道ばたに放り出したザックを回収して分岐に戻った。ここからはひたすら車道歩きなのだ。
カーブを繰り返して下って行くと、「国道まで2.8km」という標識があった。この標識は所々にたてられていて、道が正しいことが確認できる。道ばたに「一遍上人名号碑の塚」という説明板がたっていた。さっき見た石碑のことだと思うのだが、どうしてこんなところに説明板があるのかと不思議に思ってしまった。
道が平坦になって、小さな集落をいくつか抜けて行くと、突然行く手に車が行き交う国道が見えてきた。
国道渡ると、その向うが熊野川であった。そこには「ウォータージェット」の舟乗場があった。大型観光バスが停まっていて、観光客であふれている。地図で確認すると、ここが楊枝の渡し場なのだ。大きな石碑がたっているので、楊枝の渡しの石碑かと思ったら、与謝野晶子の文学碑であった。裏に回り込むと大きな文字で「熊野川」と刻まれていた。渡しの跡ってどこなんだろうと探してみたが、その説明板や古い石碑などを見つけることはできなかった。
昔の熊野古道は楊枝の渡しで熊野川を渡ったのだが、今はここから3km下流の三和大橋で渡るしかないのだ。すごく遠回りすることになる。ここにあるウォータージェットは対岸に渡るのではなくて上流の瀞峡を観光するものなのだから、遠回りでも三和大橋まで行くしかないのだ。
熊野川を左に見ながら国道を歩いて行く。ちゃんと車道を隔てた歩道が続いていて、途中にはベンチが置かれた休憩広場もあった。20分ほど歩くと、アーチが3つ連なる橋が見えてきた。これが三和大橋である。橋の少し手前には六地蔵がたっていて、少林寺という寺もあった。
橋を渡って、こんどは熊野川を上流に引き返して行く。
20分ほどで、「板屋12km」という車道の分岐があった。熊野古道は右折して板屋に向うのだが、私は直進して楊枝薬師堂に立ち寄ろうと思っている。
熊野川を挟んだ対岸にウォータージェットの乗場を見て、さらに歩いて行くが、なかなか薬師堂が現われない。ちょうど通りかかったおばさんに訊いてみたら、さらに300mほども歩かなければいけないのだという。寄り道は止めておけばよかったと悔やんだが、ここまで来て引き返すわけにもゆかない。道ばたにザックを放り出して歩いて行くことにした。
道ばたに六地蔵がたっていて、その右が公園のように整備されている。この中に御堂の屋根が見えた。ここが楊枝薬師堂であった。紅葉がきれいであった。
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