八軒家船着場→第一王子→坂口王子→谷町筋→四天王寺→近鉄あべの駅→阿倍野商店街→安倍晴明神社→安倍王子神社→経塚→万代池公園

熊野古道歩き初日は大阪の都心部を北から南に縦断するのだ。これが熊野古道か!と叫んでしまいたくなるような雑踏の中を歩いたりする。
3番目の安倍王子社はあの安倍晴明の生誕地にあるのには驚いた。

 出発点は八軒家船着場

仙台から夜行バスに乗った


天満橋


現在の船着き場

BACK 熊野古道を歩こう

2010310

昨夜、仙台発1930分の高速バスに乗って、今朝の7時に大阪に着いた。昨日から仙台は雪で、高速は大丈夫なんだろうかと心配だったが、無事大阪に着くことがでた。でも、バスの中ではよく眠れなくて、今日は寝不足で歩くことになる。
熊野古道の出発点は、天満橋である。平安時代の貴族たちは京から船で淀川を下って、天満橋に上陸し、ここから歩き始めたのである。私もその通りにするつもりなのだ。
大阪から天満橋までは距離はたいしたことはないのだが、けっこう大変なのだ。
JR大阪駅から地下街を延々と歩いて、ようやく地下鉄谷町筋線の東梅田駅に着いた。ここからは二駅である。まだ朝早いので、そんなに混んでいなかった。
天満橋に着いて、まずマクドに行った。朝食をとりながら、今日の行程をもう一度チェック。外は雨である。天気予報では晴れるはずだったのだが…。
傘を差して、まず天満橋を見に行った。サラリーマンが忙しげに歩いて行く。
熊野古道を歩き始める前に、熊野詣の平安貴族が上陸したという八軒家船着場跡を探しに行った。ビル街の広い道を行くと、「昆布処永田屋」という店の前に石碑があった。ここは淀川から離れているので、淀川べりにも行ってみたら、整備された観光船船着き場があった。
平安貴族の上陸点から、いよいよ熊野古道を歩き始める。


 @第一王子

熊野かいどうという石碑があった


坐摩神社行宮


熊野古道の巡礼は、沿道に点在する熊野権現の御子神王子社にお参りしながら行くのである。王子社は熊野古道には九十九あるのだ。私はこれを丹念に訪ねて行こうと思っている。
熊野古道で最初の王子社、第一王子社がすぐ近くにあるので行ってみた。すぐに交差点があって、そこに熊野古道の石碑がたっていた。ここで左折すると熊野古道である。石碑には道路図まで書かれている立派なものである。熊野古道は世界遺産に登録されているのだから当然だ思うのだが、天満橋から御坊にいたる紀伊路は世界遺産の対象外なのだ。

第一王子社へはこの十字路を直進する。左に神社があるはずだが…と注意しながら歩いていったのだが、通り過ぎて郵便局の角まできてしまった。さすがに間違いに気がついて引き返す。ガイドブックをよく見たら、少し路地に入らなければいけないのだった。
第一王子社をなんとか見つけ出すことができた。ビルに囲まれた小さな境内で、突き当たりに簡単な屋根をかけた祠があった。第一王子社は窪津王子をまつるので、窪津王子社ともいう。今は坐摩神社行宮となっているのだ。祠の前には金属の賽銭箱のようなものがあるのだが、よく見たら、中の大きな石をガードするためのものであった。これが鎮座石で、神功皇后がこの石に腰掛けて休憩したという伝説があるのだ。



 A坂口王子

間違えた北大江公園


ルートにはこんな石標がある


南大江公園


さっきの熊野古道石碑まで引き返して、ここから南に向かう緩やかな坂を上って行く。すぐに北大江公園があったが、私はこれを坂口王子社跡がある南大江公園と間違えて、一生懸命、王子社跡を探してしまった。公園の名前が北と南で違うと気がついたのは、さんざん探し回った後である。

