横垣峠→水壺地蔵→熊野市境界→金山の道祖神→天保飢饉の碑→産田神社→花の窟→獅子岩→熊野市駅

横垣峠から下るとゴールの花の窟は近い。花の窟は伊弉冉(イザナミ)の御陵で、熊野信仰の発祥の地だともいう。本宮道がここで伊勢路と合流したところで私の今回の旅を終了する。

 横垣峠からトンビ茶屋跡へ

水壺地蔵


熊野市に入った


ミカン畑を行く


金山の道祖神の案内があった

BACK 風伝峠から横垣峠へ

2010年11月28日

横垣峠から下り始めたのは
1120分である。檜林の中に続く山道を下って行く。10分ほど下ったところに石灯籠があって、その奥に石積みの祠があった。これが横垣地蔵である。岩窟の中には二体の石仏が収まっていて、一体がお地蔵様でもう一体は弘法大師なのだ。大師がここを通りかかったときに、杖をついたところか水が湧き出したという。だから横垣地蔵は「水壺地蔵」とも呼ばれるらしい。
落葉松の混じる林を10 分ほど下ると樹林から抜出した。この上り口には熊野古道の石柱がたっていて、「熊野参詣道伊勢路」の大きな案内板がたっていた。
ここから緩やかに下って行くのだが、道の左は深い谷になっていて、すばらしい眺めが広がっている。20分ほどで国道311号線に合流する。ここからは国道を歩いて行くのだ。国道にはちゃんと歩道部分が設けられていて安心して歩いて行くことができた。
20
分ほど国道を歩くと熊野市の標識があった。やっと熊野市に入ったのだ。
国道をそのまま歩いて行っても熊野市街地に着くのだが、熊野古道は途中から左の裏道に入る。その指導標がなくて困ったのだが、県道52号線との十字路で左に入った。
200m
ほど行くと、道の右に石積みの祠の中に庚申が祀られているのを見つけた。地図ではここに昔の道標もあるはずだが…と探したら、石積みの祠に寄り添うように古い碑が置かれている。「右志んぐうみち」という文字が読めた。
ここで右折する。細い舗装道が続いている。住宅地を過ぎると、道は山の斜面を大きく蛇行して上って行くのだ。この山の斜面は一面、ミカン畑であった。
小さな峠には「金山の道祖神」という説明板がたっていた。ここが「トンビ茶屋跡」である。この案内板の裏に小さな広場があって、道祖神と刻まれた大きな石碑がたっていた。この地方では道祖神は珍しくて、三基しかないのだそうだ。




 天保飢饉の碑から産田神社へ

天保飢饉の碑


さんま寿司発祥の地


産田神社

舗装道を緩やかに下って行く。
500mほど行くと「天保飢饉の碑」という説明板がたっていた。このあたりは熊野詣でや伊勢神宮の巡拝者が多く通ったらしいのだが、天保飢饉のときはたくさんの行き倒れあったらしい。これらの餓死者を弔うために近在の村人がここに碑を建てたのだそうだ。車道から少し山の斜面を登ると、林の中に小さな墓石のようなものがたっている。この右奥には巨岩があってその前に小さな祠があった。祠の中には石の観音像が祀られている。これは碑ではない。墓石に引き返して、刻まれている文字を読むと「有縁無縁諸霊…」とある。これが飢饉の碑であった。
さらに林の中を歩いて行く。道はかなり高いところを通っていて、国道はこのあたりでトンネルを抜けて平野に出るのだ。
古道もカーブを繰り返して下って行き、ようやく平坦になると民家の中に入る。大島のバス停を過ぎると校舎と広い校庭が見えてきた。学校の横を過ぎると、行く手右にこんもりとした杜が見えてきた、学校の前で右折して橋を渡ると神社の正面に着く。これが産田神社である。
すごく大きなりっぱな神社で、石の鳥居がたっている。参道入口の横には「さんま寿し発祥の地」という標識があった。

この神社にお参りして行くことにした。日本書紀によると伊弉冉尊はこの地で火の神カグツチを産んで亡くなったという。そしてその遺体はこれから行く花の窟に葬られたのだ。
この付近では埋蔵土器が多く出土して、考古学的に重要な場所なのだという。そして、大昔には神社に社殿はなくて「ひもろぎ」という神の宿る場所を設けたのだが、そのひもろぎ跡もここには残っているのだという。
神社にお参りしてから、ひもろぎを探したが、結局わからなかった。


 花の窟へ

踏切を渡ると花の窟は近い


花の窟


獅子岩の展望所


熊野市駅


神社から少し行くと、民家を過ぎて、田んぼが広がった。行く手には巨岩が突き出る山が見える。これが花の窟ではないかと思う。ゴールは近い。
広い車道の下をくぐって、さらにJRの踏切を渡る。住宅地に入ると細かに曲がって行かなければいけないのだが、しっかりした指導標が現われた。これなら迷う心配はない。
すぐに花の窟(いわや)神社の入口に着いた。この向いに古い道標石がたっている。これは「口有馬道標」といって「右 くまのさん 志゙ゆんれい道」と刻まれているのだ。熊野三山、西国巡礼はここから右に曲がって行くべしという標識なのだ。
石の鳥居をくぐって樹林の参道を行く。観光客が多い。
神門をくぐると、正面には大岩壁がそびえ立っている。これが花の窟である。大岩壁の下には伊弉冉尊(イザナミノミコト)を祀った聖地がある。これがひもろぎなのかとおもう。
この向いには火之神カグツチが祀られていた。伊弉冉尊は火之神カグツチを生んだために亡くなったのである。

私は南の参道から入ったのだが、今度は東の参道から出た。境内を出ると、堰堤が続いていて、この向うは熊野灘なのだ。
海沿いの道を10分ほど行くと、獅子の岩の展望所に着いた。確かに獅子が吠えているような岩がそびえ立っている。獅子岩と海がきれいであった。
このすぐ先で国道から左に入って、駅に向って歩いて行く。
熊野市駅に着いたのは1520分であった。これで今回の熊野古道歩きは終了である。
春になったらこの続きを歩くつもりだ。今度は、海岸沿いに伊勢神宮と紀伊田辺の間を歩くことになる。出発点をどっちにするかは悩んでいるところだ。


熊野古道 伊勢路をゆく







熊野古道を行くTOP  総TOP My日本の山  My日本の道  日本の旅  私の写真館  自己紹介















inserted by FC2 system