佐野王子→三輪崎駅→高野坂→金光稲荷→孫八地蔵→王子ヶ浜→浜王子→新宮十郎屋敷跡→阿須賀神社→丹鶴城→新宮城→熊野速玉大社

このコースの一番は海岸線をゆく王子ヶ浜であった。熊野速玉大社の手前の阿須賀神社にはガイドブックにも記載がない王子社跡があった。
ようやく速玉大社にお参りしたことで、熊野詣での目的である熊野三山すべてを参拝し終えてことになる。
熊野速玉大社



道の右が黒潮公園


線路に沿った細い道を行く


線路を渡った


石畳の坂を登る


金光稲荷神社
 金光稲荷神社へ

BACK 那智駅から佐野王子へ

2010年3月23日

マクドから少し行くと信号のある交差点に一里塚があった。この佐野一里塚は復元されたものである。
さらに国道を20分ほど歩いて、道が左にカーブしたところに黒潮公園がある。ここから国道を外れて市街地にはいるのだと思うのだが、指導標がない。地図をよくみると学校の横を通るようなので、それらしきものを探したら、国道をもう少し行ったところから右に入るのであった。
街の中を歩いて行くと、学校があって、そこから500mほど行くと、三輪崎の駅があった。熊野古道はこの先で線路を渡るのだが、ガイドブックには、わざわざ踏切はないと書いてある。入り口がわかるかなあと心配しながら歩いて行く。駅のすぐ先で、線路に沿った本当に細い道があったので、これを歩いて行ったが、金網が張ってあって線路に入ることはできない。すぐに次の踏切に出てしまった。この先、海の堤防に出てしまったが、そこには円柱の形の道しるべ石があった。
さらに集落の細い道を行くと、作業小屋の横で柵がとぎれていて、ここなら線路を渡れそうである。まさかこれではないだろうと思いながらも、線路を渡ったら、そこに熊野古道の標識があった。青い説明板で、「高野坂」と書かれていた。標識の先は広い整備された遊歩道になっていた。でも、あの線路を渡るところには何の標識もないのだから、絶対にわからないと思う。
すぐに石畳の上りになった。10分ほど上ると、林から抜け出して、芝生のような草の道になった。大きな岩が数個あって、そのすぐ先には展望台の入り口があった。ここに立つ指導標は中辺路で見た世界遺産のものであった。展望台に寄るのは省略して、少し行くと東屋があった。東屋は高床になっていて、展望台のような造りである。でも、周りは樹林に囲まれているので展望はないのだ。
ここから石畳道になって、すぐに赤い鳥居があった。これが「金光稲荷」の入り口である。せっかくなのでお参りして行くことにした。鮮やかな朱の木戸があって、その後ろには意外と質素な石の祠があった。



 王子ヶ浜から浜王子へ

五輪の塔の標識があった


孫八地蔵


高野坂登り口


王子ヶ浜を行く


堤防を行く


王子神社(浜王子)


熊野古道に戻って歩いて行くと、右に五輪塔の標識があった。寄ってみようと思ってこの道に入ったが、
200mほど行っても塔はなくて、道も下りになってしまったのであきらめることにした。
竹林や鬱蒼とした照葉樹の林を抜けて行くと、すぐ下にはJR線路と海が見えた。私はこの先で砂浜を歩くつもりでいるのだ。けっこう楽しみである。
樹林から抜け出して、右が崖になったところに出ると、そこには地蔵尊と石碑がたっていた。地蔵は「孫八地蔵」で、石碑は「御手洗板碑」である。
ここから樹林の中に入って沢筋に下り、最後に丸太を組んだ階段を降りると、新しいトイレがたつ広場に降り立った。スタンプのポストや熊野古道説明板もたっている。
ここから引き返すようにした先に木組みの階段があって、海に流れ込む流れの横を下ると砂浜に降り立つ。これが王子ヶ浜である。
熊野灘がパノラマのように広がっている。なにかしら爽快な気分になってしまう。
砂浜と期待したが、砂利のような小さな丸石の浜であった。
しばらくは堤防の下に続くコンクリート道を歩いて行ったが、これが流れでとぎれたとこで、波打ち際に向かった。砂利道のようで歩きにくいのだが、打ち寄せる波を眺めながら歩いて行くのはすごく気持ちいい。白いレースのような海岸線が遠くまで続いている。寄せては返す波。この砂浜をのんびり歩いて行くと、時々列車が走って行くのが見える。なにかしら、熊野古道を歩いているというような、すごい旅情を感じてしまうのだ。
浜を30分ほど歩くと、プラットホームのようなものが見えたので、このコンクリートのスロープを上ったら、この先は堤防の内側に道が続いていた。コンクリート壁にはちゃんと熊野古道の標識があった。
堤防の道を歩いて行くと、大きなザックを背負った若者がやってきた。彼はこれから熊野古道を歩くのだそうで、今日新宮から歩き始めたところだという。新宮の街の中の古道の指導標のことを訊いたら、路面に標識のパネルが埋め込まれているので、これを目印にしたらいいと教えてくれた。よかった。街の中で迷う心配がなくなった。
堤防を500mほど歩くと指導標があって、ここから左に堤防を下るのだ。
松林の中を抜けて車道に出る。どっちへ行くんだと思ったら電柱に浜王子跡の標識があった。その矢印に従って、住宅街を歩いて行くとすぐに道の角に杜(もり)があって、いつもの青い説明板がたっていた。ここが浜王子である。
ここにはちゃんとした神社があって、長屋門をくぐった先にはちゃんとした社が祀られていた。