町中を歩いて行くと、「熊野街道」という石柱がたっていた。私が歩こうとしている道にはこの標識がずうっと立っているらしい。うれしくなった。石標には八軒茶屋からの距離もかかれているのだ。
八軒茶屋から500mの石標を過ぎると、行く手に高速道路の高架が見えてきた。これをくぐって少し行くと、「太閤下水」という説明板があった。下がのぞけるようになっていて、太閤が造ったという水道が見えるのだ。
八軒茶屋から1.1km過ぎると、右手に大きな公園があった。これが南大江公園であった。なにか標識があるのではないかと公園の中に入ってみると、小さな赤い鳥居がたっている。これが坂口王子社かと思って、すぐそばまで行ったら、狸坂大明神であった。違うのかとがっかりしたら、このすぐ横に新しい石柱がたっていて、「朝日明神社跡」と書かれている。その横の説明板には、ここが坂口王子社伝承地と書かれていた。



 四天王寺を参拝

谷町筋に出た


空堀商店街に着く


四天王寺支院瑞雲寺


瑞雲寺の中、多宝塔が見えた


四天王寺中之門


六時堂


参詣者休憩所


南大門から仁王門・五重塔を振り返る


二つ目の王子社を見つけたことに満足して、さらに歩いて行くと、再び熊野街道の大きな石碑があって、その少し先には古木の下に小さな社が見えた。これが榎木大明神である。名前のわりには小さいのですが…。
この神社の前を左折する。この通りは安堂寺町通りというらしいのだが、すぐに広い道路を横断する。この大通りが谷町筋で、天満橋から続いている道なのだ。

谷町筋を横切ってから右折しなければいけないのだが、この曲がるところがどうにもわからない。仕方がないのでカンで右折して、すぐに広い道を横切る。ガイドブックには熊野街道の碑があるというので、注意して歩いたが結局わからなかった。
路地のような細い道を歩いて行くと突然、古道の石柱があった。道は間違っていなかったのだ。すぐに空堀商店街のアーケード入り口があった。
この先に近松門左衛門の墓があるはずなので、注意して歩いたが、結局気がつかずに通り過ぎてしまった。
右手、道路の真ん中に小さな神社があるので、これかと思ったが、名前も書いていなかった。
この先、また道がわからなくなった。このあたりは大阪都心部の古い住宅街で、道は錯綜しているのだ。
カンで歩いて行ったが、上汐公園を見つけたことでようやく位置が確認できた。さらに南下してゆくと、右に赤い楼門が見える。これが
四天王寺の南大門ではないかと思って行ってみた。谷町筋に面したお寺で、四天王寺支院瑞雲寺と書かれていた。四天王寺とはまったく別の寺なのだった。境内に入ってみると、墓地を囲む塀の向こうに立派な多宝塔が見えた。
谷町筋を南に歩いて行くと、右に立派な山門が見えた。これが四天王寺の中之門であった。
中之門から四天王寺境内に入る。入口に境内案内図があって、これによると四天王寺はめちゃくちゃに広いのだ。
すぐに地蔵堂があった。石仏・石塔がいっぱいあって、「南無地蔵菩薩」と書かれた赤い幟がいっぱいたっている。
さらに直進すると、元三大師堂、大黒堂とあって、鉄筋コンクリート造りの大きな英霊堂があった。ここまで来ると右手に五重塔が見えてきた。これが目指す四天王寺の伽藍である。
右折して、その伽藍に向かうと、まず六時堂があった。この前に架かる広い橋を渡るのだが、その橋の真ん中に石の基壇がある。石舞台といって、これは重要文化財に指定されているのだ。

