茨城県14.寺社めぐりと田園風景のみち

坂東26番札所に参拝したあとも寺社めぐりは続く。桜の古木としっとりと落ち着いた庭園の向上庵、小野小町の墓、流鏑馬の日枝神社、延暦15年(796)に開かれたという城東寺。ガイドブックには「山の辺の道」とかかれていたが、納得してしまった。
コース
小金井駅→30分→御使者橋→35分→箕輪城跡→25分→稲荷神社→5分→三嶋神社→10分→祇園原→5分→祇園原バス停
合計2時間50分 歩行距離 8.1km


 向上庵
向上庵への道


向上庵の庭


BACK 坂東26番札所 清瀧寺

2001年2月3日

坂東26番札所の清瀧寺から一旦戻ると、ほとんど隣に向上庵がある。

ここも長い古びた石段を上っていく。
石段を上りきると、お寺の境内がみごとな庭園になっていた。門をくぐった直ぐ横には古い桜の木がある。かなり有名な桜らしい。入り口に「桜基金」という募金箱が置かれていた。
境内には如意輪観音と地蔵の石仏があった。ともに江戸時代のもので、苔むしていた。
帰りに石段を下って行くと、傍らに苔むした石仏が何体か置かれているのに気づいた。これも、いい。


 2015年再訪時の写真


 小野小町の墓
小野小町の墓

向上庵のあたりの地名は「小野」という。その名前にちなんでか、ここには小野小町の墓があるのだそうだ。
途中に、この町が運営している「小町の里」という一角があって、そこには直売場と蕎麦屋さんがあった。入り口の横には大きな水車がまわっていた。
集落の中を歩いていくと、「小町の墓」という指導標があって、それに従って歩いていくと小町の墓に着いた。
これは個人の家の敷地内にあるようだが、入り口に庵風のしゃれた門があって、それをくぐると正面の小高いところに五輪の塔があった。
かわいらしい五輪の塔だが、これが小町の墓なのだ。



 2015年再訪時の写真


 日枝神社
日枝神社の参道


小野小町の墓から道なりに南に歩いて行くと、城東寺への道が分岐する。ここに日枝神社がある。
この神社は流鏑馬(やぶさめ)で有名で、異様に長くて真っ直ぐな参道あると思ったら、ここで流鏑馬が行われるのだ。また、永正8年(1511)の石灯篭もあった。すごく歴史ある神社なのだ。


 2015年再訪時の写真


 東城寺
城東寺の山門


城東寺への石段


本堂の跡らしい


経塚の発掘あと?


日枝神社から最後の目的地「城東寺」に向かった。
集落の道の真ん中に山門が建っていて、ここから長い参道を行く。杉木立の中を行くと、やはり長い石段があって、これを上りきったところが城東寺の境内であった。
城東寺はかなり由緒のある、格式の高いお寺らしい。境内には池があって、鯉が泳いでいた。
池の先にお堂が建っていて、その向こうがただの広い空間になっている。変なつくりだと思ったら、この空間はかっての本堂の跡であった。
礎石が残っている。その配置から、りっぱな伽藍だったのだろうと思う。
左には石仏群が立っていて、そこから山に向かって登っていく細い道があった。
ここに看板が立っていて、ここから100mほど登ったところに、日本三大経塚といわれる「城東寺経塚群」があるのだそうだ。行くことにした。
山の中腹に切り開かれたところがあって、そこに穴がいくつも空いている。これが経塚で、発掘したあとのようだ。
このお寺の格式の高さだけは理解して、城東寺を後にした。
ここからは、まっすぐに国道(バス路線のある道)に向かって歩くだけである。5kmほどある。
17時少し過ぎた頃にバス停に着いた。時間を見ると、バスがちょうど行った後くらいの時間だった。ここであと45分待つのかと思ったらうんざりしてしまったが、しかたがない。うろうろしていたら、バスが来るのが見えた。5分くらい遅れていたようだ。ラッキー。
これに乗って、北条の大池公園に戻ってきたのは17時半頃。
比較的早く帰ることができた。
今日は、3コースをまとめて歩いてしまったので、足の底が痛い。しばらく歩いていなかったから、足もなまったか。



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 2015年再訪時の写真




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