 阿須賀王子

地面の指導標


阿須賀神社


阿須賀王子跡


浜王子の先、熊野古道は住宅地に入って複雑に折れ曲がっている。でも、地面には聞いたとおり熊野古道のパネルがあって、これに従って歩いて行くと迷うことはない。ただ、このパネルは熊野速玉大社から歩く人の視点で置かれていて、逆コースの私にはわかりにくいところもあった。そこは私の長年のカンでなんとかクリアして歩いて行く。
地図にある第一王子橋を渡って、5分ほど行くと新宮十郎行家の屋敷跡の説明板があった。でも、周りは完全に住宅街になってしまっていて、その痕跡はまったくない。
さらに道のパネルを探しながら歩いて行くと、古い町並みに入った。10分ほど行くと右に「阿須賀神社」があった。参道には紺の幟が立ち並んでいた。
参道を行き、二つ目の石の鳥居くぐった先には鮮やかな朱塗りの本殿がたっていた。この境内の左には歴史民族資料館があるのだが閉館していた。
資料館の前にいつもの青い説明板がたっているのを見つけた。この神社も王子跡だったのだ。阿須賀王子と書かれていた。私のガイドブックの王子一覧には載っていないのだが、この説明板があるのだから、王子跡なのだと思う。これで王子は
102になってしまった。
本殿の右にはこれまた鮮やかな朱の稲荷神社があって、さらにその右には石の祠だけがぽつんとたっている。これが「徐福之宮」であった。徐福というのは神話の人物といってよくて、秦の始皇帝の命令によって不老不死を求めて、蓬莱山に渡ったという。その蓬莱山というのは日本のことで、徐福はこの新宮に上陸したというのだ。徐福伝説というのは西日本のいろんなところにあるのだ。



 熊野速玉大社へ

丹鶴城の入口


白壁の塀に沿って行く


速玉大社の参道になった


熊野速玉大社に着いた


JR新宮駅


阿須賀神社から地面の標識に従って歩いて行ったが、途中から道がわからなくなった。カンで歩いて行ったのだが、なんとか地面に置かれた標識を見つけた。この先、広い坂道を上って行くと、ピークに着いた右には丹鶴城の入り口があった。大きな石垣がそびえているのが見えて、桜祭りの会場でもあるようで、提灯がいくつも下がっているのが見えた。
坂を下って橋を渡ったら、下は鉄道であった。
道の右に白壁の塀が続くとその間に新宮城跡という看板の下がった木戸門があった。
高い石垣の上に白壁の塀が続く。300mほど行くと、国道との交差点に着いた。国道を横切って直進すると、熊野速玉大社の参道入り口である。朱塗りの神橋を渡って、鮮やかな朱の大鳥居をくぐる。この横には世界遺産の石碑がたっていた。
参道を行くと、右には朱の社が二つ並んでいて、八咫烏神社と手力神社という石標がたっていた。
この先で参道は右折する。参道の左には巨木がそそり立っていて、神社の神木「なぎの老樹」というのだ。平重盛公が植えたという日本最大のなぎの巨木だそうだ。私は巨木が大好きなのだ。
後白河法皇の石碑を見て、神門をくぐるといよいよ本殿の境内に入る。門をくぐったすぐ右にはオガタマノキがそびえ立っていた。高さ
21mの巨木である。
境内には後鳥羽上皇の御製の歌碑や、熊野に御幸した上皇、院の名前を刻んだ碑もあった。
速玉神社にはゴトビキ岩があるというので、神社の巫女さんに訊いたら、それは山の中腹にあって、この神社から上るのではないのだそうだ。ゴトビキ岩を祀るのは速玉大社ではなくて神倉神社なのだそうだ。
これで、私の熊野古道歩きは終了である。最後に、神社に手をあわせ、無事に旅を終了できことに感謝した。
あとは新宮駅からJRで帰るだけなのだが、商店街を歩いてマクドを見つけた。名古屋には深夜0時までに着けばいいので、マクドで時間をつぶすことにした。
ネットで時刻を調べると、新宮発1746分に乗れば、乗り換えを3回して名古屋着は238分である。名古屋でネットカフェに泊まって、明日の朝一番の各駅停車で仙台に帰るつもりだ。

名古屋に着いてから困ったことになった。いつも泊まっていたネットカフェのビルがなくなっていた。困って、雨の中探し歩いて、ようやく駅の反対側でネットカフェを見つけた。もう0時を過ぎていた。


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