回すと、田んぼの中に巨木が見えた。これが岡中鎮守社の楠の巨木のようである。ともかくこの神社まで行って見ることにした。
すぐに広い道に出て、これを少し歩いてから右の細い路地に入ると田中鎮守社に着いた。楠の巨木は本当に大きなもので、感心してしまった。でも、せっかくこの神社まできたのに、道はわからなかった。磁石で方向だけ確認して、ともかく南を目指して歩いて行くことにした。

まずさっきの車道に出て、これを行くと橋があった。これでいいのかなあと心配しながらも歩いて行くと、坂道になった。その途中で右から合流してくる道があった。これが熊野街道であった。
坂を上って行くと、右手にJR線がどんどん近づいてくる。線路と平行するように歩いて行くと、いったん緩やかな下りになる。新しい住宅地の中を行くと、大きな石の鳥居があった。でも、不思議なことに鳥居の下に道はない。調べたら、この鳥居は波太神社の遙拝所なのだそうだ。
この鳥居がたつところは十字路になっていて、右に
JRの和泉鳥取駅が見えた。そして、この交差点には熊野古道の指導標があった。琵琶越え300m、地蔵堂王子500mとある。私のガイドブックでは琵琶越えは通行止めになっていると書いているのだが、どうも行けそうである。だめだったら引き返すつもりで、この道を行くとすぐに山道になった。
きれいな林の中を行くと、「平安の小径」という指導標があった。そして「びわがけまで50m、地蔵堂王子150m」と書いてある。意外と近い。
このすぐ先に崩れた斜面があって、ここをトラバースするのだった。ロープもつけられていて、その前に「琵琶ヶ岸懸」という説明板があった。ともかく、この崩落地が危険で通行止めになっていたらしいが、なんの危険もなく渡ることができた。
ガイドブックによると、この琵琶ヶ岸懸は熊野詣の最難関とされていたらしい。

このすぐ先で林から抜け出して、住宅地に入った。
小さな児童公園があると思ったら、そこが地蔵堂王子跡であった。このすぐ先で府道に出た。あとはこれを峠に向かって登って行くだけである。


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