このすぐ先には北鐘楼がある。もうそこには金銅や五重塔を囲む回廊が続いている。すぐに拝観しようと思ったら、無料休憩所が目に入った。雨の中、ずっと歩いていたのでここで少し休憩することにした。
西重門から中に入る。有料なのだが、300円と安かった。目の前に鮮やかな朱塗りの五重塔がそびえている。金堂もきれいだ。
四天王寺は推古天皇元年(593)に聖徳太子が建立した日本仏法最初の官寺である。でも、今、目の前に聳える伽藍はすべて昭和になって鉄筋コンクリートで再建されたものなのだ。
回廊をめぐって行くと、「竜の井戸」があった。前に置かれた龍の彫像がいい。
回廊は講堂に行き着く。中には金ぴかの阿弥陀如来像が鎮座していて、後ろの壁には玄奘三蔵の事績が描かれている。
講堂から反対側に出て、さらに回廊を巡って行く。回廊を巡るにつれて五重塔と金堂が姿を変えて行くので何枚も写真を撮ってしまった。
回廊を一周したところで、金堂に入った。この堂の本尊も金ぴかの観音像で、この前では盛んに読経がされていた。堂内の壁画はけっこう見応えがある。描かれているのは釈迦の一生なのだ。
五重塔を見にいった。ここにも壁画が描かれているのだが、抽象画でよくわからない絵であった。塔の上に登ることができるらしいのだが、それは止めた。
仁王門から外に出ると、目の前には南大門があった。振り返ると、今出てきた門の両脇には立派な仁王像がたっていた。

これで、四天王寺の拝観を終えた。
南大門から外に出ようとすると、そこには「熊野権現礼拝石」があった。熊野巡礼者はこここから遙か南方の熊野へ手を合わせたのだろう。


 四天王寺を参拝

 D阿部王子

南大門から外は喧噪の街中


近鉄あべの駅


阿倍野商店街、これも熊野古道


安倍王子神社


万代池


ここまで来たところで4番目の郡戸王子と5番の上野王子を見逃したことに気がついた。この二つは大阪の市街地にあるため、消失してしまっているのだ。(比定地はあるが…)
四天王寺南大門から外に出ると、車が騒々しい大通りである。
これを横断して細い道に入ると、右に墓地があった。この中に竹内義太夫の墓があるというので入ってみた。彼は江戸時代の浄瑠璃語りで、義太夫節浄瑠璃の創始者なのだ。
さらに細い道を南に下ると庚申堂がある。今日は縁日なのか参拝者がいっぱいで、露店まで並んでいた。
庚申堂から少し行くと、街角に小さなお堂があって、その横に井戸があった。「清水の井戸」という有名なものらしい。さらに「おはぐろ地蔵」という小さなお堂を過ぎて、広い道を横断するところに「法界」と刻まれた石柱があった。大阪の歴史を感じさせる町並みである。
この先で道は
JR天王寺駅のホームに突き当たるのだが、地下道があって、これをくぐって突き当たり左の階段を上ると線路を渡る陸橋に出る。これで、JR環状線を渡ると、正面には近鉄あべの駅のビルが見えてきた。
駅前を右に行くと大きな道路にぶつかって、これを左折するとアーケード商店街を行くようになる。阿倍野商店街で、これが熊野古道とはとても思えない。驚いたことに路面電車が走っていた。レトロだ。高速道路の高架をくぐったところに熊野街道の石碑があった。
アーケードが終わって、さらに歩いて行くと路面電車の道から離れて、右に入って行く。これがガイドブックにある松虫通りの先のY字路かと思ったが、もう少し行ってみたら、はっきりした字路があった。この右の細い道を行く。静かな古い住宅街には熊野街道の石標がたっていた。
疲れた足を引きずるようにして歩いて行くと清明神社があった。あの陰陽師で有名な安倍晴明を祀る神社で、清明はこの地で生まれたのだ。清明の銅像や産湯の井戸があった。

清明神社から少し行くと、阿部王子神社である。大阪府で現存する唯一の王子社なのだ。神社参道の真ん中に阿部王子旧蹟という石柱がたっていた。ジャマじゃないのかと思ってしまう。参道には巨木がそびえ立っていて、その参道突き当たりの左に本殿がある。手を合わせてすぐに熊野古道に戻った。
ここから少し行くと公園があって、そこには経塚蹟の石柱がたっていた。
経塚蹟のすぐ先で広い道に合流する。この道は路面電車が走る道であった。
この電車道の左に万代池公園があるので寄ることにした。公園のベンチで休みたかったのだ。時間は12寺40分になっていた。


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