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横垣峠からトンビ茶屋跡へ | 水壺地蔵 熊野市に入った ミカン畑を行く 金山の道祖神の案内があった |
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BACK 風伝峠から横垣峠へ 2010年11月28日 |
天保飢饉の碑から産田神社へ | 天保飢饉の碑 さんま寿司発祥の地 産田神社 |
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舗装道を緩やかに下って行く。500mほど行くと「天保飢饉の碑」という説明板がたっていた。このあたりは熊野詣でや伊勢神宮の巡拝者が多く通ったらしいのだが、天保飢饉のときはたくさんの行き倒れあったらしい。これらの餓死者を弔うために近在の村人がここに碑を建てたのだそうだ。車道から少し山の斜面を登ると、林の中に小さな墓石のようなものがたっている。この右奥には巨岩があってその前に小さな祠があった。祠の中には石の観音像が祀られている。これは碑ではない。墓石に引き返して、刻まれている文字を読むと「有縁無縁諸霊…」とある。これが飢饉の碑であった。 さらに林の中を歩いて行く。道はかなり高いところを通っていて、国道はこのあたりでトンネルを抜けて平野に出るのだ。 古道もカーブを繰り返して下って行き、ようやく平坦になると民家の中に入る。大島のバス停を過ぎると校舎と広い校庭が見えてきた。学校の横を過ぎると、行く手右にこんもりとした杜が見えてきた、学校の前で右折して橋を渡ると神社の正面に着く。これが産田神社である。 すごく大きなりっぱな神社で、石の鳥居がたっている。参道入口の横には「さんま寿し発祥の地」という標識があった。 この神社にお参りして行くことにした。日本書紀によると伊弉冉尊はこの地で火の神カグツチを産んで亡くなったという。そしてその遺体はこれから行く花の窟に葬られたのだ。 この付近では埋蔵土器が多く出土して、考古学的に重要な場所なのだという。そして、大昔には神社に社殿はなくて「ひもろぎ」という神の宿る場所を設けたのだが、そのひもろぎ跡もここには残っているのだという。 神社にお参りしてから、ひもろぎを探したが、結局わからなかった。 |
花の窟へ | 踏切を渡ると花の窟は近い 花の窟 獅子岩の展望所 熊野市駅 |
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熊野古道 伊勢路をゆく |
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