麻生川王子→半田一里塚→正福寺→南近義神社(近木王子・鞍持王子)→鶴原王子→道ノ池→佐野王子

熊野古道歩き二日目の後半は貝塚市、泉佐野市、泉南市といった市街地を歩いて行く。街中のため王子跡は痕跡もとどめていなかったりして、探すのはけっこう大変であった。車の往来が激しい府道を歩いたりもするが、所々で古い家並み見ることができる。
南近義神社



府道から左に入る


貝塚市に入った


麻生橋
 13麻生川王子へ

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2010年3月11日

マクドで休憩したが、30
分だけでは疲れがとれなかった。このあたりには古い家並みが続いていて、これを眺めながら歩いて行くと、府道から離れる分岐があった。左の路地を歩いて行くと、ため池の土手にぶつかる。このため池が「道ノ池」である。土手には地蔵を彫ったしるべ石があった。
池に沿って歩いて行く。池からは府道に戻らなければいけないのだが、その道がない。仕方がないので、土手を強引に下って、踏み跡もないところを通って府道に出た。
次の目標は虎橋である。注意しながら歩いて行ったら、ここから貝塚市の標識があて、その先にかかる橋が虎橋であった。虎橋の次にかかる橋が麻生川橋で、その近くに麻生川王子跡があるので、見逃さないように注意しながら歩いて行く。
すぐに緑に塗られた小さな橋があった。これが麻生川橋で、そのすぐ先にある三和製作所の敷地が麻生川王子なのだ。三和製作所の敷地内をのぞいたが、石標もなにもなかった。がっかりした。



 14近木王子・15鞍持王子

半田一里塚


牛神社の石碑


土塀の道を行く


南近義神社


神社拝殿


三和製作所のすぐ先で、左の細い道に入る。府道のように車の心配をしなくてもいいので、のんびり歩いて行くと、左には池が広がる。二つ連なった池で、池の畔には菜の花がきれいに咲いていた。

集落に入ると、左に半田一里塚があった。下は石垣で囲っていて、しっかりしたものである。江戸時代に紀州藩が設けたものなのだ。現存するものは少ないらしい。
ここから少し行くと中央小学校があって、その先で右折して府道を横切った。
路地を歩いて行くと、目印の地蔵堂があった。ここで左の道を行く。すぐに踏切を渡ったが、めざす石才会館がどこにあるのかよくわからない。地図が大まかすぎるので、距離感がつかめないのだ。こんなに来てしまって、もう通り過ぎたのではないかと思った頃に大きな建物があった。これが石才会館であった。
ガイドブックではここにある牛神の石碑を紹介しているので、そのためにやって来たのだ。ブロック塀で囲った中に小さな石碑があるだけであった。農業で使役する牛の健康を願ったものらしいのだが、そんな大層なものには見えない。

この先も道がよくわからなかったが、なんとか府道に出た。これを横断してから福永橋を渡ることになっているのだが、府道の一本向こうに細い道があって、これを行ったら福永橋であった。
橋の手前には積善寺城跡の説明阪がたっていた。
橋を渡ると坂道を上る。これが長谷川の坂で、右側には古い土塀が続いていて、すごくいい雰囲気である。
大きな道を横切って集落を抜け出すと、行く手にはJR線が横たわっている。すぐ右には和泉橋本駅があった。線路に沿って南に歩いて、それから踏切を渡る。踏切から少し行くと府道を横切った。
この先の道がよくわからなかった。府道を渡ってすぐに正福
があるはずなのだが、この寺が見つからない。道を探して学校まで行ったりして、結局引き返したりする。行く手に神社の杜らしきものが見えるのでこれを目指して歩いて行った。神社の近くになったとき、左の路地の奥にお堂が見えた。もしかしたら…と思って寄ってみたら、これが正福寺であった。お堂が二つたつだけのお寺だった。
ここからすぐに神社の杜に着いた。ところがまたまた神社の入り口がなくて、また森を半周することになってしまった。
たどり着いた南近義神社には、近木王子と鞍持王子が合祀されているのだ。王子名の祠があつらえてあるのかと思ったが、何もなかった。
南近義神社本殿は新しくて、朱が鮮やかであった。



 16鶴原王子
貝田橋


貝田会館


神社の正面の参道を下って行った…が、磁石で確認したら方向が違っていた。疲れているのに坂を上り返すことになってしまった。余計疲れる。

神社の前を右に行く。方向はあってるはずだが、T字路にぶつかって、けっきょく右折しなければいけなかった。なんどか角を曲がって歩いて行く。本当にこの道でいいのか心配であったが、渡った橋を確認したら貝田橋、これで道が正しいことがわかった。ラッキー。
住宅地を歩いて行くと、大きなため池の横に着いた。ここにいた人にきいたら、これが「四角池」で地図の通りであった。ではこの近くに鶴原王子跡の貝田会館があるはずだが…、と聞いてみたら、少し引き返して坂を上るのだという。
貝田会館を見つけた。会館の前は小さな公園のようになっていて、隅に石碑があった。王子社跡の石碑かと思ったらまったく関係のないものであった。



 17佐野王子

ループの陸橋


道ノ池


佐野川橋


佐野王子跡

鶴原王子の先はまったく道がわからなくなった。カンだけで歩いていったが、なかなか国道に出ないので、強引に田んぼのあぜ道を歩いてやっと国道に出た。でも、今どこにいるのかわからない。あたりを見回すと、少し北に引き返したところに陸橋があって、国道の向こうには大きな池が広がっている。これが道ノ池だったら、正しいルートに出たことになるのだが。

陸橋は階段ではなくてループの坂道であった。これで国道を渡って、池の畔の狭い道に入る。池の土手を歩いて行くと、おばさんが犬の散歩をさせていた。池の名前を聞いたらドウノイケだという。道ノ池と書いてドウノイケと読むことを初めて知った。
池の土手から下って民家の間を行くと、広い道に出た。この道のすぐ右に信号交差点があって、それは佐野川交差点となっていた。これで現在地が確認できた。
民家が並ぶ道を行くと、広い道を合流して、その先が佐野川橋であった。

右に小学校を見ると、そのすぐ先には赤白の送電線の塔がたっている。ここで左の道に入るのだ。住宅地の中を行くが、生け垣の中にあるという佐野王子跡がみつからない。引き返して探したがどうしてもわからない。ちょうど家から出てきたおばさんに聞いたら、親切に教えてくれた。この先の広い道と交差するところを右に行くのだ。
すぐに見つかった。生け垣に囲まれた広場があって、その入り口に佐野王子跡の石柱がたっている。広場には佐野王子址と刻まれた石碑もあった。
あたりはもう薄暗くなっている。今日の目的はこれで終了である。熊野道に戻ったら、交差点に熊野街道の木の標識がたっていて、そこに佐野王子の方向を示す矢印がちゃんと書かれていた。さんざん迷った私はいったいなんだったのだ…。
南に向かって歩いて行くと国道にぶつかる。熊野街道は国道を横切るのだが、私はこの国道を真っ直ぐに歩いて行き、マクドに着いた。1820分であった。


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